カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

ゴルゴ13はいつ終わるのか

2008-06-05 | 時事
ゴルゴ13はいつ終わるのか/竹熊健太郎著(イースト・プレス)

 「ガラスの仮面」を読みだして止まらなくなり、続巻を買い求めてしまうという話はよく聞く。確か糸井重里だったと思うが、途中まで徹夜で読みとおして、朝から書店の前に並んで開店を待った経験があると言っていたように思う。それほど麻薬的に面白いということだが、確かに続きが気になる展開は見事で、よくもまあ演技という世界でこれほどのことが起こるのかという凄まじさは大げさでなく本当に見事である。主人公がいつかは演じるであろう紅天女という作品がどれほどすごいのかは全く未知のまま、ありえない物語に人々はひきつけられていくのである。なんとまだ完結していないというから、さらに驚くとともにあきれるよりない。ちなみに僕は美内すずえのホラー漫画のファンである。僕にとっては「ガラスの仮面」もホラーっぽい感じはするが、彼女がずばりホラーを書くことが何より素晴らしいと思う。
 さて、表題のとおりゴルゴをはじめ、大長編になっている作品の最後を予想しているわけであるが、そういう予想を通した作品論になっている。竹熊さんらしいユーモアに満ちていて、それでいてしっかりした読み込みによって見事な作品論に仕上がっている。これはもう読んでもらうよりないと思うが、この予想が効いているのか、取り上げられた作品はあえて完結できない状態になったのではないかと思うほど見事である。
 ついでにゴルゴに触れると、僕はゴルゴはちょっと苦手かもしれない。確かに物語はよく考えられており時折ものすごく感心するのだけれど、スナイパーとしての腕が凄すぎて、ちょっと興ざめしてしまうのかもしれない。まあ、やっぱり漫画なんだよなと思うわけだ。僕は「アストロ球団」のような漫画は楽しめない性格なのだ。しかし、ゴルゴで面白いのは、なんといってもゴルゴ自身の奇妙な癖や私生活である。ゴルゴのエロシーンは何故だかあんまりエロくはないのだけれど、ゴルゴも娼婦を買ったりする。結構馴染みだったりしているようで、行為そのものより、行為に至るまでの演出の方を褒めて料金を払ったりしている。生真面目に可笑しいと思う。しかしこれも孤独で悲しい男という演出なのであろう。
 もう一つの作品は「美味しんぼ」であるが、最初はそれなりに感心していたこともあるけれど、これも僕には苦手な作品だ。ちょっとウンチクが鼻につきすぎて食傷を起こしてしまうのかもしれない。構成として「巨人の星」や「スターウォーズ」のような展開を見せるが、だから僕はシラけるのであろう。馬鹿さ加減は好きにしろ、真剣になると鼻白む困った漫画である。まあ、このような時代錯誤の偏見があるから、人間というものは面白いわけであるが…。
 実はこの本は盛りだくさんの内容になっており、竹熊さんがどんな人か、というような内容でもある。僕はごく最近竹熊さんを知ったので、竹熊さんファンとしては、そういう意味でもなかなか楽しい内容になっている。竹熊さんが子供のころから何を考え、そうして大人になってから何をやってきたのかというのが、かなり分かって面白い。オタクが何なのか僕はよく知らなかったのだけれど、この本を読んで輪郭は理解できた。僕はヤマトにもガンダムにもハマらなかったし、エヴァンゲリオンは未見である。なんとなくオタクに憧れてきたけど、所詮僕にはオタクになれないということがよくわかった。まあしかし初期のルパンのみ好きだというのは僕も感じていたことであって、やはり竹熊さんは僕の好きな匂いのする人だなあと思った。
 竹熊さんが直接漫画家への道を歩まなかったということも、なかなか面白い。雑誌の特集とか編集に子供のころから興味があったということも、なんとなく共感できる。僕も小学四年生ぐらいから学級新聞を作ることに熱中した覚えがあるからだ。小学五年で初めて徹夜で作業するという経験も積んだ。社説からインタビュー、四コマ漫画まで約一人でこなした。途中から共同作業になったりしたが、かえって上手くいかなかったものだ。竹熊さんのいうように、フレームから考えて内容を埋めるという考え方には思わず唸ってしまった。僕が一番得意にしていたのは、新聞の第一面にある横長コラムで、いわゆる天声人語とか、僕は毎日新聞だったので余録というのだが、これが一番簡単だった。今考えると最初にフレームが決まっていて、そこに言葉をはめ込むだけだから小学生にも容易にまねができたのであろうと思い至った。不思議なもので先生をはじめ大人たちは、このコラムに一番感心してくれたものだけれど、それで僕自身も得意になったりしたことは事実だけれど、こんなこと造作もないのになあ、と思ったことも確かである。
 竹熊さんの過去の話を読むにつけ、人の一生というのは、案外幼少の頃の体験がその後を決定づけるものなのだということを考えずにいられない。いや、幼少より少し年をとり、自意識が芽生えた頃に何を面白いと思うかというのは、振り返ってみるとかなり重要なことだったと改めて思う。少なくとも、その頃に読んだ漫画雑誌やテレビ番組というものに、僕らは多大な影響を受けてきた。だから規制したり悪いものであったら困るという議論に進むとちょっと厄介なことになりそうだけれど、その頃に自分の感性として面白がってしまったものが、後々の考え方や、仕事について表面に出てくるということがあるように思える。竹熊さんはそのまんまの仕事をしているので、特にそのことが顕著であるようだけれど、僕らの場合だってぜんぜん違う仕事をしているようで、表現の仕方については子供のころと同じようなことをしている可能性はあるようにも思える。もちろんそれでも竹熊さんほどではないので、才能というか、誠実さにおいて、まっすぐな人は偉いものだなと思うのであった。
コメント
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