岩手の頑固親父

恵まれた自然、環境に暮す 老農のつぶやき、ぼやき

郷土に伝わる祝い唄・御詠歌の紹介 ④

2024-01-21 14:10:34 | いなか暮し

 1月20日の大寒入りは良く晴れて暖か、雪の影も見当たらない田んぼでは多くの白鳥が餌をついばんでいた。
この冬の異常な暖かさに白鳥も北に帰る相談を始めたのかもしれない。
 

昭和30~40年ころまでだろうか地区には「太神楽」(だいかぐら)の数集団があり、お祭りや祝い事には欠かせない催しだった。
 神楽とも違う軽快な笛、太鼓には子供心にワクワクした思い出がある。見つけた歌詞は筆で書かれ読み取れない所、難解、誤りもあるがご容赦ください。

 「祝いの舞」前口上」♬ 目出たいぞ、目出たいぞ、おん目出たのおりからの サァ~こと囃子て下さらば ここに一つ思いついた、祝いの舞をみさいの
 ♬ お正月にもなりければ門に門松うち立て 内にはしめ縄さらりと張りて千秋楽とも祝います祝いの舞はヨウヨウサイノ、チョイチョイ
 二日の日ともなれば世萬の太郎は年男、恵帽子 再び取り出し 裃なんかチャラかして
 上の(かみの)お膳12膳 下のお膳も12膳 餅を重ねて7重(ななかさね)
 奥の山いずれなーもて七五三と祝います 祝いの舞はみさいの祝いの舞と申せいし
 長いようで短いし短いようで長い 扇の如くに末広く松のごとく五葉長く 千秋万世
 なんと申されても祝いの舞はこの如し はら扇 めでたく末広がりて栄 盛うる イザ目出度さよう

 「大黒舞」前段の「前口上」と同じ
♬ 御大黒という神は 一つに俵を召しまして 二つに二十五万石 三つに酒やは数増えて 四つに世四の金銀は此の屋柄に舞い込んで お屋敷中を眺むれば金と銀とを山と積む 大黒舞をみさいのチョイ チョイ 五つに異国を平らげて 六つに村々大繁盛 七つに南部の埼箱、八つに八国を平らげて 九つここらで押し立てて 十に年々祝います大黒舞をミサイノ
 御大黒の持つものエンメ小袋に打ちでての小槌一振り降れば一萬両二振り降れば二萬両三振り振れば数知れず
 これ程の御宝 誰人に譲るべ 誰人も彼の人も此れの檀那さまにサラリヤサート譲り置く 
 おん大黒様ヨミサイノ 御大黒という神は短いようで長いし長いようでわ短いし なんと囃されて大黒舞とは この如し はら扇 目出度い末広がりーて栄 盛る イザめでたさよう

 「恵比寿舞」前段の前口上と同じ  
 ♬ 恵比寿舞よミサイノ お恵比寿は西の浜に渡るとてこの様ナルカータギダギダ(意味?)お恵比寿の釣り竿は金と銀との釣り竿でアーキの糸のズノーで あっちの池につーこんだ、こっちの池にもつーこんだ 引くぞ引くぞ その引く儘に上げて見たれば大きな鯛を釣り上げた釣り上げた これほどのおん魚 誰れ人に譲るべ 誰人も彼ひとも 此れの大名湯治えサラリヤサーツとも譲り置く
 お恵比寿舞ヨーミサイノ お恵比寿舞と申せしは 長いようで短いし 短いようで長いし 扇の如くに末広く松の如く五葉長く千秋萬世、千秋萬世 なんと囃されても恵比寿舞とは此の如し ハラ扇 目出度き末広がりて栄に盛る イザ目出度さようー。
 「太神楽」の演目はほかに獅子舞とか、ほかにもあったように記憶しているが・・・・

 父は太神楽集団に属していなかったと記憶しているが酔いが回ると頼まれもしないのに赤い陣羽織に恵帽子に着替えて「祝いの舞」「大黒舞」・・を結構うまく舞っては拍手で気分を良くしていた、そんな父も、20数年も前に亡くなった。

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小正月

2024-01-16 16:08:55 | いなか暮し

  ふわふわのあったか綿毛に包まれた、こぶしのつぼみだが今朝の花巻マイナス13、5℃の寒さはこたえたろう。春はまだまだ・・・
  24節気 小寒 末侯 雉始めて鳴く 
雉のオスがメスに恋して鳴き始めるころ 新暦では1月15日ころから19日ころ。

