ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

先覚~政治介入は一切ない?

2010-10-03 09:41:28 | 時事
 10月1日、国会で菅首相の所信表明演説が行われた。予想通り、全体に抽象的で具体性のない内容だったが、その中で私が最も注目したのは尖閣沖事件に関する部分である。
 首相は尖閣諸島について「領土問題は存在しない」と述べた。これは当然のことだが、日本国内でいくら言っても、無意味である。首相は、中国・温家宝首相が尖閣について「中国の神聖な領土」と述べたとき、即座に日本の立場を自ら述べるべきだった。また国連総会の場で2度も演説の機会がありながら、事件に触れなかった。国民から批判の嵐が起こると、アジア欧州会議(ASEM)首脳会議に出席して日本の立場を説明することにした。菅氏には日本外交の最高責任者という自覚が見られず、無責任かつ場当たり的である。
 所信表明演説で首相は、外交や日中関係にかなりの時間を当てた。「今日の国際社会は『歴史の分水嶺』とも呼ぶべき大きな変化に直面している」という認識を示し、こう訴えた。「国民一人ひとりが自分の問題としてとらえ、国民全体で考える主体的で能動的な外交を展開していかなければならない」と。
 「国民一人ひとりが自分の問題としてとらえ、国民全体で考える主体的で能動的な外交」――この言葉は、学者や評論家、ブロガーが書くなら趣旨賛同する。しかし、総理大臣の言うべき言葉ではない。外交をt多確かに「国民一人ひとりが自分の問題としてとらえ、国民全体で考える」ことは必要だ。しかし、外交は専門的な知識、高度な技術を要し、機密情報の収集・分析に預かるプロフェッショナルな国事である。菅氏は、外交を市民運動の延長程度に考えているのだろうか。「主体的で能動的な外交」を行う能動的主体は、あくまで政治家であり官僚である。今回の事件においても、国辱的な外交をしたのは首相であり、外相であり、官房長官ではないか。その責任意識もなく、国民に対し「みなさんで考えてください」とは何事か。

 所信表明演説に先立つ衆議院予算委員会において、菅首相、仙谷官房長官は、自民党の小野寺五典議員の質問を受け、今回の事件で政治介入は「一切ありません」と断言した。しかし、これは疑わしい。
「週刊文春」10月7日号は、「菅・仙谷『売国政権』 小誌だけが知る『土下座外交』全内幕」と題した記事に大意のように伝えている。

 ―――9月21日、温家宝首相の「さらなる対抗措置を取る」という発言があった。「その直後から検察幹部が、『官邸から圧力がかかっているようだ』と漏らしはじめたのです。仙谷官房長官周辺が『何とかならないか』と揺さぶりをかけてきたようです」(検察関係者)。
 23日に行われた外務省の中国・モンゴル課長は、検察側の説明では那覇地検が「独自判断」で呼んだことになっている。だが実際には、官邸が協議の上、課長を地検に派遣した。
 24日午前10時、最高検会議室で「検察首脳会議」が開かれたのも、官邸のそうした動きを受けてのものだった。大林検事総長をトップに、伊藤鉄男最高検次長検事、那覇地検の検事正らが出席した。この会議で中国人船長の釈放が決まった。
 釈放が決まると、午前11時45分、法務省の刑事局長が柳田稔法相に報告を入れた。それを受け柳田氏はすぐさま仙谷官房長官に面会した。面会は1時間に及んだ。
 この時点でも、会議に参加しなかった検察幹部は、十分起訴できる、27日ごろ処分発表だろうと考えていた。しかし、検察幹部の知らぬ間に「検察首脳が官邸と握ってしまった」(全国紙社会部記者)。
 現場の幹部に情報が降りてきたのは、那覇地検の会見が始まる30分前。最高検が、鈴木次席検事が読み上げるペーパーを作成した。その文面は会見の30分前には官邸にも届けられ、仙谷官房長官も目を通していた。――ー「こうして官邸と検察の最高首脳による電光石火の釈放決定がなされた」と文春の記事は書いている。

 政治介入は「一切ありません」と断言した首相、官房長官は、大嘘を言っている可能性が高い。アメリカ政府とのやり取りも含めて、高度な政治判断があったはずである。外交に関しては、国益のために、何もかも明らかにする必要はない。しかし、政府が自分たちの失態を隠すために、国民を欺くことは許されない。また国民がそれを放任していれば、無責任で屈辱的な外交が繰り返され、主権は侵され、国益は失われる。政府は政府の立場で、国民は国民の立場で主権を守り、国益を追求することが必要である。

 次に、今回の尖閣沖衝突事件について、概要をよくまとめている記事があるので、資料として掲示しておく。

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●産経新聞 平成22年10月2日

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/101002/plc1010020447000-n1.htm
【土・日曜日に書く】論説副委員長・高畑昭男 菅外交はどこで敗れたのか
2010.10.2 04:47

 英国史上最悪の政治家は?-と問われると、英国民は「チェンバレン首相」を挙げるという。第二次大戦直前、ナチス・ドイツとの対決を回避するために、ひたすら妥協や譲歩(宥和(ゆうわ)政策)を重ねてヒトラーを増長させた。
 チェンバレンの外交は戦争を防ぐどころか、結局は大戦を招く結果となり、失意の辞任に追い込まれた。後継のチャーチル首相も戦後、「宥和政策がなければ、大戦もホロコーストも防ぐことができた」と手厳しかった。
 尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件で菅直人政権が示した情けない対応も、「現代版のチェンバレン外交」という汚名から逃れられないのではないか。事件発生から中国人船長釈放までの経過を振り返ると、あまりに稚拙な過ちが多かったからだ。

◆基本原則発信せず
 その第1は、そもそも事件発生直後の段階で、外相なり政府高官名で「領海侵犯を認め、謝罪と損害賠償に応じない限り、漁船、乗組員、船長の釈放には応じられない」と、解決へ向けた基本原則や条件を含む明確な声明を発信しておかなかったことだ。
 中国漁船は領海侵犯と違法操業を重ね、海保の巡視船に体当たりを繰り返した。外交決着を視野に置くなら、その原則と最低限の条件を明示するのが筋だろう。それなのに、政府は漫然と「粛々と法に従って処理する」と繰り返すだけで、「何が問題で、どうすれば解決されるのか」を中国や世界に主張も説明もしなかった。
 「謝罪と賠償」をどちらが先に発信するかは、国際世論に「誰が被害者で、誰が加害者か」という心証を形成させる上で極めて重要な外交手順だ。領海侵犯や巡視船破損などの「被害者」は日本だったにもかかわらず、菅政権はそうした初動を怠り、船長の釈放後、中国から逆に「謝罪と賠償」を要求されてあわてふためいた。
 過ちの第2は、日本の主張を立証し、要求を勝ち取るカードともなる漁船と乗組員を早々に中国に帰してしまったことだ。

◆カードも手放す
 中国に戻れば、船体や乗組員の証言に手が加えられる恐れが十分に予想される以上、相手の対応を確認するまでは証拠(船体)と証人(乗組員)をとどめておく必要があった。海保が撮影したビデオ映像を当初から公開していれば、さらに万全といえただろう。
 政府と海保は「漁船が意図的に体当たりしてきた悪質事案」と主張する。これを疑う余地なく示すには、乗組員らの供述や船体写真などを世界に明らかにして後から手を加えられないようにしておくべきだったのではないか。証拠も証人も手元にない今となっては、「水掛け論」で問題の所在もうやむやにされかねない。
 いうまでもなく漁船の公務執行妨害は刑事分野で、巡視船の損害賠償は民事の分野にあたる。一般の交通事故でも、刑事罰とともに賠償責任が問われる。今回被害を受けた巡視船は国民の血税で支えられた国家財産であるだけに、政府の責任はなおさら重い。
 にもかかわらず、仙谷由人官房長官が巡視船の修理代を要求したのが事件後20日もたってからだったのは、あきれるほかない。船長釈放の理由の一つとされた「被害が軽微だった」(那覇地検)という判定とも首尾一貫しない。
 巡視船2隻の修理費は「1千万円程度」と報じられた。1千万円を「軽微」とする感覚も大いに疑問だ。地検の決定を「了とした」仙谷氏らは、このことも含めてどう説明するのだろうか。
 首相はベルギーで開かれるアジア欧州会議(ASEM)首脳会議に出席して日本の立場を説明するという。それ自体は当然にせよ、その前に国連総会の場で2度も演説の機会がありながら、この問題に触れなかったのは、いかにも泥縄の対応といわざるを得ない。
 戦略的広報の欠如、外交発信の不在、交渉カードの放棄-など、挙げていけば際限がない。
 要は海千山千の国を相手にした権力外交のイロハを全く知らなかったことと、「政治主導」といいながら、収拾を地方検察に押し付けてすまそうとしたことが「屈辱的退却」(米紙)と呼ばれた大敗北の原因ではないか。

◆責任と国家意識の欠如
 何よりも、国家と国益をあずかる政権中枢にありながら、菅氏や仙谷氏らには、領土や主権を侵された上に国家財産を損傷させられたことに対する責任感や国家意識が少しも感じられないのだ。
 今回の事件では、中国もその異様な行動で世界の懸念をかきたてる結果となった。それはそれとしても、日本の大切な国益が失われた事実に変わりはない。名宰相チャーチルをもってしても、この損失を取り戻すのは容易ではないだろう。(たかはた あきお)
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