カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

眠れぬ夜のために

2008-06-17 | 映画

 他人の勧めるものを素直に受けることはあんがい抵抗があるのだけれど、気にならないわけではない。自分の欲望とは他人の欲望であるらしいから、それはそれで仕方がない。他人の趣味なんだから自分と合うとは必ずしも限らないとはいえ、知った人間が褒めているのであれば、観てみたくなるのは人情だろう。失望するのは僕の勝手なので、誘発されたからといって相手に責任を追及できないだけのことだ。しかし中には「絶対面白いから」などという人があるが、そのように他人の時間を割いてまで勧めたのだということであれば、少なからぬ責任があるのではないかとも思われる。保証できずに勧める行為は、軽い詐欺かもしれない。しかし僕もこのような場でお勧めすることはあるので、詐欺にしないということにしないと困ることになるので、詐欺とは言わないことにしよう。それにそのようなものを詐欺とするには、嘘をついたことによる何らかの利益がなければならないようにも思えるし、むしろ勧めたにもかかわらず面白くないといわれることの方が精神的な衝撃も大きいことを考えると、かえってお気の毒なことなのかもしれない。僕の趣味とは合わないというのは、ある意味で救われることもあるかもしれないので、仕方がないし諦めてください。

 そういうわけで「ガキ帝国/井筒和幸監督」を観たのだが、誰が勧めたのかは特に名を秘すことにする。何故ならかなり退屈したから。いや、それなりに感じ入るところはあるのだが、いかんせんその後に「パッチギ」を撮っているので採点が辛くなるのだ。もちろん原型としてこれがあるから「パッチギ」があるということはよくわかるので、そういう意味で見落としている人は観ておく必要は(ファンなら)あるのかもしれないけれど、なんだか喧嘩ばっかりしてうるさいし(まあ、今流行りのゴクセンその他ほどではないにしろ)結局価値観を共有できるところがまるでない。

 僕はスコセッシ監督のファンなので、あきらめるより仕方がないのだが、「グリーフィングス/マーティン・スコセッシ監督」にも酷い目にあった。なんとなくセンス的に面白くなりそうな予感がするのだが、長々と付き合わされた上にフラれてしまったような感じかもしれない。まあ、観たことがあるよ、という自慢にしかならない。しかし自慢してもなんだかむなしい。

 これは名作として必ず観なければならないといわれていたもので、ずいぶん前から観ようとは思っていて実行に移せなかったのが「地獄に落ちた勇者ども/ルキノ・ビスコンティ監督」であった。本来聞いてもわからないことだから日本人の僕には全く関係のないことなのかもしれないが、完全主義者といわれるビスコンティなのに、ナチスの物語だというのに、英語であったのでまず駄目だった。裸がよく出てくるが、これも気持ちが悪かった。こんなふうに誘惑されてもちっとも食指が動かない。毎日毎日途中で寝てしまうので、毎日毎日同じような場面を何度も観てしまった。そんなことだから頭によく入らないのかもしれないと思い、改めて睡眠をたっぷりとって酒を控えめにして見直したが、やはり時間の無駄だった。まあ、名作とはそんなものかもしれないという教訓を得たということになろう。

 別段この映画は今まででいうとそんなに酷くはないが、まあ、非凡であるが凡作でもあるというのが「非情の罠/スタンリー・キューブリック監督」だった。短い話だから仕方がないのだろうが、掘り下げるところが十分でなかったのだろう。ボクサーのくせにやたらに弱いし、かなり間抜けな感じもする。それなりの試合を戦ってきた男にはどうしても思えないのだが、しかし格闘シーンは緊迫感があってさすがキューブリックだという非凡さはあるのだった。助けに来た男を守ろうと嘘をつく女というのが、また最後の伏線にもなっていて、よく考えると流石なのだが、やはり全体的にはどこか間抜けな感じもする。間違えて殺されてしまったマネージャーがかわいそうだったなあ、とも思ったのだった。

 何でこんなに長い必要があったのか結局よくわからないけれど名作と名高い「輝ける青春/マルコ・トゥリオ・ジョルダーナ監督」もやはり観なくてはならなかった。確かに名作といわれる理由は理解できたが、これは映画でやらなくてもいいのだろうな、というのが結論だった。続きもののテレビドラマとしてやるべきだし、もちろんそのためにつくられるはずだったものだったそうなのに、無理に映画化したのだから長くなったのは仕方がないとはいえ、観るほうは大変なのだった。しかし僕も何度も寝てしまって結局ひと月ばかりDVDを借り続けてしまったので、この映画を観賞するにはまっとうな見方だったのかもしれない。途中途中は、やはり感心するエピソードも多くて、それなりに満足感は得られたわけだが、登場人物に共感をもつことはなかった。それはつまるところ僕は日本人で、彼らはイタリア人だということなのかもしれない。僕はあんなに大げさに物事をとらえないし、ゼスチャーが大きくなったりしない。結局あのような行動ができる国民性の人たちが繰り広げる人生というものがあるのだろう。勉強にはなったがとにかく疲れてしまった。

 しかしながらこのような映画を勧めるような人たちというのは、結局感受性に問題のある場合もあるのじゃないかとは正直に思うのだが、そうであるからこそ面白き人々いうことも言えるわけで、迷惑ながらいとおしい人々といわなくてはならない。いちいち面白くないということを確認するためであったとしても、勧められると騙されて観てやろうということに今後もなるのだろう。人生の時間は有限だから浪費には違いないが、こういうものまで効率化するほど価値ある人生とも思えない。無駄を楽しむ精神性を大切に生きていくことにしよう。
コメント
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