告発のとき/ポール・ハギス監督
戦争反対。もちろん同意する。戦争をしたいという人の気がしれない。しかし戦争というか戦闘というのは、今だに地球上のいたるところで起こっている。どうして止められないか、理由はたくさんあるらしいが、自分と関係ないならよく分からない。
しかし、911のようなテロが起こると、アメリカは戦争するべきだと、日本にいる多くの人が思ったのではないか。もちろん当事者である米国国民だって、圧倒的な多数がそう考えた。別にブッシュが特別戦争熱心だったということではない。皆が望んだとおり実行したまでだろう。アフガンとか何故かイラクまで進攻し、そして現在まで駐留は続いている。当事者達は米国やイラクの人民を守るために戦闘に加わっているようだけれど、現地の人たちがどう思っているかは知らない方がいいだろう。すでに個人の意志など関係はないに違いない。間違いないのは圧倒的に強い立場にありながら、いつも危険であるということだ。
ライオンが昼寝していても襲いかかろうとするシマウマはいないだろう。しかしライオンが、食うため以外にもやたらに牙をむくような事があればどうなるだろう。食われないように逃げる以外にも、何か考える必要が出てくるだろう。そして人間はシマウマではない。逃げる以外のことを考えるのは当然だろう。
イラク帰りの兵隊だった息子が、無断離隊したまま帰らないという連絡が入る。同じく兵隊上りらしい厳格な父は、直感的に息子に何かあったらしいことを疑い、自ら捜索して段々と息子の置かれていた状況を知ってゆく。息子は何者かに殺されたようだが、殺され方自体より、関係している軍に何か不可解なものが多すぎる。陰謀をにおわせるような、それでいて組織が抱えている病理のようなものに包まれた謎が、大きく目の前に立ちはだかっている。それでいて何か得体のしれない息子の苦悩の姿が、徐々に明らかにされてゆく。父親は苦しみながら、その姿をつかんでいくのである。
国家や組織に巻き込まれる個人という不条理な人間の葛藤を細かく描きながら、病魔に侵されってしまったような、イラク戦争の状況を問題提起していく。その手法は実に見事で、息子が殺されてしまったという事件そのものよりも、戦争をするということがどういうことなのかということを、観るものに考えさせようとしている。どうするべきだという意見はあえて伏せてある。いや、言わんとすることは当然あるのだろう。そこにいただけで死ぬよりなかった子供をどうするかということも、はっきりといっていることは確かである。しかし、アメリカはどうするべきなのか。もはやアメリカ自身で解決することすら困難になってしまったのか。
僕は日本人だからかもしれないが、このように自問する力がアメリカには確かにあって、ある意味では羨ましいとも思う。アメリカは多くの間違いを冒す傲慢極まりない国である。しかし、自分が間違っていることも同時に悩みながら考えている。日本で何かを考えようとしても、僕らには結局教師が必要なのだろう。日本がイラク戦争にかかわっていても、本当に悩んでいるのは別の問題のような気がする。僕らはひょっとすると、この子供を殺した当事者であるということすら気付かないままなのかもしれない。この問題が他国の特殊な話だと思う人が、日本人には多いような気がして、情けなく、いや、なんともやるせなく感じたのだった。