ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

人権391~最低保障を目指すべき権利(続き)

2016-12-21 08:49:50 | 人権
最低保障を目指すべき権利(続き)

 次に、各国及び国際社会において最低限保障を目指すべき権利について、権利論の観点から検討したい。先に書いた欲求と能力の関係は、そのまま権利論の前提となる。まずあらためて強調したいのは、権利の種類及び内容の項目で述べた自由権・参政権・社会権及び「発展の権利」等を一括して、「人間が生まれながらに持つ権利」という意味で人権と呼ぶことは不適当だということである。人権とは「発達する人間的な権利」であり、ここでいう最低限保障すべき権利は、その意味での「人間的な権利」と言える。
 自由権・参政権・社会権は、国家(政府)があることが前提になっている。自由権は国家の統治機関である政府の干渉・制約からの自由を確保する権利、参政権は政府の権力に参加する権利、社会権は政府に積極的な関与や給付を求める権利である。これらは、ほとんどが国家と国民の関わりにおける権利である。また「発展の権利」は、集団が発展する自由への権利であり、多くの場合、ネイションの形成・発展を目標とする。
 ある国の国民であることを示す資格として、国籍がある。一国において非国民に国籍を与えることは、自国の国民と同等の権利を与えることである。国籍は、国民の権利証である。この点を加えて、権利について言い換えれば、自由権は、自分が国籍を持つ国の法によって保障される自由への権利である。参政権は、自分が国籍を持つ国の政治に参加する権利である。社会権は、自分が国籍を持つ国家の政府に関与や給付を請求する権利である。そして、それらの権利を保障するものは、その国民が所属する国家の政府である。それゆえ、保障される権利の内容は、当然国によって違う。こういう権利は、普遍的に人間が生得的に持つ権利という意味での人権とは言えない。ここで保障されるのは、あくまで国民の権利である。
 近代国家における自由権・参政権・社会権以外に、近代西欧以前及び以外の社会にも、権利は存在した。家族・氏族・部族においても、組合・団体・社団においても、各々その集団の成員に権利が認められてきた。その権利は、ほとんどが集団の成員の権利である。国民の権利は集団の成員の権利が発達したものであって、集団とは別に個人の権利が発達したものではない。
 こうした事情を踏まえたうえで、私は諸国民の権利とは別に、最低限保障を目指すべき権利を検討すべきと考える。最低限保障を目指すべき権利として、私は、空気、水、食糧、安全な住居、家族的生命的集団への所属、言語・計算に関する基礎的な教育を得られる権利を挙げる。なぜこのように考える必要があるのか。人々が権利として主張し得るのが各国における「国民の権利」だけであれば、専制国家・独裁国家における人民の権利の擁護や拡張を訴えることはできない。私は、それぞれの国の国民の権利とは別に、所属する国家の違いを超えて、広く保障を目指すべき権利を設定し、各国及び国際社会は、その実現に努力することが必要だ、と思うのである。
 最低限保障を目指すべき権利とは、国家または集団がその成員に対して保障すべき権利であり、またそうした保障を受けられない例外的な状況にある人々に対しても最低限追求されるべき権利である。この権利は、「人間が生まれながらに平等に持つ権利」ではない。普遍的・生得的な「人間の権利」ではなく、人類が道徳的な目標として実現すべき「発達する人間的な権利」である。
 ここで道徳的とは、法律的と対比したものである。道徳とは、ある集団で、その成員の集団に対する、あるいは成員相互間の行為の善悪を判断する基準として、一般に承認されている規範の総体である。道徳には、集団の規模と原理の及ぶ範囲によって、家族道徳、社会道徳、国民道徳があるが、最低限保障を目指すべき「人間的な権利」の実現を追求するには、人類規模における道徳、人類道徳を構想する必要がある。
 道徳的目標とは、法律的課題とはできないことを意味する。国家間の条約等を国際法と呼ぶが、国際法は各国が定める国内法より上位の法とは言えない。国際法は、国内法に比べて、実力による強制装置が組織化されておらず、制裁の実施も国家間の力関係や政治的な駆け引きに左右される傾向がある。条約等は加盟国に一定の影響力はあるが、執行に関して、物理的実力の行使による強制力がない。違反した場合の罰則がない。各国に属する個人にも、直接的な義務がない。こうした規範は、法律的規範ではなく、道徳的規範である。主権国家の上に立つ地球的・統一的な政府は、存在しない。こうした国際社会の現状においては、最低限保障を目指すべき「人間的な権利」の実現は、道徳的目標でしかありえない。
 「国民の権利」とは別に「発達する人間的な権利」として、人権を設定するとすれば、その定義や範囲を明確にしなければならない。現在の世界でどこの国でも最低限保障されるべき「人間的な権利」と、各国において国民が定めるべき「国民の権利」とを区別し、混同や不当な侵食を防ぐ必要がある。
 人権を広く保障すべきという方向は、権利を主に参政権・社会権へと広げる方向であり、人権の内容を限定すべきという方向は、主に自由権に限定する方向である。私は、歴史的に拡大してきた人権の概念を再定義し、自由権を主としたものに改めるべきと考える
 国際人権規約は、「経済的、社会的、文化的権利に関する国際規約」(A規約)と「市民的、政治的権利に関する国際規約」(B規約)に分かれている。わが国では、A規約に定める権利を社会権と総称し、この規約を社会権規約と呼ぶ。またB規約に定める権利を自由権と総称し、この規約を自由権規約と呼ぶ。自由権と訳される「市民的権利(civil rights)」は civil という市民・公民・国民に関する形容詞を付す権利である。国家・政府の存在を前提としている。また「政治的権利(political rights)」は参政権と訳され、自由権と区別することができる。それゆえ、B規約に定める権利は、自由権と参政権に区別し、また自由権を「人間的な権利」と「国民の権利」に分けて検討する必要がある。それによって、狭義の自由権を最低限保障を目指すべき「人間的な権利」とし、広義の自由権並びに参政権及び社会権を「国民の権利」に分類し直すべき、と私は考える。
 最低限保障を目指すべき「人間的な権利」の内容として、私が考えるのは、空気、水、食糧、安全な住居、家族的生命的集団への所属、言語・計算に関する基礎的な教育を得られる権利である。これらは、一般的にいう自由権の一部であり、自由権の主要部分をなす精神・生命・身体・財産の権利に当たる。これに比し、言論・表現・集会・結社等の自由権は、社会的な活動に関する権利であり、国民社会に参加しなければ保障されない。これらが本来の「civil rights(市民権・公民権)」である。前者を狭義の自由権、後者を広義の自由権とすれば、最低限保障を目指すべき「人間的な権利」は、狭義の自由権に当たる。欲求と能力の関係から言うと、生理的欲求、安全の欲求、所属と愛の欲求を実現する能力の発揮に関する権利である。私は、先に挙げた権利を最低限保障を目指すべき権利と考えるが、それらは基本的潜在能力を発揮し得る必要条件を得られる権利であり、またその能力の発揮を妨げる生存への脅威、奴隷・性的暴行・拷問・略奪等からの自由への権利でもある。これらの権利の保障は、生きる上で最低限必要な物資と環境を提供することである。それゆえ、私の挙げる最低限保障を目指すべき権利は、「発達する人間的な権利」の基本的なものとして、基本的人権と呼ぶことは可能である。
 これに対し、広義の自由権とともに参政権・社会権は、「人間的な権利」に含めることはできない。集団が解体・消滅もしくは孤立していれば、集団の意思決定に参加する権利、つまり参政権に当たる権利は、存在し得ない。また社会権は、国家を前提とした国民の権利ゆえ、当然、存在し得ない。自由権のうち精神・生命・身体・財産に関する権利が、「人間的な権利」として最低限保障を目指すべきもの、と私は考える。この権利を最低限保障を目指すべき権利として、各国の国民だけでなく例外的な状況にある人間をも対象として実現を図ることを、人類は道徳的な目標とすべきである。
 最低限保障を目指すべき「人間的な権利」を超える権利については、各国家や各集団がそれぞれ「人間らしい」「人間的な」と考える権利の発達を目指すのでよい。目指す内容は、集団的及び個人的な人格的成長・発展の程度や社会の持つ価値観、経済・社会・文化・文明の発達度合によって異なる。また、この権利は、集団外の人間や非国民に対して、無差別に与える権利ではない。

 次回に続く。

トランプ時代の始まり~暴走か変革か8

2016-12-19 09:40:42 | 国際関係
●日本の安全保障

 トランプが選挙期間中、日本に関して訴えてきたことのうち、最も重要なのは安全保障の費用負担である。トランプは、米国の国益、安全を最優先する「アメリカ・ファースト(米国第一)」を掲げ、安全保障費用については、「同盟国は応分の負担をしておらず、対価を払わなければ、防衛は自国でやってもらうしかない」と米軍による日本防衛の代償を払わせると主張した。
 5月5日には、日本は全額負担すべきだと発言した。トランプは「米国は債務国だ。自動車(輸出)を使って経済大国になった日本に補助金を払い続けることはできない」と語り、日本と同じく米軍が駐留する韓国やドイツも名指しし、同様の考えを示した。米国が世界中で警察的な役割を担い、防衛するために、当事者国を上回る費用を支払っているとし、「それらの国は米国を助けるべきだ」と述べ、全額負担に応じない場合は、駐留米軍を撤収するとの持論を曲げなかった。「日韓が米国の面倒をみないのであれば、私たちに世界の軍人、警察官である余裕はない」とも強調した。また、北朝鮮の脅威に対抗させるため日本や韓国に自主防衛の一環として核武装を容認するとの自らの発言を尋ねられると、「適切に米国の面倒を見ないなら、どうなるか分かるだろう。(日韓は)自国のことは自国で守らなければならなくなるのだ」と指摘した。その一方で、日韓の核武装を容認する考えを否定しなかった。これが、核武装容認論として報道された。
 こうした発言が続くので当時、もしトランプが大統領になれば、わが国は米軍の駐留費用の全額負担を要求されることを覚悟しなければならないと考えられた。また、そうなれば、対米自立・自主防衛を実現する大きなチャンスとなるという意見も多く聞かれた。
 ここで問題は、トランプが日本駐留米軍の費用負担の実態を知らずに、放言を繰り返していることだった。当時のアメリカの報道では、米国の2016年度の予算教書で人件費を含む在日米軍への支出は55億ドル (約5830億円)、日本政府が支払っている在日米軍駐留経費負担は 年間約1900億円となっていた。これは実態と大きく異なる。実際は、日本の駐留米軍の経費負担率は約75%であり、2016年度予算で7612億円が組まれている。米軍基地の光熱費や人件費などの思いやり予算に加え、基地周辺の環境対策費などが含まれる。約75%という負担率は、他の国の負担率が30~40%台であるのに比べ、格段と多い。全額ではないが、もし全額負担するとなると、駐留米軍は日本の傭兵になってしまう。米国としてそれでいいのかという問題が生じる。また、米軍は本国に帰ると、実際にはその方が費用がかかる。
 トランプは、アメリカは日本が攻撃されたら日本を守らねばならないが、日本はアメリカが攻撃されてもアメリカを守らない、これはアンフェアーだという考えを表明してきた。確かにわが国は国防を米国に依存する状態を続けており、日米の防衛義務は片務的である。しかし、安倍政権は集団的自衛権の限定的行使を容認した。そのことは、日米同盟を強化することになっている。トランプには、そのことも良く理解してもらう必要がある。さらに同盟国の最高司令官となるトランプに納得してもらうには、日本も集団的自衛権の行使を国際標準に引き上げることだろう。

●トランプ政権は富豪政権に

 トランプ次期大統領は、実業家出身であり、閣僚の経験も連邦議員や州知事の経験もない。政界とは無縁だった純然たるビジネスマンが、国家最高指導者になる。そのトランプは、閣僚人事で、経営者や投資家ら経済人を積極的に登用した。
 国務長官・国防長官とともに三重要閣僚の一つである財務長官には、スティーブ・ムニューチンを指名した。ムニューチンは、エール大学で秘密結社スカル・アンド・ボーンズに入会し、ユダヤ系投資銀行のゴールドマン・サックスではパートナーという幹部職を務めた。ヘッジファンドのデューン・キャピタル・マネジメントの共同創業者である。ユダヤ人の著名投資家ジョージ・ソロス氏の下で働いた経歴もある。ゴールドマン元幹部が財務長官に就任するのは、1990年代半ば以降で3人目である。ロバート・ルービンはビル・クリントン政権で、ヘンリー・ポールソンはブッシュ子政権でそれぞれ財務長官を務めた。
 ゴールドマン・サックスは、1990年代以降、アメリカで政権への参加が最も目立つ企業である。トランプは、他にも閣僚に同社出身者を2名指名している。国家経済会議(NEC)の委員長に、ゴールドマン・サックスのゲーリー・コーン社長兼最高執行責任者(COO)を充てた。閣僚の要、大統領首席補佐官と同等と位置づけるという首席戦略担当兼上級顧問に任命されたスティーブン・バノンも同社の出身である。
 トランプは選挙戦中、ヒラリーとウォール街の親密さを批判し、大衆のエスタブリッシュメント(既成支配層)への怒りや反感を、自分の票の増加に誘導した。ところが、自分が次期大統領になると、政権幹部に金融業界出身者を数多く起用している。そのことから、トランプは、ウォール街の要望に応えて、金融業務への規制緩和を行うと見られる。いわばリーマンショック以前の制度への回帰である。
 トランプは、また最重要閣僚の国務長官に、米石油大手エクソンモービル会長兼最高経営責任者(CEO)のレックス・ティラーソンを指名した。商務長官には、著名投資家のウィルバー・ロスを指名した。ロスは、英投資銀行ロスチャイルドのファンド部門出身である。労働長官にはファストフードチェーンを経営するアンドルー・パズダー、中小企業局長には米プロレス団体ワールド・レスリング・エンターテインメント(WWE)のCEOを務めたリンダ・マクマホンを選んだ。このように幹部の多数を経営者や投資家が占めるトランプ政権は、富豪政権の色彩が強い。
 どうしてこういうことになるか。2012年に書いた拙稿「オバマVSロムニー~2012年米国大統領選挙の行方」の一節を次に引用する。
 「アメリカは、実質的な二大政党制である。国民は二つの大政党が立てる候補のどちらかを選ぶ。片方が駄目だと思えば、もう片方を選ぶ。そういう二者択一の自由はある。しかし、アメリカでは、大統領が共和党か民主党かということは、決定的な違いとなっていない。表向きの『顔』である大統領が赤であれ青であれ、支配的な力を持つ集団は外交・国防・財務等を自分たちの意思に沿うように動かすことができる。アメリカの二大政党の後には、巨大国際金融資本が存在する。共和党・民主党という政党はあるが、実態は政党の違いを越えた『財閥党』が後ろから政権を維持・管理していると考えられる。
 アメリカの連邦政府は、大統領を中心とした行政組織というより、財界を基盤とした行政組織と見たほうがよい。国民が選んだ大統領が自由に組閣するというより、むしろ財界人やその代理人が政府の要所を占める。政治の実権を握っているのは財閥であって、大統領は表向きの『顔』のような存在となっている。国民が選んだ『顔』を掲げてあれば、政府は機能する。だから、誰が大統領になっても、支配的な集団は自分たちの利益のために、国家の外交や内政を動かすことができる。このようになっているのが、アメリカの政治構造である」
 ヒラリーではなくトランプが大統領に就任することになったのは、エスタブリッシュメントから一般庶民の側に政権が移るのではなく、エスタブリッシュメントの中のある部分から別の部分に主導権が移ることを意味するものである。トランプの当選後、彼に「変革者」として大きな期待を寄せる人が急激に増えているが、私は、アメリカの政治構造を踏まえて評価すべきと考える。
 しょせんトランプは、ロスチャイルド家やロックフェラー家等に比べれば、成り上がりの中クラスの富豪にすぎない。ただし、大統領はただの操り人形ではなく、自分の意思を持ち、またそれを実現する合法的な権限を持っているから、トランプのような独裁者型の人物の場合、自分の意思を強く打ち出し、支配層の上部を占める所有者集団と衝突が起こるのではないかと思われる。

 次回に続く。

安倍=プーチン会談で領土返還に進展なし

2016-12-18 10:47:54 | 国際関係
 安倍=プーチン会談が終了しました。北方領土の返還に具体的な進展はありませんでした。安倍首相の出身地である山口県にプーチン大統領を招いて首脳会談が行われることが決まると、わが国には、今回の会談で北方領土の返還に大きな前進があるのではないかと期待する声が多くあがりました。
 だが、客観的に見て、今の段階でロシアが領土返還に応じる状況にないことは、明白です。ロシア政府は、北方領土を含むクリール諸島の開発計画を急ピッチで進めています。この地域は希少金属が豊富で石油、天然ガスも発見され、ロシアの海産物の5分の1が採れる。また、今年5月から北方領土を含む極東地域の土地をロシア国民に無償で分け与える制度を始めました。そのうえ、択捉、国後両島に新たな駐屯地を建設するなど、北方領土の軍事拠点化を急速に進めています。不法な実効支配の強化が進められており、現在領土返還交渉は一段と困難さを増している、というのが、私の観測です。

