岩手の頑固親父

恵まれた自然、環境に暮す 老農のつぶやき、ぼやき

「郷土の”滝桜”」

2016-04-28 15:42:01 | いなか暮し

 十字路でいったん停止したその先100㍍ほど先に大きな枝垂れ桜が咲き誇っている。
   花に誘われてその家を訪ねた。

 このお屋敷は明和7年(1770)南部家第三十四世・利雄公の代に北上川舟運の矢沢船場に近いこの地に、矢沢とその近在の年貢米集荷のための御蔵が立てられたところだという。

 幸いご主人は御在宅で庭の手入れをされていた。
 地区きっての旧家で近所なのにお宅をゆっくり訪ねたのは初めて。
 広い屋敷が悩ましいという、そのお屋敷、笑って答えなかったがどう見てもその面積は5反歩1500坪どころではない、入口の枝垂れ桜から始まりソメイヨシノやキャラ木の大木、今や盛りと辛夷の若木がいっぱいの花をつけている。
 広い庭の中ほど、当国八十八ヶ所の一つ、八十三番の観音堂も建っている。
 多くの杉の大木の陰を利用して紫陽花が植えられ、その種類も40数種類とか、まだ若木だがいつか広大な紫陽花園になりそう。
 広いお屋敷を訪ねご主人の案内で庭園を堪能させてもらった。
 紫陽花の季節には又訪れよう。

  今日の感動をこめて勝手に名付けた 『御蔵屋敷の滝桜』
 

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衣装のお召替え

2016-04-25 21:16:16 | いなか暮し

  桜に続くこの花はひときわ鮮やかに咲く。 嫌いではない・・・・が名前が気に入らない。
  自分のことを名指されている気がする。     バラ科ボケ属 ボケ(木瓜)

 桜田門外の変の万延元年生まれの我が家の二代目、申松は彫刻や漆塗りをよくこなし、お膳やお椀、仏壇までも作ったと昔おばあさんから聞いた。
 大正4年、屋敷内に井戸を掘り、良い水を掘り当てた。
 そのお礼もあったのだろう、鎮守の八幡さまに得意の彫刻で、神さまの仮の姿と言われる権現さまを彫って奉納した 申松55才。

 今から100年前の出来事である。
 以来その権現さまのご衣裳を我が家では代々奉納するという習わしがある。

 前回は昭和50年代に衣装お召替えして30余年、近年は花巻祭り権現舞パレードなどの出番が多く衣装も大分くたびれたので、今年、旧3月15日の八幡様のお祭りに合わせて小学2年の孫が奉納した。
   先祖が権現さまを奉納して100年、なぜか孫がお神楽が好きになり去年から神楽を習い始めた。

 いつの日か、先祖が100年も前に彫って奉納した権現さまを、孫の手で権現舞を舞うことがあるかもしれない・・・・
 

 

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この頃の天気予報

2016-04-21 18:06:24 | いなか暮し

 今年も元気に咲きました、「ど根性桜」
 「青空に映える桜」・・とはいかぬ、満開の今の時期うす曇りの日が続き いまいち桜花が目立たない。

 ある日、
  14時40分 スマホが鳴った。見慣れない画面に「この後、15時から非常に強い雨が降ります。ご注意ください」
      添付の画面には雲が近づいている。「雨は15時10分まで続きます。」
          でも今は明るい曇り空・・・西の空は黒い雲が広がっている??・・・
  14時55分 ポツポツ降り始めた。 んん・・・・これは?
  15時00分 強い雨が降り出して15時15分には雨が止んだ。正確

  無料のニュースアプリからの配信だった。

 最近の天気予報はやたら当たる、降ると言ったら必ず降る、晴れると言ったら必ず晴れる。「面白味はない」

 昔の大雑把な中々当たらない天気予報が懐かしい。

  牛のよだれが長いと雨
  ツバメが低く飛ぶときは雨が近い
  茶碗のご飯が取れにくいときには晴れ
  夕暮れ、子供たちが遊び呆けて中々家に帰らないときは明日は雨・・等々
    年寄りの天気予報の方がよく当たる時代もあった。

