岩手の頑固親父

恵まれた自然、環境に暮す 老農のつぶやき、ぼやき

・・広島 平和記念公園、、

2024-07-09 14:21:13 | いなか暮し

 いつものように厳島神社で参拝のあと御朱印をいただいた。もう大分昔から各地のお寺さん、神社の参拝のたび御朱印いただいて、6冊目。
 そして今日お参りした厳島神社の御朱印で6冊目の最終ページを埋めていただきました。ありがとうございました。
 各地のお寺さん 神様、長い間に沢山の御朱印をいただきました。近い将来訪れるであろう「そのとき」にはどうぞ穏やかな「そのとき」を迎えられますようお見守りください。

 ホテルから歩いてほど近い平和記念公園へ娘2人と孫、私の4人で向かう。世界遺産「原爆ドーム」近くを流れる川は昨日からの雨で濁って増水している川を渡って記念公園、資料館には多くの観光客がいたがみんな静かに説明文を読んでいる。ゆっくりゆっくり展示資料をみて回った。
 そのあと原爆死没者慰霊碑にお参りを済ませて、孫は明日は仕事があるからと「じいちゃん、死ぬまで元気でいろよ・・」いつもの憎まれ口を言いながら名古屋に帰った。
 「よく来てくれた、ありがとう、遠くまで・・」孫の後姿を見送る。
 資料館に戻って、被爆体験伝承講和を聞いた、紙芝居を取り入れた被爆体験講和は感動的だった。
 そのあと平和記念公園碑めぐりを観光ボランティアガイドさんをお願いして多くの石碑の立つ公園を巡った。
 原爆死没者慰霊碑から原爆の子の像、原爆供養塔や被爆した樹木、、暑い中、案内してくれたボランティアさんには感謝。そのあと国立広島原爆死没者追悼平和祈念館をゆっくり、企画展では感動的な映画も見れた。
 雨の影響で予定したコースこそ回れなかったがその分ゆっくり平和記念公園で過ごせた。

 その夜は近くのスーパーで仕入れたご馳走でホテルでミニパーティを楽しみ、翌朝、京都の娘はお義母さんも案じられるから一足先に帰るよと「じいちゃん元気で楽しかった、宮島にはもう一度、来ようね・・・」
 みんな帰って娘と二人、「おっと、留守番のばあちゃんに広島土産を忘れないように・・・」広島から新神戸、三宮からは ポートトライナー 神戸空港 いったん飛行機に乗れば花巻なんてすぐ近い花巻空港17時着、花巻の空は良く晴れて広島での雨の毎日が夢のよう・・・娘たち、孫、留守のばあちゃん みんなありがとう おかげさまで元気で帰りました。

 

 

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・・広島 宮島へ

2024-07-07 09:51:27 | いなか暮し

 広島2日目、朝のLINE「私も広島に行く!」お義母さんの付き添いは単身赴任中のお父さんが急遽引き受けてくれると・・京都の在から4時間余りもかけて広島に来てくれると連絡、もう出発したらしい。
 広島城をじっくり、それにしても娘の足が速い、いやいつも通りだという、ついて行く自分の足が遅くなったんだ・・お城を堪能して出るときに出口にあった沢山のビニール傘、一つ失敬したい気持ちを抑えて外に出ると大粒の雨がポツリポツリ、幸い、通り沿いの店で傘を買うことができて安心、電車で宮島口駅に向かう。
 駅には京都から来た娘が先に着いて待っていた。娘二人と3人で船で,憧れの宮島へと渡る。
 大粒の雨は一段と激しくなり、だんだん近づく厳島神社の大鳥居も少々かすんで見えるが確かに鳥居が根元まで見えているということは干潮の時間帯ということは全く意識してこなかった。
 宮島は強い雨が降り続いている、それにしても観光客が多い、有名観光地だからかなとも思うが圧倒的に外人が多い。混み合う傘を避けながらお土産屋さん通りを過ぎて、海沿いの灯篭越しに鳥居を眺め、砂浜に出て大鳥居に根元まで行けたことに感動、それにしてもでっかい、大鳥居は樹齢500年もの大楠だという、海水に浸って100年も立つ大鳥居だという。
 厳島神社本殿で参拝を済ませて高舞台越しに見事な調和の大鳥居をゆっくりと眺める・・・・