 私は、北方領土の返還は、わが国が憲法を改正し、日本人自身の手で国を守る体制を整え、日本人が精神的に結束して国力を充実させていったときにのみ可能になると考えます。また、その時、ロシアが北方領土問題で譲らなければならないほどの窮地に置かれていることが、相手側の条件です、
 今のロシアはクリミア併合以降、欧米各国の経済制裁を受けてはいるが、旧ソ連の末期のような経済危機にあるわけではない。シリアでは、内戦に積極的に介入し、ISILの掃討戦で米国を出し抜いて、主導権を掌握するだけの国力を誇示しています。

 安倍首相が自分たちの世代、できれば自分の政権において、領土問題を解決し、日露平和条約を結ぶことに情熱を持っていることはわかりますが、課題取り組みの順序が違うのです。まず憲法改正、それから領土返還です。なかなか憲法改正は実現できない、中国の脅威は増大している、早くロシアとの間の70年に渡る課題を決着したい――そういう思いが安倍首相にあるように見受けられますが、その前のめりの姿勢をプーチンに見抜かれ、つりこまれて態勢を崩され、結局ロシアの経済利益だけを引き出された結果になったと私は思います。

 今回の会談の成果がゼロというわけではありません。最大の成果は、会談が決裂しなかったことです。これは安倍首相がプーチン大統領と信頼関係を築いてきたからでしょう。両者が現在の職位にいる限り、困難ではあるが課題への取り組みが続けられていくでしょう。
 次に私が今回の会談で具体的な成果と思うのは、ロシアにとっての北方領土の軍事的重要性をプーチンから聴きだしたことです。ロシアは、日米同盟を北方領土交渉の障壁と位置づけ、北方領土を返還しても日米安全保障条約の適用外とするよう求めています。返還したら日米安保の適用範囲に入り、米軍が活動したり、対露軍事施設が設けられることを懸念しています。国後、択捉とその海域は、ロシアにとって米国との核戦争を有利に進めるために不可欠の戦略的な軍事拠点になっています。わが国はそのことも理解したうえで、日本固有の領土の返還を勝ち取る交渉を企画していかねばなりません。そして、この成果を反映させるためにも、まず憲法を改正し、日本の再建を進めることが最優先課題となるのです。
http://www.sankei.com/politics/news/161217/plt1612170023-n1.html


人権390~最低限保障を目指すべき権利

2016-12-18 06:37:18 | 人権
●最低限保障を目指すべき権利

 人間とは何か、人間らしい生活とは何かという問いについて述べたところで、各国及び国際社会において最低限保障を目指すべき権利について、私見を書きたい。
 最低限保障を目指すべき権利を検討するには、最初に人間の欲求とそれを実現する能力、能力を発揮するための条件について述べる必要がある。
 権利とは、能力の行使が社会的に承認されたものであり、能力に関する考察は、そのまま権利論につながる。
 人間は生物的・身体的・文化的・心霊的存在としての欲求を持つ。アブラハム・マズローは、多くの事例研究を基にして、人間の欲求は5つに大別されるという欲求段階説を唱えた。

(1)生理的欲求: 動物的本能による欲求(食欲、性欲など)
(2)安全の欲求: 身の安全を求める欲求
(3)所属と愛の欲求: 社会や集団に帰属し、愛で結ばれた他人との一体感を求める欲求
(4)承認の欲求: 他人から評価され、尊敬されたいという欲求(出世欲、名誉欲など)
(5)自己実現の欲求: 個人の才能、能力、潜在性などを充分に開発、利用したいという欲求。さらに、人間がなれる可能性のある最高の存在になりたいという願望

 マズローは、このような人間の欲求が階層的な発展性を持っていることを明らかにした。生理的な欲求や安全性の欲求が満たされると、愛されたいという欲求や自己を評価されたいという欲求を抱くようになり、それも満たされると自己実現の欲求が芽生えてくるというのである。そして、自己実現こそ人生の最高の目的であり、最高の価値であるとマズローは説いた。また、人間が最も人間的である所以とは、自己実現を求める願望にあるとした。
 人間には、これら5つの欲求を実現する能力がある。その能力は、生きるための能力であり、かつ、よりよく生きるための能力である。人間は、集団生活を送る動物であり、協同して能力を発揮して、欲求の実現に努める。集団における各個人は、能動的に自己及び相互の欲求を実現する能力を持つ。同時に、受動的に欲求実現に助力を求める他者を支援する能力を持つ。支援を求める者には、幼児、病者、貧困者、障害者、高齢者等がある。
 センのケイパビリティ(潜在能力)とは、人間の欲求を実現する能力である。人間の能力は、それらの欲求を相互的・共助的に実現するために備えられている。また、能力を発揮できるように親が子を養育し、男女が協力し、年長者が年少者を教育し、成員が相互的・共助的に支援するのが、人間の生活であり、活動である。
 ミラーの基本的ニーズとは、欲求を実現するケイパビリティを発揮するための基本的な条件である。ミラーは、基本的ニーズは、食物や水、衣服や安全な場所、身体的安全、医療、教育、労働と余暇、移動や良心や表現の自由等を含むとする。ケイパビリティには、基本的潜在能力とそれ以外の潜在能力がある。私は、基本的潜在能力を発揮するための基礎的な条件には、空気、水、食糧、安全な住居、家族的生命的集団への所属、言語・計算に関する基礎的な教育があると考える。基本的以外の潜在能力を発揮する追加的な条件には、より高度な教育、労働のできる環境、健康を維持できる医療、共同体の意思決定への参加等を挙げる。基礎的な条件は、ニーズのうち must つまり必ず必要な条件であり、追加的な条件は want つまり、できれば欲しい条件である。
 これらの能力発揮条件は、欲求を実現するための条件である。欲求のうち、生理的欲求と安全の欲求の充足は、人間が生物的・身体的存在として生存・生活していくために最低限必要な条件である。だが、人間は単なる生物的・身体的存在ではない。人間は文化的・心霊的存在でもある。文化的・心霊的存在として、物質的及び精神的な文化を継承・創造し得るには、家族的生命的な集団に所属し、言語・習慣・道徳等の基礎的な教育を受けられる環境が必要である。これは、所属と愛の欲求に関わる。空気、水、食糧は生理的欲求、安全な住居は安全の欲求、家族的生命的集団への所属及び言語・計算に関する基礎的な教育は所属と愛の欲求を実現するために不可欠の条件である。
 私は、これらの欲求を実現するための基本的条件に関する権利を以て、各国及び国際社会において最低限保障を目指すべき権利と考える。人間は、家族を形成し、集団生活を送る動物ゆえ、そこまでが他者・他集団の支援の範囲としての目標となる。家族的生命的な集団を形成し得ないと、集団としての活動もできない。家族を中心とした集団の形成、あるいは集団への所属が出来れば、あとはその集団が成員の権利を保障すればよいのである。承認の欲求、自己実現の欲求は、その集団が実現を図るべきものである。もちろん集団が既に形成されている場合は、生理的欲求、安全の欲求、所属と愛の欲求を含めて、集団が成員の権利を保障すべきである。支援は、集団がそれを為し得るように助力するものである。他者・他集団による支援の範囲は、最低限保障を目指すべき権利として、生理的欲求、安全の欲求、所属と愛の欲求に関する権利まで、と私は考える。
 承認の欲求は、集団を形成する人々の間で実現すべきものである。自己実現の欲求も同様である。これらの欲求に関する権利は、各集団において保障されるべきものである。ここにおける形成と所属の対象としての集団とは、基本的には家族であり、ネイションが形成されている場合はネイション、エスニック・グループが形成されている場合はエスニック・グループである。そうした集団は、家族の協力に重ねて成員の欲求の実現を支援し、欲求実現の権利を保障する。その集団が機能していなかったり、崩壊していたりする場合に、他者や他集団が支援して最低限保障を目指すべき権利の実現を支援すべきというのが、私の主張するところである。そしてその範囲を、生理的欲求、安全の欲求、所属と愛の欲求に関する権利まで、と考えるのである。

 次回に続く。

トランプ時代の始まり~暴走か変革か7

2016-12-17 08:49:10 | 国際関係
●米国は対中強硬策に転じる

 トランプ政権の対中政策はどうなるか。外交・安全保障の知識の乏しい次期大統領に対し、もともと対中国に強硬な共和党の有力者、米諜報機関の幹部、軍関係者等が国家機密情報レベルのレクチャーを行い、暴言王をてなずけて賢くし、骨太の基本構想を抱かせてきているようである。

 ジャーナリストの加賀孝英氏は、「トランプ氏が対中強硬方針を決断したようだ」という情報を伝えている。11月25日のZAKZAKの記事から、要所を抜粋して大意を示す。
 米情報当局関係者曰く「『トランプ氏が、中国との激突も辞さない強硬政策を決断した』『安倍首相にも協力を求めたようだ』という極秘情報が流れている」。「各国情報機関」は、これこそが「安倍=トランプ会談の核心だ」とみている。
 トランプ氏が選挙期間中、「一番激しく攻撃していたのは中国だ」。曰く「大統領就任初日に中国を『為替操作国』に認定する」「中国のハッカーや模造品に規制強化する」「中国の輸入品に45%の関税を課す」「中国の覇権主義を思いとどまらせる。米軍の規模を拡充し、南シナ海と東シナ海で米軍の存在感を高める」等。「まさに、中国との『通貨戦争』『貿易戦争』『全面衝突』すら辞さない決意表明ではないか」。
 「なぜ、トランプ氏が大統領選で逆転勝利できたのか。なぜ、ヒラリー・クリントン前国務長官が敗北したのか。カギは中国だった。国防総省と軍、FBI周辺が動いたという」
 米情報当局関係者曰く「国防総省と軍は、オバマ政権の『対中腰抜け政策』に激怒していた。(略)オバマ政治を継続するヒラリー氏は容認できなかった」「FBIのジェームズ・コミー長官は、ヒラリー氏の私用メール問題で、投票直前に議会に捜査再開の書簡を送り、10日後には『不正はなかった』との書簡を送って、ヒラリー氏の勢いを止めた」。「FBI内部では『なぜ、ヒラリー氏を起訴しないのか』という不満が爆発していた。『私用メール』問題は、巨額の資金集めが指摘されたクリントン財団の疑惑に直結する。クリントン夫妻は中国に極めて近い。FBIは国防総省と同様、『ヒラリー氏はノー』だった」。
 「トランプ氏は、ロシアのプーチン大統領との連携も検討している。これが実現すると、シリア内戦をめぐる米露対決は解消し、過激派組織『イスラム国』(IS)掃討作戦で結束できる。中東情勢を改善させ、米軍を南・東シナ海に集中させる計画も立てている」
 「トランプ氏は今後、軍事費を約300億ドル(約3兆3237億円)増額させ、米軍の大増強を図る。日本などの同盟国には『負担増』と『役割増』を求めるとされる。米国が劇的に変わるのは間違いない。日本も覚悟と責任が求められる。だが、自国と世界の平和と繁栄を守るため、怯んではならない」と。

 加賀氏の情報及びその分析は、スティーブ・ピチェニックの発言、トランプ陣営の軍備大増強策等から浮かび上がるものと、基本的に一致する。
 米国情報機関筋に通じるピチェニックは、YouTubeビデオで、11月1日に、クリントン夫妻、彼らの取り巻き、オバマ政権が密かにシヴィル・クーデタを実行することを知ったCIAとFBIは、カウンター・クーデタを行ったと公言した。投票日直前のコーミーFBI長官の私用メール再捜査発表は、その数日後には取り消しと再発表したものの、ヒラリー当選阻止にかなり効果的だったと見られる。
 トランプは、投票日直前に米軍の戦力を陸、海、空で増強し、最新のミサイル防衛システムを開発することが必要だとし、「米軍の大増強」に着手する考えを明らかにした。
 トランプ陣営の防衛問題上級顧問アレックス・グレイは、「トランプは、中国に対して十分な抑止力の効く軍事増強を果たす。(略)特に、南シナ海には中国を圧倒する海軍力を配備し、『力の立場』から断固として交渉する」「さらに日本、韓国、さらに東南アジアの同盟国、友好国との間の共同ミサイル防衛網の構築に力を入れる。その上で中国に対し交渉を求めて、国際的な規範に逸脱する軍事、準軍事の行動に断固抗議して、抑制を迫る」と語っている。
 わが国は、単に米国から求められる負担増・役割増を受け身で担うのではなく、憲法を改正して日本人自身が日本を守る体制を回復し、また集団的自衛権を国際標準で行使できるようにしていかねばならない。それが、日本を守り、アジア太平洋の平和を維持する道である。

「海賊とよばれた男」を推す

2016-12-16 09:43:55 | 日本精神
 百田尚樹原作の映画「海賊とよばれた男」を観ました。お勧めです。

 大東亜戦争は石油をめぐる戦いであり、わが国は石油で敗れたといっても過言ではありません。敗戦後、日本にとって石油がいかに大切かを誰よりもよく知っていた出光佐三は、敢然と石油メジャーに挑み、唯一の民族系石油資本を守り抜きました。出光は「日本に帰れ」と訴え、日本人に日本精神を取り戻すことを呼びかけ、自らの社員とともに実践しました。この映画は、出光とその仲間たちの生きざまを感動的に描いています。

 岡田准一は、主人公・国岡鉄造になりきり、重厚で気迫のこもった演技をしています。職人芸によるミニチュアと最新技術のVFXの組み合わせによる大正・昭和期の街並みや焦土と化した都市のたたずまいが見事です。山崎貴監督が自ら作詞した国岡商店の社歌が随所で歌われ、心に響きました。

 敗戦後、どん底から這い上がり、祖国を復興した私たちの親や先輩の世代の日本人は、どんな逆境にあっても、あきらめない。苦しくても希望を以て明るく生き抜く。そういう素直なたくましさを持っていました。この映画は、そうした日本人の魂を伝えてくれます。現代の私たちが取り戻すべきものが、そこに息づいています。
http://kaizoku-movie.jp/trailer.html

人権389~人間らしい生活とは

2016-12-16 09:35:27 | 人権
●人間らしい生活とはどういう生活か

 次に、人間らしい生活とは、どういう生活か。それは、人間らしさが保たれているか、または実現している生活である。人間らしさは、人間とは何かという問いから導かれるべきものである。私はその問いについて先に私見を述べたが、人間の本質についての認識が異なれば、人間らしさについての考え方も変わる。人間の自己認識は、歴史的・社会的・文化的に多様であり、また変化してきている。人間らしさという価値観も同様に多様であり、また変化する。人類は、それぞれの時代やそれぞれの文明・文化の違いを超えて、普遍的なものとしての人間らしさという概念に、未だ到達していない。このような現状において、人間らしさ及び人間らしい生活について考える時、私が一つのポイントと考えるのが、世界人権宣言に記された「人間の尊厳」の概念である。
 人間の尊厳については、第1部で基礎的な考察を行った。人権の内容並びに各国及び国際社会において最低限保障を目指すべき権利との関係で改めて述べるならば、人間らしさとは人間の尊厳が保たれている状態、人間らしい生活とは人間の尊厳が実現している生活ということができよう。だが、なぜ人間は尊厳を持つのかについて、世界人権宣言は記していない。諸文明・諸民族の代表が集まって合意した宣言の発表後、67年以上たつが、未だ人類は共通の認識を確立できていない。
 私見を述べると、尊厳は価値に関する概念である。人間は生命的な価値以外に文化的な価値や心霊的な価値を生み出す。そのことによって尊厳が認められる。人間の尊厳は、人間が生物的・身体的存在であるということのみからは、出てこない。生物的・身体的存在自体に価値があるとすれば、動物・植物・細胞等に至るまでの尊厳を言わねばならない。人間としての、動物・植物・細胞等とは異なる、人間自体の価値を言うのであれば、生物的・身体的存在の次元ではなく文化的・心霊的存在の次元に価値が認められねばならない。文化的・心霊的な価値を生み出す者としてこそ、他の事物や動植物等の生命体とは異なる人間の尊厳が認められる。そしてそれらの価値を生み出し、受け継ぐものとしての人格についても価値が肯定されねばならない。人間の尊厳は、個人の人格の価値と切り離しては成立しない。
 人間を単なる生物的・身体的存在と認識するなら、必要なものはミラーが基本的ニーズに挙げるうちの食物、水、衣服、安全な場所、身体的安全、医療だけでよいだろう。しかし、人間は文化的・心霊的存在でもあると認識する時、ミラーが基本的ニーズに含めるそれ以外の要素、すなわち教育、労働と余暇、移動や良心や表現の自由等が注目される。これらは文化的または心霊的な次元に関わるものである。セン及びヌスバウムのケイパビリティも、単に生物的・身体的次元の潜在能力ではなく、文化的・心霊的次元の潜在能力でもある。文化的・心霊的次元の潜在能力の発揮のためにも、その発揮に必要な条件として、最低限保障を目指すべき権利を明確化することが求められる。その際、ポイントとなるものもまた、人間の尊厳である。
 ミラーの基本的ニーズに関して私見を述べると、文化的・心霊的な存在としての人間には、家族的生命的な集団への所属が必要である。その教育は、家族的な人間関係を持つ集団において行われる。そうした集団に所属しなければ、言語・習慣等は習得できない。教育は、人間の特徴である言語による学習を含む。文字と数字を理解・使用する識字力の習得が教育の基礎をなす。セン及びヌスバウムのケイパビリティにおいても、集団における教育が重要である。ミラーの挙げる移動・良心・表現等の自由は、センが人間開発の目的とする自由の一部となるものである。ミラーは、これらの自由も基本的ニーズとする。これらの自由は、文化的・心霊的存在の次元のものである。人間は、自由を得ることで、文化的・心霊的な諸価値を生み出す活動を行う。
 ここで重要なのは、人間の尊厳が実現しているという意味での「人間らしい生活」は、個人の自由の拡大のみによって得られるものではないことである。人間は集団で生活する動物であり、集団の生活が向上して初めて、集団の成員である個人の生活も向上する。個人の生活の質が向上するためには、集団全体の生活の質が向上しなければならない。個人の自由は、私的な善である。個人の自由の拡大は集団の目的の一つではあるが、最高目的ではない。最高目的は公的な善である。集団の公共善が実現されることによって、個人の私的な善も同時に実現される。
 人間には、単に健康に成年まで生きられ、読み書き計算ができ、労働や生殖ができるというだけではなく、精神的・心霊的な目標を持って生きることが必要である。そして、人々が個々に自己実現・自己超越を目指すだけでなく、相互的・共助的に自己実現・自己超越を目指すサイナジックな社会が実現すれば、公共善と私的な善が同時に実現されることだろう。
 人間が互いに権利を認め、これを尊重し、保障し合うとすれば、その権利は人間の生み出した価値を尊重し、さらに創造的に発展させるために、行使されねばならない。人権は、権利のための権利ではなく、その行使には責任が伴い、義務によって裏付けられ、集団の目的に沿って、活用されねばならない。多くの人がそのような認識を以て、権利の行使をし、義務を実行するならば、人々が求める「人間らしい生活」が広く実現するだろう。
 ところで、人間が生み出すものに価値を認め、人間に尊厳を認める者は、人間自身である。仮にこの宇宙に人間以外に人間の尊厳を認める知的生命体及び霊的存在があったとしても、人間が人間自身に尊厳を認め、それを保持しようとしなければ、人間は自ら生み出した価値を見失い、破壊さえするだろう。自ら生み出した価値の破壊を行う時、人間は精神的に退化し、滅亡に向かうだろう。人類は未だ成長・発展の途上にある。さらなる精神的な進化の道を進むか、逆に退化・自滅の道を進むかーー人類の運命は人類自身の意思にかかっている。

●人権の定義の拡張

 さて、人間とは何か、人間らしい生活とはどういう生活かという問いについての項目を結ぶに当たり、これらの問いを踏まえて、人権に関して拡張した定義を記しておこう。
 基本的な定義としては、人権とは普遍的・生得的な「人間の権利」ではなく、歴史的・社会的・文化的に発達してきた「人間的な権利」である。このような権利として、人間が相互に権利を承認してきたのが人権の実態であり、人権とは人間の相互承認によって基礎づけられる権利である。
 この基本的な定義に正義論を踏まえた要素を加えるとすれば、人権とは公正としての正義を求める権利であり、自由の拡大と平等への配慮を求める権利である。また人権とは公正としての正義の実現のために人間開発と人間の安全保障を求める権利である。人権とは、人間の尊厳が実現されて「人間らしい生活」を送る権利である。「人間らしい生活」の質の向上を実現することが人間開発であり、また不利益を被るリスクを除き、生存のための最低限の安全を保障しようとするのが、人間の安全保障である。
 「人間らしい生活」における「人間らしさ」の観念は、集団的及び個人的な人格的成長・発展や社会の持つ価値観の変化、経済・社会・文化・文明の発達とともに変わっていく。一定不変のものではない。これと同様に、「発達する人間的な権利」としての人権における「人間的な」という観念もまた一定不変ではなく、同様に変化していく。
 人間とは自らに「人間とは何か」と問いながら、成長していく存在であり、「人間らしい生活」の実現に努めながら、その生活の中で成長していく存在である。

 次回に続く。

■追記
 本項を含む拙稿「人権ーーその起源と目標」第4部は、下記に掲示しています。
http://khosokawa.sakura.ne.jp/opinion03i-4.htm

トランプ時代の始まり~暴走か変革か6

2016-12-14 10:19:49 | 国際関係
●「アメリカ・ファースト」の外交政策

 トランプは、軍務を含めて公職に就いたことがなく、国家を担う外交も安全保障も経験がない。外交については「アメリカ・ファースト」を唱えており、自国第一主義の外交を試みようとしている。アメリカ的理念を広める理想主義的な外交ではなく、パワーバランスを保ちながら、個々の事象について実利を追及する現実主義的な外交を行うだろう。タフ・ネゴシエイターとして知られる実業家の発想で、交渉を「取引(deal)」と見て、外交問題を処理するだろう。イスラーム教過激派の掃討、不法移民のうち犯罪歴のある者の強制送還等を説いており、これらをテロ対策と絡めて実行する考えである。また、トランプは、ロシアのプーチン大統領を賞賛し、ロシアとの関係改善を望んでいる。その一方、中国に対しては、経済的・軍事的に強硬な姿勢を取ろうとしている。
 トランプの根底にあるのは、米国の伝統的なアイソレイショニズムである。アイソレイショニズムは、しばしば孤立主義と訳されるが、不干渉主義と訳した方がよい。国際社会で孤立しようというのではなく、自国以外のことには干渉しないという態度を意味する。
 現在の世界情勢は、ロシアがクリミアを併合し、第2次世界大戦後の秩序を暴力的に変更する行動を起こしたことで、大きく揺れ動いている。中国は南シナ海での軍事拠点づくりをして、覇権主義的行動を強めている。中東ではシリア内戦が深刻化する中からISILが台頭し、米・欧・露等が参戦し、一大国際紛争が繰り広げられている。ISIL掃討作戦は帰結が見えない。イスラーム教過激派によるテロが世界各地で続発し、米国内でも多発している。こうした情勢において、もしアメリカが自国本位の不干渉主義を取れば、世界の不安定化を助長することになるだろう。
 さらにアメリカが不干渉主義の姿勢を固めるならば、アメリカが世界のリーダーであることを止めることになる。仮にそうなれば、世界にリーダーがいなくなるおそれがある。近年、超大国アメリカが衰退する一方、中国・ロシア・新興国等が増勢することにより、多極化が進んでいる。そうした長期的な構造的変化の中で、アメリカが「世界の警察官」であろうとすることを止め、さらにリーダーであることからも退くならば、国際社会の力のバランスが大きく崩れる可能性が出て来る。そのため、トランプの自国第一主義的・不干渉主義的な発言は、多くの懸念を呼んでいる。
 だが、トランプはテロ対策に力を入れることを公言しており、今日のテロ対策には自国における対応を強化するだけでなく、テロリストの根拠地を殲滅することが不可決である。テロに関して自国の利益を第一に追及するには、その利益を損なう原因を国の内外から除去しなければならない。そこに、アメリカの不干渉主義を許さない現在の世界の状況がある。
 そうした中で、トランプは、米国の外交をグローバリズムの外交からアイソレーショナリズムの外交に転換しようとしている。これは大きな方針転換だが、トランプは、国家外交の素人である。外交の実務や研究に携わったことがない。それだけに外交の責任者である国務長官の人事が重要である。国務長官は最重要閣僚でもある。12月13日、トランプは、その要職にテキサスに本拠のある石油メジャー、エクソンモービルの会長兼最高経営責任者(CEO)、レックス・ティラーソンを指名した。ティラーソンもまた政府の外交関係職を経験したことがない。外交の方針を大きく転換しようというのに、大統領も国務長官も両方が、政治家としての外交の実務経験がないというのは、トランプ政権の弱点となるだろう。
 トランプは、「頑強不屈、幅広い経験、地政学への深い理解」を挙げて、ティラーソンが世界屈指の大企業を経営した手腕や原油国のロシアと大きな取引をしてきた経験を賞賛している。特に石油ビジネスを通じて築いてきたロシアのプーチン大統領とのパイプを、悪化した米露関係の改善につなげる意図があると見られる。ティラーソンは、1999年からプーチンと付き合いがあり、「非常に親しい関係」だと自ら語っている。ロシア側からエネルギー部門での協力強化が評価され、プーチンから外国人に授与する最高の「友情賞」を受賞している。ティラーソンは、ロシアがクリミアを併合した際はオバマ政権による経済制裁に反対した。自分の会社に大きな損害があったからである。それゆえ、ロシアに対して警戒心を持つ政治家やロシアに対して強硬な政策を行うべきとする共和党員などから、この人事への疑問や反発が上がっている。
 トランプは選挙期間中、プーチン大統領を賞賛し、プーチンを「バラク・オバマよりも優れた指導者だ」と発言した。米国は冷戦時代、旧ソ連を最大のライバルとしたので、大統領及びその候補者がロシアの指導者を賞賛するのは、異例である。トランプの一方的な思い入れではないかと思うが、プーチンの指導力を称えるとともに、ロシアとの関係改善の必要性を強調してきた。シリア内戦をめぐる米露対立を解消し、中東情勢を改善したうえで、米軍の力を対中国に集中する計画があるとも見られる。
 トランプの外交政策は、まだ全体像が見えない。それに比べ、安全保障政策については、かなり骨格が明らかになってきている。外交と安全保障は一体のものゆえ、安全保障政策の概要を把握したうえで、外交政策を検討するのが良いだろう。

●米軍の大増強を伴う安全保障政策

 トランプは、投票日直前になって、安全保障に関して、米軍の戦力を陸、海、空で増強し、最新のミサイル防衛システムを開発することが必要だとし、「米軍の大増強」に着手する考えを明らかにした。
 具体的には、(1)陸軍を49万人から54万人に、(2)海兵隊を18万人から20万人に、(3)空軍戦闘機を1113機から1200機に、(4)海軍を272隻体制から350隻体制に、などとする政策である。この政策は、88名に及ぶ現役の提督や将軍たちに公的に支持され、幅広く国防関係者たちの間でトランプ支持が広まったと伝えられる。
 そして、トランプ陣営は、米軍大増強策のもとに、政権立ち上げを進めていると見られる。安全保障関係の閣僚人事としては、早々に国家安全保障担当の大統領補佐官に、マイケル・フリンの起用が決まった。本職は、米政府の安保政策の方針を決める国家安全保障会議(NSC)の事実上の司令塔といわれる。フリンは元陸軍中将・元国防情報局長で、11月18日の安倍ートランプ会談で、トランプから首相にいち早く紹介された。イスラーム過激派への強硬姿勢で知られる。選挙期間中、10月に日本を訪れ、菅義偉官房長官ら政府関係者や自民党関係者と会談した。トランプは本気で選挙で勝つことをめざし、地ならしをしていたということだろう。
 国防長官には、元中央軍司令官ジェームズ・マティスが指名された。マティスは海兵隊の元大将で、アフガニスタンやイラクで戦闘を指揮し、中東地域を統括する中央軍司令官を2010年から13年まで務めた。トランプはテロ対策を重視しており、マティスの豊富な経験や、ISIL・アルカーイダ等への厳しい姿勢を評価したとみられる。マティスは、イランにも強硬姿勢を示しており、同国との核合意に反対している。軍人出身の国防長官となれば、66年ぶりとなる。海兵隊将官では初めてである。トランプが安全保障政策に力を入れ、軍備を増強し、強いアメリカの復活を目指していることの証だろう。マティス国防長官が実現した場合、安倍政権は、この真にプロフェッショナルな相手と連携できるように、自衛隊出身者等に防衛大臣を変えた方がよい。
 テロ対策や国境警備を統括する国土安全保障長官に元海兵隊大将のジョン・ケリーが指名された。フリン、マティスに続き、軍人経験者、特にイラクなどで戦いを経験した将軍たちの起用である。
 トランプは、12月6日ノースカロライナ州での演説で次のように述べた。「関与する必要のない外国の体制転覆を急ぐのはやめにして、テロの打倒や『イスラーム国』の壊滅に集中すべきだ」と。この発言と一連の人事から明瞭に浮かび上がるのは、トランプが安全保障政策において、国内外のテロ対策に最も重点を置き、また、テロ対策のために中東への対応に力を注ぐだろうことである。トランプは安全保障の素人ゆえ、こうした安全保障の専門家の意向が強く打ち出される可能性が高いだろう。
 テロ対策の強化、中東への軍事力増強のためには、先に書いたような軍備の増強が必要になる。軍備増強策の割合をみると、特に海軍に重点が置かれると見られる。アメリカ在住の戦争平和社会学者の北村淳氏は、「トランプ次期政権の軍事力増強案の根幹は『海軍力増強』であると言っても過言ではない」と言う。
 トランプ陣営の海軍戦略に関わっている政治家に、ランディ・フォーブス下院議員がいる。フォーブスは、海軍戦略分野における対中強硬派の代表格である。海軍長官への就任が予想されている。
 フォーブスは、オバマ政権は8年間で軍事力をそいで「ロシアと中国を勇気づけ、米国の軍事力をしのごうとする野望を抱かせた」と批判する。そして、今後10年にわたり世界貿易の3分の2、約5兆ドルが集中する太平洋地域は軍事的にも重要になると説く。海軍は、現場が必要とする保有艦船の42%しか満たされず、空軍は史上最も老朽化し、海兵隊も衰退している。そこで現在の海軍272隻体制を350隻体制に、18万人の海兵隊員を20万人にそれぞれ増強するという構想を述べている。そして、トランプ政権が軍事力の強化をすることによって、ロシアと中国は「軍備増強をしても無駄になると悟るだろう」と、「力による平和」の構築を語っている。この構想には、1980年代に、強いアメリカの復活を目指したレーガン政権が取った政策に通じるものがある。
 フォーブスの国家安全保障担当補佐官であり、トランプ陣営の防衛問題上級顧問であるアレックス・グレイは、次のように語っている。
 「トランプは、中国に対して十分な抑止力の効く軍事増強を果たす。レーガン政権以来の大規模な軍事力強化を図る。特に、南シナ海には中国を圧倒する海軍力を配備し、『力の立場』から断固として交渉する。平和で自由な国際秩序を乱す行動は、一切自粛するように強く求める」「トランプはさらに日本、韓国、さらに東南アジアの同盟国、友好国との間の共同ミサイル防衛網の構築に力を入れる。その上で中国に対し交渉を求めて、国際的な規範に逸脱する軍事、準軍事の行動に断固抗議して、抑制を迫る」と。
 それゆえ、トランプ政権が米軍の大増強、特に海軍力の増強をしようとしていることは、間違いないだろう。軍事費を約300億ドル(約3兆3237億円)増額させると見られる。
 軍事費増額のため、トランプは日本を含む同盟国に相応の負担を求めるだろう。拓殖大学客員教授の潮匡人氏は、「NATO(北大西洋条約機構)は加盟国にGDP比2%の軍事費を義務付けており、日本も同様の要求をされる可能性がある」と述べている。日本は、アメリカから大幅な防衛費の増大と自主防衛能力の強化を強力に求められることを予想しておかねばならない。
 トランプ政権が安全保障政策でやろうとしていることは、かつてレーガン政権が旧ソ連に対抗して軍備を増強したことと似ている。軍備増強には多額の費用が掛かる。レーガン政権は、レーガノミクスでそれをやった。だが、その結果、米国は巨額の貿易赤字と財政赤字という「双子の赤字」を抱え込むことになった。この点に関しては、経済政策の項目に書いたが、わが国は過去の経験をよく振り返り、主体的な対応をする必要がある。

