西部劇と懐かしのカントリー&ウェスタン日記

現代とはかけ離れたOld Countryの世界ですがずっと続けていきます。興味のある方は時々のぞいてみて下さい。

小紀行 ( 肥前 名護屋城を訪ねて )

2012年01月03日 | 歴史はロマン…九州の歴史を中心に
  
肥前 名護屋城跡を訪ねて 

豊臣秀吉の野望のあと・・・・・”太閤が睨みし海の霞かな ”


平成23年11月27日の日曜日 以前から訪ねたいと思っていた肥前 名護屋城に行った。ずっと昔に一度行ったことがあるけれどやっと博物館ができる頃だったかな? 今度が2回目の訪問で、今回は足を棒にしてたくさん見て回った。博多から地下鉄~JR筑肥線で唐津まで、そこからバスで呼子(イカで有名な漁港)の近くのバス停で降り、歩くこと30分で名護屋城跡に着いた。
日本史上で文禄・慶長の役(1592~1598年)として出てきますが、全国統一を果たした豊臣秀吉が朝鮮半島と中国大陸をも侵略しようとして朝鮮出兵の基地として築いた城で、この名護屋城を中心に全国のほぼ半分の大名達が動員されてこの周辺に陣屋を構えてにわかに一大都市になった地域でもあります。
無料(強制ではないが清掃費100円)で城内を自由に見て回ることが出来るのがうれしいところ。

数ヶ月で築いたという広大な石垣群が残っているので写真を撮りながら大手口~東出丸~三の丸~弾正丸~二の丸~遊撃丸~水手曲輪~本丸~天主台(天守閣があったところ)と歩いていった・・・・・まるで司馬遼太郎さんになったつもり。
 
 
見て回りながら短期間にこれだけの石垣を築くには相当な労力がかかったはずで現代の機械を使っても1年で築けるだろうかーと考えてしまった。秀吉はじめ、全国の名だたる戦国大名達が歩いたであろう道を歩いていると物陰から鎧武者でも出てきそうな感じを覚える。  
  
 
石垣はところどころ(特に角に当たる部分)が破却されていて、現代になって原型を復元するために盛り土で補修されている。石垣が完全で、それに沿って塀や櫓があったと想像すると かなり大規模な城郭だったことが判る。秀吉の死で役目を終えた名護屋城の石垣の石や城門などは唐津城築城に使われたり、大手門などは伊達政宗が仙台城に運んで持っていったそうである。 
 
一周回っていよいよ天守台に出た、見晴らしの良い広場になっていて一角に5層の天守閣がたっていた場所がある。天気のいい日にはここからでも遠くに壱岐が見えるらしい(案内板には対馬の一部も見えると書いてあった)、あいにく曇り空だったので玄界灘には薄く霞がかかっていて遠くの島々までは見えなかった。もし5層の天守閣の上から見たらどんな光景が・・・・と想像したら何となく豊臣秀吉の思惑が想像できる気がした。 
 
天守台あとに大きな石碑と「太閤が睨みし海の霞かな」と書かれた明治生まれの俳人 青木月斗という人の小さな句碑が立っていた。 
 
その後、お城を出て周辺を歩いてみた・・・・・すると名護屋城山里口という石垣に囲まれた一画があって近くの狭い石段を登っていくと広沢寺という古いお寺があった。案内板を見ると、この一画は秀吉が日常生活を送っていた所らしく、”当時は淀君、松の丸殿、広沢局等の女性と共に住んで居られた ”・・・・と書いてあった。また道に引き返してさらに歩いていくとまた石垣群があって 道をはさんで向かいが堀になっていて堀の向こう側が石垣に囲まれた一画になっていて台所丸というところだった。 
 
どうもこの堀は全く当時のままらしく、石垣も苔むして古色然としている。この奥まったところに ”太閤井戸 ”と呼ばれる古い井戸があったので
覗いてみた。湧き水を囲ったような水場になっていて周辺を石垣で囲ってある・・・・案内板を見ると ”当時の秀吉もこの井戸の水を飲用した、茶の湯にも用いられたー”と書いてあった。秀吉が飲んだのなら自分も飲んでみようと思って顔を近づけたらボウフラがいたので飲まずにすくっただけにとどめた(汗)・・・・400数年前の井戸が枯れずに今でも水をたたえているのに感激。 肥前名護屋城図屏風という古~い絵図があって、それに描かれている井戸と現在の井戸が全く一致する点で注目されて昭和63年に特別史跡に指定されたーとも書いてありました。近くには民家もあるのでかな(?)ボンタンが2~3個浮かべてありました(smile)。
 
 
さらに周辺を散策、プラプラ歩き回っていると狭い道脇に秀吉が植えた桜の木というのがあった、木の幹はかなり古びていてなるほどと納得、同じ場所の民家の入り口に”曾呂利新左衛門(秀吉の家臣)が作った庭の跡”がありそれらしい風情が残っている、すぐ脇にてっぺんを円筒状にくり貫いた旗竿石というのが鎮座していた・・・・・旗をたてたものらしい。 
  
というわけで 歴史好きの人には自由に見て回ることの出来る面白いところです。周辺には広範囲にわたって大名達の陣屋跡が散在しているらしく、史跡に認定されているのもたくさんあるようです。私の生まれ故郷 鹿児島の島津義弘公の陣屋跡はどこかな-と見ると名護屋城からかなり遠方で、バイクでもないと行けないところだったので次の機会に-ということにした。 名護屋城のバス停の脇には桃山天下市なる大きなみやげ物店があって、せっかく来たので呼子のイカの塩辛を買った。 唐津行きの帰りのバスに乗ってちょっと行くと ”次は伊達政宗陣屋跡です ”とアナウンスがあった、そんな名前のバス停があるのに思わずクスッと笑ってしまった

トップに掲げた写真は以前訪ねた時に売店に売っていた本で、地元鎮西町出版のなかなか優れた本だったので歴史好きの知人にお土産に買っていこうと思ったのに絶版になっていて残念      ・・・・・去年の積み残しで未完成のため続く・・・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする