カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

富士は日本一の山

2008-06-14 | 雑記

 千葉に出張していた。
それなりに収穫もあって、まずまずといったところ。懐かしい顔と懐かしい話なども聞けた。僕もすっかり古株になってしまった。実はそれでも年齢が一番若かったりするのだけれど、多くの先輩たちはそろそろ定年とかいう話も聞かれてさびしい限りである。少し若手の人と子供の話などもするのだが、就職だとか結婚の話題に移りつつある。なんというか、優秀なお子さんが多いらしくて、いわゆる一流大学一流企業の人ばかりなのにも驚いた。九州から北海道まで様々なところから集まっているのだけれど、ほとんどのお子さんは東京に住んでいる(僕以外)。帰りの電車では、これから子供のところに寄ってから帰るという人たちばかりだった。確か話し合いの中でも、地方の時代がどうだとかいうような展開も一部あったようだけれど、これはぜんぜん違う現実なんじゃないかと思ったりした。
 飛行機の時間まで少し間があったので、何故だか上野に寄った。相変わらずなんとなく胡散臭いアメ横をひやかしてみると、やはりなんとなくいろんなものが安い感じだ。僕はほとんど買い物ということをしないので実のとことよくわからないのだけれど、まぐろのざっくり切り身がどの店でも(魚屋)1000円というのが安そうに見えた。しかし男性のだみ声売り子が多いのも何故だろうとも思った。毎日呼び込みをしていると、ああいう声になっていくのだろうか。
 やはりよくわからないのだけれど、靴やらゴルフクラブの店がやたらに多いような気がした。そしてたぶん安いのであろう。客はどうも日本人らしくない人の方が多いようで、ポクポクというような発音の多いタイ人が特に目についた。カレーが390円だったり、小さい回転寿司の店も多かった。食いものまで安いようだ。少なくとも田舎より安い。
 遅めの昼食を食うことになってラーメン屋に入ると、てきぱきと仕事を仕切っているバイト長(勝手に、そんな感じがしたから)は中国人で、洗い物がインド人、水やおしぼりを出しているのが、年配のリストラ日本人というような感じだった。リストラ日本人は仕事に慣れていないらしく、何度も中国人バイト長にいろんな指示を受けてまごついていた。これからも仕事を続けていくことができるだろうか。
 博物館にでも行こうかと思っていたはずだったが、美術館でパリ展を見た。エッフェル塔が立派だったのがよくわかった。そして昔はパリはすごかったんだと思った。今もすごいのかもしれないけれど、そこのところはよくわからない。人々はパリに集まり、文明の発展を実感しながら青春を謳歌していたようだ。そして芸術なのだが、特に絵画という世界は、時代の先端性というものに案外敏感だという感じもして意外だった。絵というものを一種の普遍性だと僕が勘違いしていたのかもしれない。もちろん普遍的に美しいというものもあるだろうけれど、やはり当時の人が、新しいとか面白いということを意識していることは間違いなさそうだ。たぶん今もそうなのだろう。漫画チックな風刺画などもあって、これは進んでいるということではないにしろ、センス的に日本の漫画は、かなり違ったもののようにも思った。つまりこれらの過去の影響から、ほとんど自由に脱皮しているのではないか。時代というのは積み重ねられていくものであろうけれども、これはまた別世界の出来事であったというような印象も受けた。これからもパリが憧れの場所であり続けるということが、今後もあるのかどうかは知らない。まあ、それは東京であっても同じことではあるのだけれど。
 大して歩いて回ったわけではないが、それなりにくたびれた。帰りの飛行機の中では、ぐったりシートに体をうずめていたのだが、窓から見事な富士山の頭を眺めることができて、さすがだなあと思った。雲を従えて突き出た頂上が、雪を放射線状に残していた。息をのむような偉大さと美しさだ。やはりあがめられる存在というのは必然があるのだと思う。僕はちっぽけな人間だけれど、富士山を眺められてしあわせだと思った。
コメント
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