 天気予報を流すラジオは「ほら箱」 天気予報は「天気誤報」とも言われた時代が懐かしい。

 現代の正確な天気予報が地震予知にも生かせたら熊本の悲劇も防げたのに・・・・・ 

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火防(ひぶせ)の神様

2016-04-17 15:16:48 | いなか暮し

 秋葉神社が火災、火除けの神様として知られているが当地方では栃木の鹿沼、古峰ヶ原の古峯神社が火除けの神様として信仰が厚い。
 
                   
 地区の鎮守、八幡さまの境内には台座を含んで3、5メートルほどの古峯神社の大きな碑があり地区の人たちが参拝に訪れる。
                 大正年代の初め頃の建立と記されている。
 100年も前に講中120名ほどで建てられている。
 当時、地区の戸数が凡そ150戸程とすると、ほとんどの家では古峯神社の講中だったと思われる。

 信仰はそれよりもっと古くからの続いていたようである。
 当時、茅葺き屋根の頃の火事は現代から想像できないほど怖い、いったん火事となれば隣近所までも焼き尽くす事になる。

 講中120名が5~6班に分かれて、一年に一班ずつ古峯神社に代参、宿坊に泊まって、早朝の一番祈祷を受け講中全員分のお札を受け取る。
 そのあとはお楽しみ、日光を見物して鬼怒川温泉あたりで精進開き。当時の唯一の楽しい旅行でもあった。
 旧の3月15日は地区の火防祭、鎮守の八幡さまにお参りした後、古峯碑に火防せの祈願をする。

 古峯講中は昭和40~50年代は150人程、ほぼ全戸が加入していたが、その後、火災そのものに対する考え方も変わり若い世代は団体旅行を好まない、個人で好きな時に等々
 近年は講中の数も80人ほどまで減り代参制度は難しくなった。

 この春、古峯神社講中代参制度は解散、100余年は続いたであろう長い歴史は閉じた。

 折悪しく講元を引き受けていたわが身は長い歴史の幕引き係となってしまった。
 「幾多の先達のみなさま、大変申し訳ありません」

 講での代参はなくなったが宅配便でお札をお取り寄せし信仰は続けます。

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春を迎えに

2016-04-11 17:32:25 | いなか暮し

 4月に入ってから寒暖の差が激しくそこまで来ている春が足踏みしている。
 待ちかねて春を迎えに4月の穏やかな一日に南下、仙台から在来線に乗り換えて更に南進、
 
この日、レトロ列車の運転もあって車窓からは撮り鉄ファンがいっぱい見える。


 それにしても日曜の朝と言うのにこの列車の混雑は何?

 大河原で沢山の人たちが降りて混雑が幾分減って白石駅ではほとんどの乗客が降りた。
 お目当ての白石城は  蔵王の山並みを背景に平成7年に古来の木造様式で復元されたやや小ぶりのお城ではあるが、満開の桜に包まれ多くの花見客で大賑わい。

 そして今度は北上、お目当ての大河原で下車、駅から続く河畔までの道は車と人の波、やがて・・・一目千本とはよく言ったものである。
 大正12年から植えられたというソメイヨシノ、8キロに渡る  並木は1100本もの古木が見事な花を見せている。
 
 岩手だって桜は北上「展勝地」・・・ 


     ききもせず 

        大河原一目千本桜のさくら花
            展勝地のほかに かゝるべしとは ( にわか西行法師 )

 この人手ではお目当ての屋形船からの千本桜は無理とあきらめ、帰途は大河原からの花見臨時列車。
 仙台では小学校修学旅行以来の青葉山、正宗公と久しぶりの対面を済ませた。
                      娘との久しぶりの楽しい旅行でした。

 桜を迎えに行った翌日 4月11日盛岡で桜の開花宣言

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