西部劇と懐かしのカントリー&ウェスタン日記

現代とはかけ離れたOld Countryの世界ですがずっと続けていきます。興味のある方は時々のぞいてみて下さい。

インディアンの英雄・・・・ジェロニモ追跡

2012年11月22日 | つれづれに

ジェロニモ追跡
著者: 菊池 東太 1987(昭和62)年発刊 草思社 250ページ


博多からメインの仕事先の鹿児島へ行き来する生活を10年以上続けているので、途中 新幹線の中は寝ているか本を読んだり音楽を聴いたりする時間になっている。新幹線になってからは1時間30分で着くので以前の ”リレーつばめ ” 時代のようにはゆっくりできないけれど貴重な時間であることに違いはない。今まで買っては積ん読状態だった本を整理する目的で読み直し始めた本の1冊が今回のもの・・・・・まだ佐賀県の鳥栖市で仕事していた頃に買った、パラパラ拾い読みした後 本棚に収まったままで 発刊年からすると25年くらいたっています( 時がたつのは早いなあ )。
Country Music 、西部劇映画が好きになると開拓時代のアメリカ西部のことにも興味がわいてきて その一環として買ったような本がたくさんある・・・・・自分だけの興味のものはやがては処分しないといけないから 今そんな本を読み直しているところ。

さて 著者の菊池東太さんがインディアン 中でもジェロニモについて興味を持たれたのはやはり西部劇らしです・・・・・「 インディアン 嘘つかない 」 この言葉 西部劇がたくさんあった時代は時々きかれたものです。「 ジェロニモはいったいどんな男だったのだろう。ジェロニモの子孫を探し出し、そして会ってみたい 」・・・・ジェロニモの子孫を探し出して話をきいてみたいと考えたのは、西部劇映画に登場してくる残忍な悪人としてのジェロニモ像に納得がいかなかったからという たったそれだけの動機でアメリカのインディアン居留地に通い続けたという人・・・・・これだけきいただけでもまあ大した情熱家という気がします。 本はインディアンが住むアリゾナ、ニューメキシコ、オクラホマといった日本人がめったにいかない州を歩き回って現代のインディアン達の生活を知る紀行にもなっていて普段知られないアメリカの内面を知ることもできるものにもなっています。

私がいつも疑問に思っていたこと
・インディアンの人達は自分達をいう時 ”我々インディアンは- ”という言い方をするんだろうか?・・・・・ということもこの本で氷解しました。
・”わたしたちナバホは(ナバホ族) ” とか ” わたしたちネイティブ・アメリカンは ” という言い方をするんだそうです

ところで、菊池さん自身はインディアンという呼び方に特別に差別とか侮蔑の意味を感じないが 現地取材中は相手をさして言うときにはインディアンという言葉を使うことは極力避けたそうです。 今は Native American という表現をするのが一般的ですが、僕自身もインディアンという呼び方に差別とか蔑称という気持ちは全然感じたことはなくて 西部劇に出てくるインディアンは優勢な白人に対して無勢ながらも勇敢で誇り高い民族という気持ちの方が強いです(西部劇ではいつも白人の立場で見がちなのでインディアン悪人なんですがむしろ-敵ながらあっぱれ-という気持ちかな)・・・・・だからなぜ菊池さんがジェロニモ(の子孫)を追跡してみたいと思うのか解かる気がします。
  
ここに挙げた3枚の写真は後年僕がひょんなことで見かけた PLAYBOY 誌に載っていた記事(PLAYBOY の旅ー生きているジェロニモ)にあったものです、やはり菊池東太さん取材の特集でした。

