西部劇と懐かしのカントリー&ウェスタン日記

現代とはかけ離れたOld Countryの世界ですがずっと続けていきます。興味のある方は時々のぞいてみて下さい。

往年の西鉄ライオンズの2戦士がひっそりと

2016年12月21日 | 西部劇 君の名は? ...
 
往年の西鉄ライオンズの戦士達がひっそりと 
あまりにも訃報が多かったので控えていましたが、やっぱり採りあげておかなきゃ・・・・・と思って載せました。 
「 西鉄ライオンズ 」・・・・・自分には懐かしいく響きます。その戦士がポツポツと欠けていきます、ファンだったから気になります。この二人、豊田さんは私の少年時代の憧れ、加藤 初(はじめ)投手は同世代の戦士。 
私がまだ小学校の頃に福岡に拠点を置くプロ野球球団 西鉄ライオンズが全盛時代であった。親の仕事の関係で九州内のあちこちを移動して住んだので小学6年生の頃は福岡市香椎香住ヶ丘というところに住んでいた。香椎花園という公園( 今もある ) があってすぐ隣りに野球場があった・・・・球場自体は今はなくなりましたが、昔そこに合宿所みたいな建物があってプロ野球の2軍選手( たぶん )がきて練習をしていた。 熱心な野球少年だった私は香住ヶ丘1~6区の野球大会に向けて練習の日々だったので時々同じ仲間と合宿所に遊びに行った・・・・・ライオンズの選手だったと思いますがいましたいました・・・・・でもどんな選手たちだったか覚えていないですが。 
パリーグの球団「 阪急ブレーブス 」 にバルボンという黒人選手がいましたが( もう知っていると歳がばれるような名前です )、その人をここで見ました(smile)
さて、8/14に81歳で亡くなった豊田泰光さんですがカッコいい選手でした。顔のほりが深くてちょっと外国人的な風貌といってもいいのかな、茨城県の水戸出身で気の強い ”水戸っぽ ”という感じ。 母親にくっついて福岡に来た時、そこの小学校の少年達はもうほとんどが西鉄ライオンズのファンで、転校生の私が巨人が好き( 当時は巨人ファンだったので )というと白い目でみられて驚いたものです・・・・・でもしばらくすると何で西鉄ライオンズなのかがわかってきました。田舎球団だけど強かったし選手の個性が強かった・・・・そしてやがて自分も熱心な西鉄ファンになってしまったのでした。 
数年前、柳川の運河めぐりの舟に乗りに行った時 漕いでいた船頭さんが鹿児島出身の愉快なおじいちゃんでしたが、その人が漕ぎながら色んな話をするんですが、西鉄ライオンズの全盛時代の選手の打順を覚えていて選手の名前を挙げていくんですね・・・・・僕は可笑しくて懐かしくてあがったときに思わず ”面白かった! ” といってチップ1000円あげてしまったのでした。 中西、豊田、稲尾、大下、和田、高倉、関口、城戸、玉造、仰木・・・・・等の選手達、アハハまだ船頭さんのようなこんな人がいるんですね(smile) 
 
やがて西鉄ライオンズの黒い霧事件が起こります・・・・・八百長事件で多くの主力選手が抜けていき、戦力ダウンしたライオンズはその後低迷・・・・・その時代のライオンズの屋台骨を支えたのが東尾 修(おさむ=プロゴルファー東尾理子のお父さん)とこの加藤 初(はじめ)の両投手だったんですよ。だから、その時代を知っている僕(僕だけじゃないはず)はどうしても巨人の加藤 初じゃなくて ”西鉄ライオンズの加藤 初 ” なんです・・・・・・合掌。 
新聞では帽子のマークがジャイアンツのものでしたがそうじゃないっ!ライオンズのマークだ!!・・・・というわけで勝手に付け変えた(smile)。 
3人で写っているのは左から中西 太(ふとし)、豊田、右は新聞には小渕となっていましたが関口のはず
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