スピード社の水着を着ると速くなる理由が、体を過度に締め付けることによる水の抵抗を減らすことに成功したというような解説が多い。NASAの技術協力があるなどの報道もある。装着するのに非常に時間がかかるとも言われている。体型を変えるほどの締め付け効果が、タイムを縮める要因であるということなのか。
しかし、いろいろ解説を見てみると、はたしてそれだけではないということも見えてくる。日本の水着メーカーであっても、過度の締め付けや抵抗を減らす密着度の研究が遅れているというわけではないらしい。では本当は何が一番違うのかということなのだが、素材ではないかというのである。
スピード社の水着は姿勢保持のためにポリウレタン・パネルを使用しているという。日本の水着メーカーがこの素材を敬遠していたのは、浮力の問題であるようだ。水着に浮力があるということになると国際水連の規則に抵触する。現在は問題なしということになっているが、一部では限りなく疑わしいという調査もあるようだ。
この問題は、日本のメーカーが開発したということになれば規則に抵触し、英国社製であれば問題にならないということにすぎないということなのかもしれない。今までの多くの事例がそうだったように…。
北京オリンピックが間近になり、このままスピード社の水着使用による争いが繰り広げられそうだが、この大会の記録が今後どのような扱いになるのかということも、注目しておいたほうがいいのかもしれない。
しかし、以前も書いたが、オリンピックはまだまだ正式な世界のスポーツの祭典だと思わない方がいいとも思う。本来は西洋人のためのスポーツの祭典なのだと思う。もちろんそういう地図は徐々に塗り替えられることになっていくと思うけれど、もう少し時間が必要だろう。
陸上競技が先に変化したように、黒人選手と他の人種の選手とは明らかに身体能力的な力の差がある。水泳の世界では、まだまだ未開であるから、堂々と西洋人優先の政策がとられているにすぎないのであろう。そこにまだ、日本人が付け入る隙があるということである。しかし、早晩この世界にも黒人選手の台頭する時代が来るだろう。水着問題が何だったのか、というようなことになるかもしれない。しかし、人種による人間の能力差ということを、はたして西洋人は容認できるだろうか。時間がかかるというのは、そういうことではないかと思うのである。