西部劇と懐かしのカントリー&ウェスタン日記

現代とはかけ離れたOld Countryの世界ですがずっと続けていきます。興味のある方は時々のぞいてみて下さい。

小紀行 ( 豊前 小倉城を訪ねて )

2014年11月12日 | 歴史はロマン…九州の歴史を中心に
 
豊前 小倉城を訪ねて
 
H26/11/22(土)博多から新幹線に乗って20分で着く小倉まで行って小倉城を見て廻った。以前にも載せたことのある小倉城ですが、そのときは城外を一周する形での見学だったので今回は城郭内に入ってみた。小倉は古くからの城下町なのに お城以外は城下町としての趣きはほぼ皆無です。北九州工業地帯の中心をなす都市なので保存がないがしろにされたのかも知れないし、戦災にあって荒廃したということがあったかも知れません。それでもここまで雰囲気がなくなると町並み保存の行政の責任も多少はあるのではないでしょうか。 

何の情報もないままに今回は城郭内に入ってみたので多少は古い小倉城の雰囲気を知ることが出来ました。帰宅してから持っていた「続 日本の名城」(大類 神 著)なる箱入り本を引っ張り出して見てみると、箱の写真が小倉城になっていて小倉城はトップページに採りあげてありかなり詳しい城の歴史が書かれています。一般にこのような天守閣を持った城郭というのは織豊時代以降のことなので、小倉城築城は1600(慶長5)年に細川忠興が関が原合戦の功によって小倉に封じられ、慶長7年から築城開始して慶長12年に完成させたとのことです。ところが、それ以前の歴史があって1264頃(文永年間)には既にこの地に小城が築かれていたそうです。 
 
細川氏時代に築かれた城の規模は大で、左右を流れる2つの川(紫川と板櫃川)を外堀にして五層六階の天守閣のほか本城と外曲輪(くるわ)には148の櫓、大小の門48もあったと記されています・・・・・唖然とする規模ではないですか。小倉駅からの道なりに写真を撮りました 
 
紫川にかかる復元木橋をビルの方向に向かって渡ると長崎街道(基点?)の看板がありました。すぐ右手角に団子屋さんがあってなんでも江戸時代から続く茶店だったようなんですね。坂本龍馬なんかも通ったのかな? 川沿いに歩いていくと2~3分で小倉城の濠が見えてきます、図面で云うと上方は海(響灘)私は右方向から来て橋を渡り川沿いにさかのぼって近くの石垣間から城内に侵入・・・・・すぐに天守閣が見えます(昭和34年完成の復興天守閣 トップの写真)。
   
折りからの紅葉と濠に天守閣が映えてなかなか good 、曇り天気だったのがやや残念。天守閣を望みながら右方向に周辺を歩いていくと立派な高石垣群が続き、内部にも孤立した水濠や空堀があってなかなか堅牢な守りのようすがうかがえます。 
      
やがて櫓(名前は不明)のひとつを廻って石段を登り天守閣下の広場に到着。広場には行楽客となぜか仮装をした若者達がいっぱい溢れて何かイベントが開かれそうな雰囲気でした。なぜか新撰組のダンダラ模様の羽織を着て鉢巻をした2本差し侍姿の若い女性2人組がいて超かわいかった。
広場から撮った天守閣と飾ってあった大砲1門。天守閣は現在工事中で閉館しており展覧品見物が出来ない、資料がもらえない状態だったのでお城の詳細がわからず残念。 
  
細川氏以降は徳川親藩の小笠原氏が明治維新まで10代続いたようで、幕末1865(慶応2)年には長州藩に攻められて城の建物は全て焼失してしまったらしいです。大砲はその時に使われたものなんでしょう(飾ってあったのは実物ではなくて実物大のレプリカ)。

その後表門にあたる杉の門跡の石垣群を通って城外へ川の方向に向かった、途中左手に見える塀と天守閣。以上なるべく現代の人工物が入らないように撮影しました。 紅葉(もみじ)がきれいでした、 ”さらばじゃ、小倉城 ” 
   
<補足> 城内には小倉出身の作家 松本清張の資料館がある、さらに小倉駅から近くに軍医時代にすんだという森鴎外旧宅&資料館がある。どちらも時間がなくて割愛したので次回は是非訪ねよう・・・・・・小倉城近くに博多では有名な中古レコード店「田口商店」の支店があって行ってカントリーのLP4枚買った(smile)。最後に「続 日本の名城」に載っていた文を載せておきます 
    

コメント (2)
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