西部劇と懐かしのカントリー&ウェスタン日記

現代とはかけ離れたOld Countryの世界ですがずっと続けていきます。興味のある方は時々のぞいてみて下さい。

グランパ・ジョーンズ物語 (5)

2011年06月27日 | つれづれに
 
Sacred Song について・・・・・・

米国盤 King Records K-111  Brown's Ferry Four  Sixteen Sacred Songs Vol 2

(1)Will The Circle Be Unbroken (2)Just A Little Talk With Jesus (3)If We Never Meet Again (4)The Lord Is Watching Over Me (5)Everybody Will Be Happy Over There (6)Hallelujah Morning (7)When The Good Lord Cares (8)Over In The Glory Land (9)When He Blessed My Soul (10)I'm Naturalized For Heaven (11)When He Calls His Reapers (12)Throne Eternal (13)I'll Meet You In The Morning (14)Jesus Hold My Hand (15)We Should Walk Together (16)There's A Page In The Bible


日本盤 Monument Records M-1111  Grandpa Jones Remembers The Brown's Ferry Four

(1)On The Jericho Road (2)I'll Meet You In The Morning (3)When I Get To The End Of The Way (4)No Tears In Heaven (5)Gone Home (6)Turn Your Radio On (7)Keep On The Firing Line (8)Just Over In The Glory Land  (9)Old Camp Meetin' Time (10)Empty Mansion (11)The Glory Land Way


カントリー系( Country & Western, Bluegrass ) の音楽では昔から必ずといっていいほどセイクレッド ソングが出てきます。宗教的な-とか信仰に根ざした歌なので Country Music が好きといってもこの Sacred Song については私達日本人にはいまひとつ解りずらいところがあります。 Sacred song, Hymn, Gospel・・・・・などと呼ばれてメロディラインのきれいな曲がたくさんあって素晴しいと思うのですが、これがどういうことを意味するのか、呼び方が色々あるのは何か違いがあるのか、どういう時に歌われるのか、などはよくわからないです。 若い頃から歌う人もいれば、盛りを過ぎてからゴスペル専門みたいになった歌手など様々ですし、この手の歌をほとんど歌わないカントリー歌手もいます・・・・・「 懐かしの~ 」でいえばジミー・ロジャースをはじめボブ・ウィルス、ハンク・トンプソン、レフティ・フリッツェルなんか歌っていませんね。 また、欧米系の人達にはこの歌(賛美歌など)はこんな時に歌うのであってそれ以外では歌わない、歌ってはいけない・・・・・などの暗黙の決まりごとがあるように思えて 適当に歌っていると ”エッ、なんでこんな時に? ” なんてことがあるのではないでしょうか。

手がかりになるようなことが Browns's Ferry Four のアルバム解説に載っていました・・・・・・以下はその訳です・・・・・・

”What is the appeal of Sacred Music ?(セイクレッドソングの魅力とは一体何でしょう)”この問いかけに対してこれまでにも沢山の答えがありましたが今日この問いは依然として続いています。多分連綿として続くセイクレッドソングへの best answer の一つに ”Sacred Song はあらゆる信仰の人達に訴えかけるもので、これらの歌は音楽として作られたがゆえに音楽は永遠のものになりうるのだ、それは永遠に続くことになろう”というのがあります。これは大袈裟にすぎるように思われますが sacred song の詞と音楽にはそれを聴く人達との間にゆるぎない確かな継続性があることを思うと、セイクレッドソングが持つ永遠性すなわち何百年も続いてきながら今日でも同じように受け入れられるものであるということは否定できないものです。同様に同じ詞と音楽がこれから先何百年も受け入れられていくであろうことは容易にいえることです。

流行歌(flash song)はヒットパレードをパワフルに席巻してはすぐに新しい曲にとってかわられますが、 sacred music は何年にもわたって人気を保ち続ける-といったことがあります。毎年のように多くの新しい sacred song が生まれて すぐに世界的に受け入れられていきますが、その愛好者達のふるいに欠けられて生き残った歌というのはすぐに消えていったりはしません。流行歌のように新しい sacred song にとって代わられるなどということもないのです。このことは sacred music の特異なところです。セイクレッドソングの song list が増えることはあっても決して無くなることはないでしょう。多くの人にとって sacred song は創造的なもので、審美的な経験です。また別の人にとっては瞑想や平和を喚起させるものです。

sacred music は個人的なものです。それはある個人の聴き手のために書かれたものであり自分流に解釈されたものです。このアルバムでは色んな趣向に応えるべく16曲の sacred song をとりあげました。曲によっては創造的だったり審美的だったりですし喜びに満ちあふれたものだったり悲劇的なものだったりです。 解釈の仕方は今日ではレコードから得られるものでしょう。Sacred music の愛好者の間では The Brown's Ferry Four は何年にもわたってトップグループでした。

<ひとこと>
私の考えですが、解説の中に ” Sacred music is written for the individual listener to be translated in his own way. ” という文章がありますがこれが key sentense で、全てを言い当てているように思います。

ハンク・ウィリアムス作の一連のセイクレッド集とかクリス・クリストファーソン作の名曲 ” Why Me ”、古いカントリー歌手スチュアート・ハンブレン作の ”It Is No Secret ”とか ずっと以前にブログに載せたチッキー・ウィリアムス作の ” Beyond The Sunset (夕日の彼方に)” なんかもこの文章のように個人的に自分流の思いを託した歌だったものが多くの人に受け入れられたものなんだと思います。 有名な賛美歌だって大昔に遡れば同じような状況で出来た歌なんでしょうきっと。多くの人のふるいにかけられて残った歌というのは強いですね。
グランパ・ジョーンズには直接は関係なかったですが The Browns Ferry Four という過去のグループを通じて Sacred Song がどんなものであるかの一端を知ることが出来たように思います。 最後に赤いジャケットのレコードは後年になってグランパ・ジョーンズがその想い出として Monument Records 時代に出したものを日本のレコード会社が出してくれたものです・・・・地味な企画なのであまり売れなかったかもしれません(私も珍しいものとは判っていても発売当時買わなかったです、ずっと後になって500円位になっていた中古LPを見かけて買いましたが ほとんど新品同様でしたから買っていた人も何回もは聴かなかったんだと思う)

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グランパ・ジョーンズ物語 (4)

2011年06月27日 | つれづれに
 
Grandpa Jones 物語 (4)
・・・・・Brown's Ferry Four について  

米国盤 Gusto (Starday) Records SD-3017 Brown's Ferry Four ” 16 Greatest Hits ”

(1)Over In The Gloryland (2)Heaven Eternal For Me (3)When The Redeemed Are Gathering In (4)You Must Be Born Again (5)What Shall I Do With Jesus (6)Praise God! He Loves Everybody (7)The Arm Of God (8)Can't You Hear Him Calling (9)Everybody Will Be Happy Over There (10)Rock Of Ages Hide Thou Me (11)The Lord Is Watching Over Me (12)When The Good Lord Cares (13)Eternity Without Him (14)Bound For The Shore (15)If We Never Meet Again (16)Will The Circle Be Unbroken


オールドカントリーに興味を持っていると(何も Country Music だけに限りませんが)色々な関連があるので まるで木の枝葉が茂るように次々と面白そうなことが出てきます。 たとえば今回のグランパ・ジョーンズに例をとると 人物だけでもそこから・・・・ブラッドリー・キンケイド~Wendell Hall~カズン・エミー~マール・トラヴィス(往年の Country Guitar の名手)~デルモア・ブラザーズ(素晴らしいヒルビリーデュオの兄弟)、そしてM.トラヴィスからはカントリー・ギターについてとか~Joe Maphis や Johnny Bond 、Hank Thompson ・・・・・・といった具合に往年のカントリースター達へと無限につながっていって興味がつきません。それに加えてレコード会社や Grand Ole Opry だけでなくて Boone County Jamboree、WWVA Wheeling Jamboree といった沢山のカントリーミュージックショウもあって 未知のことがいっぱいです。 アメリカの Country Music の歴史はやがて1世紀になろうとしていますが、広い大地に色とりどりの人物、グループがいて・・・・・・と考えてくると Country Music の世界は昔から奥が深いことこの上ないものと感じます。日本では Country Music は超マイナーな領域なので音楽関係の本なんかもロックやジャズに比べたら1000:1( この数字、決して誇張だとは思いません )といってもいいでしょう・・・・・・一番アメリカ的なところが除外されていると思います。

さて、グランパ・ジョーンズ、マール・トラヴィス、デルモア兄弟の4人が 「 ブラウンズ・フェリーフォー 」なる Country Sacred Song を歌うグループを組んで活動したという話が出てきましたが、ちゃんと「 Brown's Ferry Four 」のレコードも過去には出されていたんですね。 私は再発盤ですが2枚だけ持っています・・・・・・ここに載せたLPレコードに The Brown's Ferry Four というタイトルで解説が載っていますので Grandpa Jones 関連として訳して載せることにしました。もちろん古い話なので書いてある内容もその当時のこととして理解してください。

Grandpa Jones (1913~1998年 ケンタッキー州出身 )
Merle Travis(1917~1983年 ケンタッキー州出身 )
Alton Delmore(1908~1964年 アラバマ州出身 )
Rabon Delmore(1916~1952年 アラバマ州出身 )

< The Brown's Ferry Four >

The Brown's Ferry Four. 北部アラバマにある小ちゃなコミュニティなのに有名、でもそんな場所が存在している-ということはほとんど誰れも知らないというのですから何とも皮肉なものです。
アラバマ州の Browns Ferry は有名なデルモア ブラザーズ( 兄 Alton 弟 Rabon )の誕生地で 2人が子供時代を過ごしたところです。兄弟は自分たちの故郷に誇りを持っており、彼等の初めてのレコーディング曲のひとつに ”The Browns Ferry Blues ” という大ヒット曲があるくらいです。 Brown's Ferry Four の半分はデルモア兄弟ですから この偉大なゴスペルカルテットが結成された時に(故郷の名前をつけて) The Browns Ferry Four という名前になったことは自然の成り行きといえるでしょう。残りの2人はケンタッキー州 Drakesboro 出身のマール・トラヴィス、それにマールの故郷に近いケンタッキー州 Henderson 近郊出身のグランパ・ジョーンズでした。

THe Browns Ferry Four のメンバーにいるグランパ・ジョーンズというのは全国放映のテレビショウ ” Hee Haw Show ”に出ているあのグランパと同じ人物なのか?・・・・とか ”Ole Rattler ”や ” Eight More Miles To Louisville ”等のヒット曲を出しているグランパと同じ人なのか?・・・・・と不思議がる人たちがたくさんいますが・・・・そうです同じ人物なんです・・・・しかも今年(1977年)The Country Music Hall Of Fame にノミネートされた本人なんです(グランパは1978=昭和53年に正式に選ばれた)。

The Browns Ferry Four でギターとバスボーカルを担当しているのは今年(1977=昭和52年)The Country Music Hall Of Fame に選出されたマール・トラヴィスでした。マールは国内で最も有名なギタリストの一人ですし、歌手としてもソングライターとしても多くのヒット曲をもっている人です。数ある曲の中でも ”Sixteen Tons ”、” Smoke, Smoke, Smoke ”、” Dark As A Dungeon ”はその一部です。

 The Browns Ferry Four が誕生したいきさつもほとんど信じがたいくらいのものです。1941(昭和16)年にデルモア ブラザーズはオハイオ州シンシナチの WLW 局にラジオ出演していましたが、マール・トラヴィスとグランパ・ジョーンズもそこのスタッフとして働いていました。各自それぞれの活動をしていたのですが、時々は WLW 局の土曜の夜に開かれる The Boone County Jamboree という Country Music Show に一緒に出演することがあったのです。

4人ともゴスペルがとても好きだったので同じショウに出逢わせた時にはステージやラジオ出演の合間に空き部屋を見つけては4人で歌い、時にはホールの通路でだったり、ショウの行き帰りのバスの中で-といった具合にマール・トラヴィスのギターに合わせて好みのゴスペル曲を歌ったのでした。この4人の若者によって醸し出されるクロスハーモニーとユニークなゴスペル曲 のことがすぐにラジオ局の番組制作者達の耳にもは入り、それをラジオ番組として流してみて 聴いている人達がどんな反応を示すかみてみよう-ということになったのでした。その結果 反響がすこぶるよくて 彼らの番組が WLW 局から放送されたものの中でも最も人気のあるショウになったのでした。 The Browns Ferry Four の急激な人気の高まりを聞きつけて、King レコード社からレコーディングしないか-ともちかけられたので4人もその申し出を受けたというわけです。。
以下はその後の History です。

The Browns Ferry Four が成功を収めたのは第二次世界大戦の最中でしたので Alton Delmore と Grandpa Jones は軍隊に入って従軍しました(グランパは陸軍に、アルトンは海軍に)、2人が帰国してみるとマール・トラヴィスはカリフォルニア州のハリウッドに移っていました。 グランパ・ジョーンズは Grand Ole Opry に加わり デルモア ブラザーズはテネシー州メンフィスの WREC 局へ行くことになりました。 こうして(4人が離れ離れになってしまった結果) The Browns Ferry Four のラジオ番組 は終わりを告げたのでした。

しかし、彼等は一緒にさらなるレコーディングを行なっています。テネシー州ナッシュビル(アメリカの Country Music のメッカ)での最後のレコーディングにはマール・トラヴィスは参加できませんでしたので マールの代わりのバスボーカルが必要だったために Hall Of Fame メンバーの中の誰かに頼む必要がありました。 ゴスペルが好きで しかも The Browns Ferry Four のスタイルに共感を寄せてくれる人物として Red Foley に白羽の矢が立って 彼が十分にマールの穴を埋めてくれたのでした。
このアルバムには Last Recording からレッド・フォーレーがバスボーカルで参加した3曲が含まれています・・・・即ち ” Everybody Will Be Happy Over There ”、” The Lord Is Watching Over Me ”、” When The Good Lord Cares ”です。このアルバムの素晴らしさは明らかにデルモア兄弟、マール・トラヴィス、グランパ・ジョーンズ の4人からなる ”The Browns Ferry Four ” が歌う Country Gospel 愛唱集にあるということができます。   ・・・・・・・・・・以上が解説です・・・・・・・次回に続く

<ひとこと> 聴いての感想は後日書く予定です
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