 込み合う店での食事をようやく済ませて、やや急な坂道を進む。やがて弥山ロープウェイ乗り場。こんな雨の中ロープウェイの乗客はないだろうと思っていたら、さにあらず沢山のお客さんと一緒に弥山に向かう。
 明るい瀬戸内の海・・は勿論見えない。ロープウェイのロープさえ僅かに10数メートルしか見えないが、眼下の山は神社の御神域で一切、人の手は入っていない原生林 この山を歩いてみたい・・・
 干潮の本殿から望んだ大鳥居は清盛公が満悦しただろう波に浮かぶ大鳥居や数々の神社の建物、宝物館、ロープウェイから見た原生林、この旅、大きな大きな思い残しが残りそう。
 その頃、名古屋に住む孫からLINE 「広島に向かっています・・・」

 ホテルには孫が先に着いて待っていた。降り続く雨で靴はすっかり濡れて靴下を替えての外出 今日の夕食はお待ちかねの広島郷土料理のお店 陣取ったボックス席には牡蠣、お好み焼きと名物が並ぶ、娘2人と孫、私の4人で記念写真、「この写真が撮りたかった」と孫、「死ぬまで元気でいて・・」大笑い、涙の出るような幸せを感じながらの夜でした。
 広島はこの日「梅雨入り」 大雨警報、避難所開設情報とか、列車運行状況が飛び交う、西日本の梅雨入りを経験した一日でした。

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念願の広島・・

2024-07-04 10:15:56 | いなか暮し

 ちょうど1年前、娘たちに誘われて四国旅行を楽しんだ、レンタカー運転を引き受けてくれた孫たちも一緒の5人連れ。
 憧れてもなかなか行けなかった山深い、徳島の「祖谷のかずら橋」だったが、若い孫たちの運転でようやく行けた。
 道後温泉の夜、
「じいちゃんは旅行好きで随分と歩き回ったようだけど思い残したところはない?」
「気になりつつも何故か、広島の宮島、厳島神社には・・」
「じゃ、来年は宮島に行こう」と簡単に決めて1年。
足の少々不自由な老妻には、いっぱいのお土産の約束して留守を任せた。
 仕事を早引けした娘と花巻空港で待ち合わせて午後の便でゆっくり、神戸空港を経て、新神戸から新幹線に乗り換えて繁栄する西日本の景色を目の当たりにしながら、花巻から、そう遠くもない計4時間余りで広島入り。
 東北では珍しい石畳の路面電車は快適、平和記念公園近くにホテルをとり今日から3泊お世話になる。
 京都に住む二番目の娘も「広島」行を気にしてるが折から療養中の義母のお世話があって決めかねている、名古屋在住の孫は「爺さんが元気なうちに逢っておかないと悔いを残しそう」と焦っている様子。
 そんなラインが激しく行き来している。
 最初の晩は近くのコンビニで仕入れた缶酎ハイとパック寿司で娘と乾杯、同居しているとはいえ、なかなかしんみり話すこともないだけに、その夜はよもやま話、遅くまで話した。
明日から念願の広島・・天気予報「曇り、雨」予報の外れることを願いながら・・・

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免許の更新

2024-06-25 14:06:34 | いなか暮し

 岩手の今年の気候、少しおかしい。 雪なしの冬、早春季節を取り違えてような暖かさと寒さの逆転、5、6月の雨なし、異常な暑さ・・・6月には盛岡で連続5日の30℃越え、花巻の豊沢ダムでは水量が5%とか渇水に近い。
 植物の世界でもびっくりだろう、庭の丈3㍍余の1本のつるバラが数百、数千の花を咲かせた、この後の木の疲れが心配、
 見ごたえは十分だが普通の気候になってほしい・・・と雨なし天気の空を仰ぐ。