さて、ジェロニモの子孫を探していくも 「 ジェロニモはアパッチの英雄だと言われているのに、この話題には触れたくないようだ、なぜだろう・・・子孫かと問うとなぜか彼等は一様に不愉快な顔をする。 ジェロニモの子孫であることを認めるとなにか都合の悪いことでもあるのだろう 」、「 いまでも数多くの白人たちにとって、インディアンは見世物であり、野蛮な民族なのである。それらのインディアンのなかでもジェロニモは西部開拓史上最大の悪役だった。アパッチにとってもジェロニモは、部族全体のイメージをダウンさせた張本人である。だから過去においてジェロニモの子孫たちは部外者の白人や ときには同じ仲間のアパッチからさえもさまざまなプレッシャーを受けてきたことは容易に想像できる」と述べられています・・・・・

それでも、たくさんのジェロニモに関連するインディアン達に会ったあと紆余曲折 筆者はもつれた糸をほぐすような形でとうとうオクラホマ州のフォート・シルで71歳のジョゼという老人に出会います。ジョゼは9ヶ月の赤ん坊だった頃ジェロニモの膝に抱っこされたという人物・・・・・母親から当時の戦争捕虜としてのジェロニモのことをたくさん聴かされていたことをそのままを著者に語っています。

ジェロニモは酋長や呪術師ではなく 単に戦時だけの小グループのリーダーだったに過ぎないこと、陽気な男、ひょうきんさを持ち合わせた男だったこと、非常に気持ちのやさしい男だったこと等。ジェロニモの戦い続ける原因になった出来事=若い頃の初めての妻と3人の子供そして母親がメキシコの軍隊に虐殺されたこと-などです。
そしてジェロニモの悲しい最後・・・・・降伏した居留地で晩年 土産物用の弓矢を作って売った小遣い銭でウイスキーを買い 泥酔して落馬し眠り込んでしまいみぞれ雨に打たれたことで肺炎が原因で亡くなったのだそうです。たくさんいた子供の多くは既に他界して、晩年の彼には3人だけ残っていたとのことですが最後に会いたいという願いもかなわないまま1909(明治42)年2月11日亡くなっています・・・・ジェロニモの墓はフォート・シルの米軍基地内にあるアパッチ共同墓地にあり 著者も訪れて写真がのせてあります・・・・・なんでも、オクラホマ州フォート・シルの軍隊の有志がポケット・マネーを出し合って造ったという立派な墓とのことです。

 
そしてとうとうニューメキシコ州メスカレロ・アパッチ インディアン居留地まで行き念願のジェロニモ直系の孫ウィーダ・ジェロニモ(女性)に会ったのでした、しかもこれまで数多くのインタビュー申し込みがあった中で遠い日本から来た菊池さんが最初で最後の取材者として受け入れられたということです・・・・これは凄いことですね。 彼女を通してジェロニモと残された直系の息子ロバート・ジェロニモ(ウィーダさんの父親)について多くのことを知ることになったのでした。ロバート・ジェロニモは若い頃に多くのプレッシャーを受けたためか自分がジェロニモの息子だということは部外者にはいっさい話すことはなく ほとんど居留地から出ることもなく1966(昭和41)年に亡くなったそうです。ロバート・ジェロニモの写真は本にも載っていますが前記の PLAYBOY 誌にカラー写真が載っていました・・・・・とても威厳に満ちた姿だと感じます。

筆者の菊池さんは日本人もインディアンも同じモンゴル系人種だということがアメリカ・インディアンと接触するのに役立った・・・・・と述べておられます。そして最後に ” この旅はいったいなんだったのだろう。わが家の有り金を全部持ち出すような、大きな犠牲を払ってまでするようなことだったのだろうか ” と書いておられます。   

私の感想は とても面白かった、著者が実際に足を棒にした汗の結晶は読んでいて迫力がありました・・・・私自身のインディアンに対する見方も変わりました、紀行文としてもよくて色々な知識を有難う、というものです( smile )

・ジェロニモ
・本名:ゴヤスレイ(アパッチ語で ”あくびをする人 ” の意味)
・スペイン語を話す
・1829~1909年
・故郷アリゾナへ帰ることなく死んだ・・・・・・・・・以下続く
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする