岩手の頑固親父

恵まれた自然、環境に暮す 老農のつぶやき、ぼやき

「おっぱい山」

2013-05-23 04:33:28 | いなか暮らし

Cimg7358 白銀の早池峰の下方、大森山は僅か199.2㍍の標高ながら北上山地の最西端に位置、北上平野を望むため標高の割には眺望がすばらしい。

 「クローバー博士」としてギネスに名を連ねる郷土の偉人小原博士は大森山は宮沢賢治の描いた「日輪と山」のモデルとの説を持っていた。
 博士の言う夏至の朝、大森山から昇る真っ赤な朝日はまさに「日輪と山」(リンク、gooブログsuzuki氏)を思わせる。

012_4 大森山、
 地元の保育園の子供たちは「おっぱい山」と名づけて人気者だという。
 おっぱいを離れて間もない子供たちにはその優しい山容はおっぱいにも見えるらしい。
 「おっぱい山」のふもとを手をつないで散歩する子供たちを
「おっぱい山」は優しく見守っている。

 

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「いい話」

2013-05-02 06:46:05 | いなか暮らし

Photo 我が郷の空撮・・晴れれば正面には岩手山、右には早池峰を望む。右手は間もなく北上山地の西端、正面の広大な北上平野を経て左手は奥羽山脈につながる。

 母が亡くなって百日あまり、母を知る人たちが線香を上げに来て色々思い出を話してくれる。
 母とは同年代のいとこが話してくれた。

 学校に入って間もない頃の話と言うから昭和初年~10年ころ いとこの家には同年代の奉公人がいた。
 その頃は冷害、凶作が続いた時代であり、その子も貧しさのあまりの奉公だったに違いない。そう、「おしん」の世界である。
 
 いとこ、近くに住む母、奉公する子 同年代の三人は仲良しだったがその子は奉公の身では学校には行かせてもらえない。

 そこで子供たちが考え出したことは、いとこと母は学校で習った事をその日のうちに奉公のその子に教えたと言う。
 文房具も分けてあげて三人の子供たちは毎日毎日勉強を続けた。
 教えるほうも良い復習だったに違いない、そのせいもあってか老いても、読書きの達者な母は亡くなる前日までしっかり日記を書いている。
 教えてもらったその子は大人になって奉公先から嫁入り支度をして貰い幸せな結婚をしたという。

 はじめて聞いた母の、いい話・・・今朝は線香を上げよう。
 
 

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