●人権の内容に関わる人間開発と人間の安全保障
人権の内容を検討し、各国及び国際社会において最低限保障されるべき権利の範囲を考えるためには、センが提案した「人間開発」と「人間の安全保障」についても検討が必要である。
センは、人権の内容と実践に関する理論を構築するために、これらの概念を打ち出した。
まず人間開発について、センは以下の4つの点で、人権発達の取り組みに貢献するとする。
(1)人間開発の分析には明瞭な表現と明確さという伝統があり、その量的・質的指数が人権の分析に具体性を付与する。
(2)一つの権利の実現を促進するには、政策の選択の違いがどのような影響を与えるかについての評価が必要となり、これは、人間開発の分析と類似した試みである。
(3)人権は究極的には個人の権利を確立させることであるが、その実現は適正な社会条件の有無にかかっており、これには多元的な因果関係や相互作用に注目する人間開発の取り組みが参考になる。
(4)人間開発の理念は変化を伴うものであり、既存の人権概念に欠けているダイナミズムを備えているから、人権を長期的に考え、開発段階に応じた優先順位をつける上で有益である。
このように述べてセンは、人権を人間開発指数(HDI)で具体化・定量化し、政策の優先順位づけや評価を行えるようにした。センは、人間開発は「GNPを基準に発展のプロセスを理解するのではなく、人間の自由と潜在能力を全般的に高めることに焦点を絞るべきだ、とする考え方」であると言う。また、人間開発の目的は「人間の生活に制限や制約を加えたり、その開花を妨げたりする様々な障害物を取り除くこと」であると述べている。
センは、「自由こそは発展の重要な手段であると同時に主要な目的であると見なされなくてはならない」「人権の妥当性を検討する出発点として適切なのは、それらの権利の背後にある自由の重要性でなければならない」と述べる。それゆえ、人間開発は自由の拡大、ケイパビリティの拡大を目指すものである。
次に、人間の安全保障について、「人間の生にとってかけがえのない中枢部分を守り、すべての人の自由と可能性を実現すること」とセンは定義する。中枢部分とは何かについて、センは具体的に説明していない。その内容を明らかにするには、人間とは何か、「人間らしい生活」とは何か、を問わねばならない。これらの問いを回避するのでは、人権を深く考察することはできない。だが、センは、こうした問いを回避したまま、「人間の安全保障」という課題を提示している。
センは、「人間の安全保障」の概念には、少なくとも次の要素がきちんと含まれる必要があると述べている。
(1)「個々の人間の生活」に、しっかり重点を置くこと(例えば、「安全保障」を軍事的な意味に解釈しようとする「国家の安全保障」という、専門官僚的な概念とは対照的に)。
(2)人間が、より安全に暮らせるようにするうえで、「社会及び社会的取り決めの果たす役割」を重視すること(一部の宗教で強調されるような、個々の人間の苦境と救済を社会とは切り離したかたちで考えようとはせずに)。
(3)全般的な自由の拡大よりも、人間の生活が「不利益をこうむるリスク」に焦点を絞ること(人間開発を推進する広義の目標とは対照的に)。
(4)「より基本的な」人権(人権全般ではなく)を強調し、「不利益」に特に関心を向けること。
ここで(4)の「より基本的な」人権とは、どういうものか。センは具体的には提示していない。最も狭く解釈すれば、生存のための最低限の条件を享受できる権利と理解される。例えば、毎日世界中で3万人を超える子供が、脱水症、飢餓、疾病などの予防可能な原因で死亡しているとう現状を考えると、それらの子供たちが生存・成長できる条件を整えることが、権利の保障となる。
センは、「人権の概念と人間の安全保障の考え」には「補完し合う関係」があるとする。大まかに言うと、人間開発が自由の拡大を目指すもので、人間の安全保障が平等を考慮するものという関係にある。ロールズに基づいて人権とは公正としての正義を求める権利であると定義するならば、人権とは正義の実現のために人間開発と人間の安全保障を求める権利である、と言うことができる。これを自由と平等の概念を用いて言い換えるならば、人権とは、自由の拡大と平等への配慮を求める権利であり、人間開発は実質的な自由としてのケイパビリティの拡大を、また人間の安全保障は生存のための最低限の条件の平等を実現しようとするものである。
人間開発と人間の安全保障に共通するのは、人間である。センはその人間とは何かについて、深く考察していない。ただ実質的な自由の拡大を目指すべきと説き、また、より基本的な人権を保障するため、不利益をこうむるリスクの除去が必要であるとし、生存のための最低限の安全を保障しようとする。センにおいて、自由の拡大とは、自由意志による選択の幅の拡大である。拡大された自由を以て、何をすべきかについては、個人の選択に委ねられている。選択しないという自由もあるとする。選択する、または選択しないという意思決定の結果が、社会の公共善の実現に寄与するかどうかについては、積極的に論じられない。個人の私的な善の実現が優先されるからである。また、生存の実現を目指す場合に、生命的価値と文化的価値、心霊的価値の区別と位置づけについては、主題的に考察されていない。
私は、人間開発と人間の安全保障を組み込んで人権の内容を論じ、各国及び国際社会において最低限保障されるべき権利の範囲を検討するためにも、人間とは何か、「人間らしい生活」とはどういう生活か、が問われねばならないと考える。
