めでたい宴席で唄われる「ご祝い」、座が乱れていても自分の席に戻って正座し神妙に唄う。伊達藩では有名な「さんさしぐれ」が祝い唄として唄われるので当地の「ご祝い」は歌詞から南部藩に広く伝わったと思われる。
「ご祝い」
由緒
慶長5年(今から410年前)和賀城(北上市和賀町)主は謀反を起こしたために南部公は和賀城を攻めて城を落した。その時お祝いの宴が催されその席上、お祝いを兼ねてお国自慢を唄ったのが「ご祝い」の始まりと伝えられている。
1 ご祝いは 繁ければ
おつぼの松はそよめく
お祝いの宴がたけなわになったので坪前(庭園)
の松もお祝いするようにそよめいている
2 上り舟に 花が咲いた
下り舟に実がなる
当時の北上川は物資を運ぶ唯一の輸送路であった。
南部の国は産物の多いことを自慢に唄った
3 まるき銭は数知れず
黄金の倉は九つ
まるき銭とは穴のあいた銭を紐で連ねたもの。
南部の国は金の産地で金が沢山あることを唄った
4 雫石は名所どころ
野菊の花は二度咲く
南部の国は美人が多い事を自慢したもので雫石の
お菊という美女は二度目には殿様の奥方となり
花を咲かせたと伝えられる
5 おゆるおゆるとお控えなされ
大沢川原に舟が着くまで
交通が不便な当時は舟が着くのは大変めでたいこと
であった。ゆっくりとお控えください
大沢川原(盛岡市大沢川原)に舟が着くまで
6 ででぽ鳥は
山鳩によく似た・・・・・以下不明
鳩は礼儀の正しい鳥であることを唄ったとおもわれる
7 お立ちをば忘れて
お酌にまぎれて今立つ
立つ時刻も忘れてお酌にまぎれて今立つ
亡き父の書棚から見つけた一枚の紙から、昭和31年に花巻市湯口の佐々木勘太郎氏(安政年生まれ当時83歳)から聞いた話として昭和56年3月に久保田傳太郎氏がまとめたものであるがコピーを繰り返したであろう。多々不明箇所が多い。著者の久保田氏に無断借用をお詫びいたします。
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