 次回に続く。

人権388~人間とは何か

2016-12-13 08:52:21 | 人権
●人間とは何か

 人権の内容並びに各国及び国際社会において最低限保障を目指すべき権利に関して、主な論者の主張を概観した。次に私見を述べる。
 これまでの項目で私は、人権の範囲を定めるには、人間とは何か、人間らしい生活とはどういう生活かが問われねばならないと書いた。人間とは何かという問いについては、本稿の第1部で基礎的な考察を行い、第4部では折に触れてそれに基づく見解を述べてきた。ここで人権に関することに絞って、あらためて要点を書くことにする。その後、人間らしい生活について述べる。
 私は、人権との関係で、人間とは何かを問う際、次に述べることが考慮されるべきだと考える。キーワードは、個人性と社会性、生物性と文化性、身体性と心霊性、人格、共感である。
 人間には個人性と社会性、生物性と文化性、身体性と心霊性という三つの対で示される性質がある。個人性とは、身体的に自立し、個々に性別・年齢・世代等の違いがあるという性質であり、社会性とは、そうした個人が社会を構成して集団生活を行っているという性質である。生物性とは、生物であり動物であるヒトとしての性質であり、文化性とは、高度に発達した言語・技術・知能を持つという性質である。身体性とは、物質的な肉体を持ち、脳の機能によって生命活動を行うという性質であり、心霊性とは、肉体と脳と相関関係にありながら一定の独立性を示す精神的な霊魂を持つという性質である。
 人間は、個人的存在であるとともに社会的存在である。人間には、生理的欲求、安全の欲求、所属と愛の欲求、承認の欲求があり、さらに自己実現・自己超越の欲求がある。人間はこれらの欲求の充足を求めるが、欲求の実現は個人だけでは為し得ない。実現のためには、家族的な生命のつながりを基礎とした集団における協力を必要とする。近代西欧的なアトム的な個人という考え方は、生命の共有に基づく共同性を以て修正されねばならない。人間は、集団を形成し、また集団に所属しなければ、生存・生活できない。単体では生命の再生産ができない。人間は、雌雄の性に分かれており、両性の生殖活動によってのみ子孫が生まれる。男女の結合によって、父・母・子からなる家族を構成し、家族間で生命が共有され、集団的に生命の継承がされる。そうした家族を単位として、社会が構成され、国家が組織される。その国家を主要な単位として国際社会が組織されている。
 人間はまた生物的存在であるともに文化的存在であり、身体的存在であるとともに心霊的存在である。生物的・身体的存在としての人間は、生きていくために、空気や水や食料を必要とする。空気は誰もが自由に呼吸できるけれども、水や食料は集団的な活動を行わなければ、獲得できない。文化的存在としての人間は、言語を話し、道具を使う。言語や技術は、家族を中心に、親から子へ、世代から世代へと教育・継承される。そうした集団的な活動によって文化を創造・継承し、宗教・科学・技術・芸術を発達させる。心霊的存在としての人間は、自己を心霊的存在だと自覚し、死後の世界を考えたり、宇宙との一体性の回復や生命の本源への回帰を願ったりする。死は個人の終わりというだけでなく、集団における見取り、弔い、追想を伴う。それゆえ、人間は、単に生物的・身体的な存在としてだけでなく、文化的・心霊的存在として、互いに尊重されねばならない。
 人間にはまた各個人が人格を形成し、成長・発展させるという特徴がある。人格とは、道徳的または宗教的な行為を行い、法的または道徳的な権利義務が帰属し得る主体である。個人は家族の一員として生まれ、家族において成長する。諸個人は親子・兄弟姉妹・祖孫等の家族的な人間関係において、人格を形成する。そして親族や地域、民族、国家等の集団の一員として、社会的な関係の中で、人格を成長・発展させる。
 諸個人は、人格的存在として、社会的な実践を行う。その実践において、さまざまな価値を生み出す。人間は、生命的価値だけでなく、文化的・心霊的価値を生み出すことによって、尊厳が認められる。人格は、文化的及び心霊的な価値を生み出す主体であり、それゆえに人格にも尊厳が認められる。
 人格的存在としての個人は、その能力の行使を社会的に承認される。権利は、集団の権利あってのものであり、個人の権利は集団によって付与され、また保護される。権利の行使には責任が伴い、相互的な義務によって裏付けられる。権利は、それを保障する集団の目的に沿って用いられねばならない。
 人間には上記の欲求を実現する能力があるが、その能力を分析的に捉えるために、本能、知能、理性、知性、感性、感覚、感情、思考、霊性、徳性等の概念が一般に用いられる。それらの諸能力の共通の根にあるものの一つに、共感がある。共感は、人間が知能を発達させ、文化を創造・継承する上で、重要な役割を果たしてきた能力である。欲求のうち、所属と愛の欲求、承認の欲求、自己実現の欲求は、共感の能力の養成や発揮によってこそ、実現される。共感の対象・範囲は、親子、夫婦、兄弟姉妹から親族、友人等へと拡大され得る。また、共同体の内部の人々へ、さらに共同体の外部の人々へも拡大され得る。共感が広く諸集団を貫いて人類全体に働くならば、世界人権宣言にいう「人類家族」における共感と呼ぶことができるだろう。
 人格の成長・発展は、より豊かな共感の能力をもたらす。またそれによって共感を共通の根とする諸能力も発達する。相手の身になって感じ、考えることができる能力が大きく発達するならば、人々は相互の権利を承認し合い、また保障し合うようになり、権利は、集団の目的のもとに責任・義務を伴ったものとして発達するだろう。そして「発達する人間的な権利」としての人権は、人間の人格的な向上とともに発達していくだろう。
 21世紀の人権論は、人間は、共通の根に共感を持つ諸能力を集団的に発揮する人格的存在であるという人間観を取り入れるべきである。共感の能力に注目することによって、個人の人格を尊重しつつも、個人本位・権利志向ではなく、家族・民族・国家、責任・義務・目的を重視した人権論の構築が可能になるだろう。
 ところで、本稿でしばしば書いてきたように、諸文明・諸社会における価値観・人間観には、家族型による価値観が深く影響している。家族型のうち平等主義核家族、絶対核家族、直系家族、共同体家族の4つの主な類型における自由・権威、平等・不平等の価値の組み合わせによる価値観及びそれに基づく人間観の違いが、人類の相互理解を阻み、誤解や対立を生む一つの原因となっている。これらの家族型を、絶対核家族なり共同体家族なりに強制的に統一することはできない。それゆえ、家族型的な価値観に違いがあることを互いに認識し、自らの価値観を相対化して、家族型のレベルの価値観より、もっと基本的な、人類として共通している価値のレベルに立って、相互理解を進める必要がある。そのためにも、本稿に書いた個人性と社会性、生物性と文化性、身体性と心霊性、人格、共感という要素を考慮した人間観を目指す必要がある。