 3年に一度の免許の更新、若いころには「又か!」程度に片づけていたが年齢を重ねて高齢者となると、そうはいかない、75才を越えると更新時の講習があり、運転講習は毎日運転するから問題はないとしても認知症テストは怖い。
 更新の際のテストは、4この絵が描かれた4枚の紙、計16ヶの絵を暗記して答えるだけの超簡単な問題、75才から始まって3回目のベテランの今回は一段と忘れやすくなっている。免許更新の年は憂鬱になる。
 本屋さんに行ってみると、この手の対策本コーナーがあるほどだから、更新、認知症テストが憂鬱な人がかなりいるに違いないとは思う。

 試験当日の自動車学校、同年代の高齢受験者10数名、やっぱりみんな緊張してる。
 先生から促されて16ヶの絵を記憶、その後皮肉にも記憶とまったく関係のない簡単な問題をといているうちに肝心の記憶が薄れてしまう。
 「大砲」「オルガン」「耳」「ラジオ」・・・? 「テントウムシ」「ライオン」・・・・・そうだ「ベッド」そのとなり「ノコギリ」・・・・そうだ下の段は「ニワトリ」と「バラ」・・・苦戦、数分。
 正解は何個かわからないが「問題なし」合格、ひとまず安心、これから3年また車に乗れる。
 終わってみれば他愛のない問題だが随分と心配させられた。記憶が良いということではない、最低限の記憶力を認められただけ、日頃から記憶力向上に努めよう・・・との決心さえもやがて忘れる・・・・3年後免許の返納かな・・・?

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田植えのころ

2024-05-26 14:53:53 | いなか暮し

 5月も半ば過ぎ、花巻地方の稲作農家はようやく田植えを終える。
 田植えの済んだ翌日の田んぼ  狭い育苗箱から解放された苗がきちんと整列して、大きな深呼吸をしているに違いない。逞しく育て、大きく育って秋には大きな穂をつけて・・・と。
 田植え終わって一息、田んぼの苗を見て、やりとげたなぁー 満足感は若いころも今も同じ・・・

 稲作農家は田植えが終わるまで、目が回るほど忙しい。種籾を水に浸して吸水させてから加温して芽を出させてから育苗機で出芽、数日して苗をハウスに移す。ハウスに出してからも岩手は遅霜のこともあるから油断はできない。
 ハウスの苗を気にしながら、田んぼでは田起こし、肥料やり、代掻き・・・・と連日、目の回る忙しさが続く。
 農機具の少なかった昭和30年代までだったと思う、文字通り猫の手も借りたい田植えの頃になると田舎の小学校は一週間ほどの田植え休みがあり小学生の手も借りた、小さな弟妹のいる子は子守り、田んぼに出た子は苗運び、何戸かあった非農家の子供は近所に手伝いに行くように言われた。
 もっとも勉強の嫌いな子は学校より楽しかった子もあった。
 今、田植えは機械化、苗育てもプール育苗、大きなトラクターに替わり農作業は格段に楽になったら若い人たちは勤めに出るようになり田んぼや畑の仕事は、再び、お年寄りの仕事になった。一家総出の昔の田植えが懐かしい・・

昔、こんな唱歌があったなぁ  
      お百姓さんの歌
 ♬ 蓑着て 笠着て 鍬もって
     お百姓さん ご苦労さん
      お米も おいもも 大根も
      日本国中 余るほど 芽を出せ実れと お働き

   蓑着て 笠着て 鍬もって
     お百姓さん ご苦労さん
      あなたの 作った米食べて
      日本の子供は力持ち 誰にも負けない力持ち

                今の時代も感謝されていると信じつつ・・・・

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