次回に続く。
人権の内容を検討し、各国及び国際社会において最低限保障されるべき権利の範囲を考えるためには、センが提案した「人間開発」と「人間の安全保障」についても検討が必要である。
センは、人権の内容と実践に関する理論を構築するために、これらの概念を打ち出した。
まず人間開発について、センは以下の4つの点で、人権発達の取り組みに貢献するとする。
(1)人間開発の分析には明瞭な表現と明確さという伝統があり、その量的・質的指数が人権の分析に具体性を付与する。
(2)一つの権利の実現を促進するには、政策の選択の違いがどのような影響を与えるかについての評価が必要となり、これは、人間開発の分析と類似した試みである。
(3)人権は究極的には個人の権利を確立させることであるが、その実現は適正な社会条件の有無にかかっており、これには多元的な因果関係や相互作用に注目する人間開発の取り組みが参考になる。
(4)人間開発の理念は変化を伴うものであり、既存の人権概念に欠けているダイナミズムを備えているから、人権を長期的に考え、開発段階に応じた優先順位をつける上で有益である。
このように述べてセンは、人権を人間開発指数(HDI)で具体化・定量化し、政策の優先順位づけや評価を行えるようにした。センは、人間開発は「GNPを基準に発展のプロセスを理解するのではなく、人間の自由と潜在能力を全般的に高めることに焦点を絞るべきだ、とする考え方」であると言う。また、人間開発の目的は「人間の生活に制限や制約を加えたり、その開花を妨げたりする様々な障害物を取り除くこと」であると述べている。
センは、「自由こそは発展の重要な手段であると同時に主要な目的であると見なされなくてはならない」「人権の妥当性を検討する出発点として適切なのは、それらの権利の背後にある自由の重要性でなければならない」と述べる。それゆえ、人間開発は自由の拡大、ケイパビリティの拡大を目指すものである。
次に、人間の安全保障について、「人間の生にとってかけがえのない中枢部分を守り、すべての人の自由と可能性を実現すること」とセンは定義する。中枢部分とは何かについて、センは具体的に説明していない。その内容を明らかにするには、人間とは何か、「人間らしい生活」とは何か、を問わねばならない。これらの問いを回避するのでは、人権を深く考察することはできない。だが、センは、こうした問いを回避したまま、「人間の安全保障」という課題を提示している。
センは、「人間の安全保障」の概念には、少なくとも次の要素がきちんと含まれる必要があると述べている。
(1)「個々の人間の生活」に、しっかり重点を置くこと(例えば、「安全保障」を軍事的な意味に解釈しようとする「国家の安全保障」という、専門官僚的な概念とは対照的に)。
(2)人間が、より安全に暮らせるようにするうえで、「社会及び社会的取り決めの果たす役割」を重視すること(一部の宗教で強調されるような、個々の人間の苦境と救済を社会とは切り離したかたちで考えようとはせずに)。
(3)全般的な自由の拡大よりも、人間の生活が「不利益をこうむるリスク」に焦点を絞ること(人間開発を推進する広義の目標とは対照的に)。
(4)「より基本的な」人権(人権全般ではなく)を強調し、「不利益」に特に関心を向けること。
ここで(4)の「より基本的な」人権とは、どういうものか。センは具体的には提示していない。最も狭く解釈すれば、生存のための最低限の条件を享受できる権利と理解される。例えば、毎日世界中で3万人を超える子供が、脱水症、飢餓、疾病などの予防可能な原因で死亡しているとう現状を考えると、それらの子供たちが生存・成長できる条件を整えることが、権利の保障となる。
センは、「人権の概念と人間の安全保障の考え」には「補完し合う関係」があるとする。大まかに言うと、人間開発が自由の拡大を目指すもので、人間の安全保障が平等を考慮するものという関係にある。ロールズに基づいて人権とは公正としての正義を求める権利であると定義するならば、人権とは正義の実現のために人間開発と人間の安全保障を求める権利である、と言うことができる。これを自由と平等の概念を用いて言い換えるならば、人権とは、自由の拡大と平等への配慮を求める権利であり、人間開発は実質的な自由としてのケイパビリティの拡大を、また人間の安全保障は生存のための最低限の条件の平等を実現しようとするものである。
人間開発と人間の安全保障に共通するのは、人間である。センはその人間とは何かについて、深く考察していない。ただ実質的な自由の拡大を目指すべきと説き、また、より基本的な人権を保障するため、不利益をこうむるリスクの除去が必要であるとし、生存のための最低限の安全を保障しようとする。センにおいて、自由の拡大とは、自由意志による選択の幅の拡大である。拡大された自由を以て、何をすべきかについては、個人の選択に委ねられている。選択しないという自由もあるとする。選択する、または選択しないという意思決定の結果が、社会の公共善の実現に寄与するかどうかについては、積極的に論じられない。個人の私的な善の実現が優先されるからである。また、生存の実現を目指す場合に、生命的価値と文化的価値、心霊的価値の区別と位置づけについては、主題的に考察されていない。
私は、人間開発と人間の安全保障を組み込んで人権の内容を論じ、各国及び国際社会において最低限保障されるべき権利の範囲を検討するためにも、人間とは何か、「人間らしい生活」とはどういう生活か、が問われねばならないと考える。
次回に続く。