 次回に続く。

トランプ時代の始まり~暴走か変革か5

2016-12-12 09:25:17 | 国際関係
米国は中国マネー依存が薄れ、強硬策が可能に

 田村秀男氏は、トランプ政権の経済政策は「『米中版プラザ合意』になるのか、それとも激しい米中貿易戦争になるのか」と問い、「トランプ次期米政権では、かつてない日米緊密、米中緊張の構図になりそうだ」と見ている。そして、12月11日の記事で、安倍政権に対し、「通貨と安全保障を一体にした対中戦略でトランプ次期政権と足並みをそろえる」ことを提案している。
 田村氏がトランプ政権でかつてない日米緊密、米中緊張の構図になりそうだと見る理由は、「米金融市場の中国マネー依存が薄れたために、日本の金融協力を支えにしたトランプ・チームは選挙公約通り、対中強硬策に打って出られるから」だという。米金融市場の中国マネー依存が減ってきていることは、非常に重要な事実である。ここにオバマ政権の対中融和政策からトランプ政権の対中強硬政策への転換を可能にする経済学的根拠がある。
 田村氏は、先ほどの記事で概略次のような説明をしている。
 米国の中国マネー依存とは、米国は世界最大の債務国であり、外部からの資本流入に依存せざるをえないことによる。今年6月末の米国の対外純負債は8兆ドルに上っている。世界最大の債権国、日本は3・1兆ドル、中国はドイツとほぼ同水準の1・7兆ドルの対外純資産を持ち、米金融市場は日本と中国からの資金によって支えられている。中国は、2001年以降貿易黒字が急膨張し、その黒字分の一部を米国債購入に充当し、2008年には日本を抜いて最大の米国債保有国になった。同年9月15日のリーマン・ショック後、ワシントンは北京に米国債購入を求め続けた。翌年1月に発足したオバマ政権のヒラリー・クリントン国務長官は、中国に対し、人権侵害を一切口にせず、ひたすら下手に出た。北京は米国債を買い増しし続け、金融不安におののくオバマ政権とウォール街を安堵させた。以来、オバマ政権は北京に頭が上がらないままで、中国の南シナ海への進出や北朝鮮への国連制裁無視などに対して弱腰対応で終始し、人民元のIMF特別引き出し権(SDR)入りにも応じた。「国際通貨人民元」をテコにアジア全域を中国の勢力圏に取り込もうとする北京に対し、オバマ政権は無抵抗だったーーこのように田村氏は説明する。
 米国の対中貿易赤字は膨張の一途で、最近でも米貿易赤字総額の5割近くを占めている。中国は対米貿易黒字で年間約3500億ドルを稼いでいる。だが、中国はそれを米市場に還流させるどころか、米市場から投資を引き揚げている。その理由は「不動産バブル崩壊不安が漂う中国からの巨額の資本流出に伴い、北京当局が外貨準備のドル資産を売って、人民元を買い支えざるをえなくなっている」からだ、と田村氏は指摘する。
 田村氏は、次のように言う。「ワシントンは中国の金融パワーに頭を下げる情勢ではなくなった。大統領選でオバマ路線を継続し、中国に接近するクリントン氏が敗れ、路線をひっくり返すトランプ氏が勝つだけの大変化が米金融市場に起きたのだ」と。
 トランプは、経済面で中国を厳しく非難している。中国は人民元相場を低めに操作して対米輸出を増やし、米国の中間層から雇用機会を奪っているとか、「中国製品に45%の制裁関税をかける」とかと発言してきた。最近も、米企業の競争力が損なわれる人民元の切り下げと、南シナ海での巨大な軍事施設の建設を並べ、「中国が米国に対し、そうしてもよいかと尋ねたのか。自分はそうは思わない!」とツィートした。
 田村氏は、こうしたトランプの対中姿勢を評価し、「トランプ氏は経済、軍事の区別なく、中国の脅威に立ち向かおうとしている。正論だ」と述べ、「安倍晋三政権はこの機を逃してはならない。通貨と安全保障を一体にした対中戦略でトランプ次期政権と足並みをそろえるチャンスである」と提言している。
 安全保障については、次の項目に書くことにして、もう一点、経済政策に関することを書く。

●米国型資本主義は行き詰まっている

 田村氏は、歯に衣着せずに財務省・日銀を批判する数少ないエコノミストである。氏は、デフレ脱却のために、金融緩和だけでなく、大胆な公共投資の拡大を行うことを提言する一方、デフレ脱却の足を引っ張る消費増税には一貫して反対してきた。TPPについても、「対米協調は日本の基本路線には違いないが、自国優先の経済思想あってこそだ。国益を明確にして実現する強い意志がなければ、TPPは日本経済空白の30年をさらに延ばす」と懸念を表明してきた。
 さて、トランプ勝利の後、11月13日付の産経新聞の記事で、田村氏は、グローバリズムにノーを唱えたトランプを米国民の多くが支持した底流には「米国型資本主義モデルの行き詰まり」があると指摘した。米国型資本主義モデルとは、「世界最大の債務国米国が日本をはじめとする外部からの資本をニューヨーク・ウォール街に引き寄せることで成り立つ。そのための枠組みはグローバルな金融自由化ばかりではない。株主利益を最優先する企業統治という仕掛けとグローバリゼーションは一体化している」と言う。そして、「米国型資本主義には今や、トランプ氏のような異端者、劇薬の固まりのような人物の手を借りなければ、打破できないほどの閉塞感が漂っている」と田村氏は述べている。
 田村氏によると、米国型資本主義のモデルでは、企業財務のうち、株主の持ち分とされる「純資産」、すなわち株主資本に対する利益率が、金融市場の投資尺度とされる。「利益率を高める経営者にはストックオプションなど高額の報酬が約束される半面で、一般の従業員は絶えずリストラの対象にされ、給与は低く抑えられる。そんな金融主導モデルが全産業を覆ってきた」。「このビジネス・モデルはグローバリズムを推進した1990年代の民主党ビル・クリントン政権と2001年発足の共和党ジョージ・W・ブッシュ政権のもとで大成功を収めた。1994年には国内総生産(GDP)の4%余りだった外国資本流入は07年には16%近くまで上昇する間、ウォール街は沸き立った」。そして、「世界の余剰資金は住宅市場に流れ込んで住宅相場をつり上げた。住宅の担保価値上昇を受けて、低所得者にも住宅ローンが提供された。多くの家計は値上がり益をあてに借り入れ、消費に励み、景気を押し上げた」。だが、住宅の値下がりとともに、この借金バブルが崩壊した。それが2008年9月のリーマンショックである。「以降、米国への資本流入は不安定になり、縮小する傾向が続く。並行する形で、株主資本利益率が変調をきたした。上昇しかけても息切れし、低落する傾向にある。海外資金吸収は細り、そのGDP比は4%を切った。そして実体経済のほうは賃金の低迷、貧困層の拡大、中間層の消滅危機という具合だ」。これを田村氏は、「米国流株主本主義の衰退というべきか」と述べている。
 トランプは、共和、民主両党の主流派が推し進めてきたグローバリズムに「ノー」を突きつけ、国民多数の支持を得た。これから反グローバリズムの政策を行うだろうが、田村氏は、2国間交渉路線は「世界の自由貿易秩序を破壊し、米国にとってはもろ刃の剣だ」と警告する。また「安直なのはドル安路線だが、外国資本依存の米金融市場をますます弱体化させるだろう」と予想する。
 私見を述べると、米国は「物を作って売る」という経済の基本的な活動を軽視し、貨幣や証券のやりとりで利益を上げるという金融中心の活動に傾きすぎてしまった。製造業の衰退は、その結果である。米国のエリートは、大地の上に立って汗水流して働くのではなく、人工的な空間で頭を使うことだけで莫大な富を手に入れるゲームに熱中している。国民の多くが下層に至るまで、海外からの借金で豊かな生活をする生き方にはまってしまった。基軸通貨を掌握する地球的な覇権国家だから可能になった倒錯状態である。こうしたアメリカ人の生き方、価値観を改めない限り、米国経済の再建は成功しないだろう。必要なのは経済政策の転換よりも、生き方、価値観の転換である。オバマには、米国を根本的に再生しようとする理念も意思も見られなかったが、トランプも同様である。ここに気付かないと、いずれアメリカという帝国は腐敗・倒壊する。
 次に、わが国は、トランプの経済政策にどのように対応すればいいか。田村氏は「日本は表面的なトランプショックに惑わされず、米国モデル追随路線を見直す機会にすべきだ」と主張する。「米国型株主資本主義モデルをお手本とする日本の経済界の追随路線」では、日本産業界の株主資本利益率は米国をしのぐが、「実体経済への恩恵にならないどころか、むしろ成長の妨げになっている」と田村氏は指摘する。そして、次のように言う。「賃金の上昇を抑えて、株主資本の一部である利益剰余金を膨らませても、国内はデフレ圧力が高まる。デフレの下では円高になりがちなので、たとえTPPを推進しても国内産業が自由化利益を得るとはかぎらない。米国型モデルの不発ぶりは本家ばかりでないことをこの際認識し、日本型を追求すべきではないか」と。
 私は、田村氏の上記の提言の趣旨にも賛成する。日本人もまたグローバリゼイション=アメリカナイゼイションの進行の中で、アメリカ人の生き方、価値観を模倣し、本来の経済活動を見失っている。米国型株主資本主義の追従を脱し、日本型の国民全体や企業共同体の利益を追求する資本主義に立ち戻るべきである。田村氏の提言の根底にあるのは、わが国が主体的な経済政策を行うべきだということである。先に田村氏が、安倍政権に「通貨と安全保障を一体にした対中戦略でトランプ次期政権と足並みをそろえる」ことを提案していることを書いたが、これもわが国が自らの戦略を以って自らの意思で行うのでなければ、対米追従の繰り返しになる。中国経済は悪化し、米国の中国マネー依存が薄れ、米国の対中政策が強硬策に転じようとしている。その米国では、米国型資本主義が行き詰まっている。わが国は、米国型資本主義の模倣を脱し、日本型資本主義の再興を図りつつ、対中政策においても、米国に追従するのでなく、米国と対等の立場で連携する姿勢を取るべき時にある。次の項目に書く外交・安全保障についても同様だが、いまわが国はトランプ政権の誕生を前にして、独立主権国家としての真に主体的なあり方を迫られているのである。

 次回に続く。