 1月15日、一面真っ白の田んぼでは雪中田植え、豆ガラや小さく束ねた藁を使って稲に見立てて雪に差し込む、かって田舎ではどこでも見られた「小正月」風景だが今ではやる人はいない。なにせ稲わらは収穫のとき機械で切ってしまうから肝心の稲わらが無い。少々寂しい「小正月」である。

 15日、日暮れが近づくころ、数人単位のグループの子供たちが、家々の軒先で声をそろえて「舞い込んだ、舞い込んだ、福の神が舞い込んだ」 声を聞きつけた家人が「どうもありがとう ご苦労様」とリーダーの持つ小さな米袋に餅やお菓子、時にはお金を入れてくれる家もある。まれに居留守を使う家では、悪ガキどもが「貧乏神、舞い込んだ」を繰り返し走って逃げる、、、、 家々を回って暗くなったころグループの一員の家に引き上げる。
 家の中では常居の間に大きな木に「みすき団子」が飾られている。みずきの枝先には赤、白、緑の団子や縁起物の小判型のお餅がいっぱい吊り下げられ、その下に陣取った子供たちは家々を回って、袋いっぱいになった餅や菓子、お金などを山分け、分配して解散。昭和30年ころまでの風景だろうか。
 翌16日は「藪入り」花巻地方では「16日」は特別な日である。正月の16日とお盆の16日は一切の農作業はお休みにして、お嫁さんは実家に里帰り、親類や親族の家々を訪ね御先祖さまに線香を挙げる日と決まっている。
 次々と線香をあげに来てくれるお客様に子供達もソワソワ、少し遅れの「お年玉」のチャンスでもある。
 嫁いだ娘や息子も帰ってくるからお年寄りも嬉しい一日、思い出話に、にぎやかな楽しい「16日」となる。

 翌日から「みずき団子」や吊り下げた餅の片付け、木から抜き取った色とりどりの固くなった団子は子供たちがこたつで焼いて、熱々のおやつとなり、いっぱいの小判型のお餅や食べ残したお正月の鏡餅は雪をいっぱいつけて寒風にさらして干し餅となり、春作業の大切なおやつとなる。
 当時の小正月は旧暦だったから2月の半ばから下旬ころだったろう、のんびり過ごした寒い冬から春に向かう頃、春がそこまで来ている。

 
 
 

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 「電話帳」

2024-01-09 16:26:16 | いなか暮し

 暮れに何日もかかって、老妻が作ったしめ縄、しめ飾り、屋敷内の氏神様、神棚から母屋の玄関、車庫、物置まで飾りつけたしめ飾りだが年が明けて松の内7日、8日には取り外して鎮守の八幡様のどんと祭行。
 古いお札とともに、燃える炎に手を合わせ今年も安穏な1年であれと・・・・

 松の内は来客も少ない、こたつに寝転んで覗いたスマホ。「電話帳」には多くの人々が名をつらねる。
 ポケットベルから始まり、懐かしいガラケイからスマホに代り器械が替わるたびに繰り越した「電話帳」機能、実にたくさんの人々が名を連ねている。
 亡くなった人も何人か、一緒に旅行した人、お世話になったのに今はすでにお付き合いのなくなった人、認知症が進んで・・と言ってその後に連絡のなくなった人、少々悪いことをしながら、おしゃれなひげをたくわえていた知人、亡くなって10年もたつのにどうしても「電話帳」から消せない友人は喉にがんができて声が出なくなり、急遽覚えたメールで一緒の山登りの思い出をいっぱい送ってくれたが半年ほどで亡くなった。
 もう来るはずもないメールだが、もしかしていつか・・・消せずにいる。
 勤めていたころの同僚は顔さえも思い出せない人も、、一人住まいだと連絡してくれた人もいるが、今はどうしているんだろう。
 中には楽しい思い出も、人生相談の「夫の携帯電話には・・」のちょっと怪しい番号も・・
 亡くなった方々には恐縮だがこの際、「電話帳」からは削除させていただきたい。
 去年、永平寺、おととしは高野山で亡くなった方々の、供養のお参りしたのでどうかお許し願いたい。

 今年も「今年限りで・・・」と、年賀状仕舞いの挨拶が何枚かあった。メールなりラインなりを自在に操る若い世代ならともかく我々年代は、年に一度くらいは、どうせプリンターで印刷するにしても、一筆近況も添えて。
 もちろん「電話帳」を使って、日頃の無沙汰のお詫び電話もこころがけたいと思う新年である。

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散歩はじめ

2024-01-02 15:26:20 | いなか暮し

    新年あけましておめでとうございます。

2024年、令和6年元旦 花巻地方はまぶしいほどに良く晴れて、里には雪が全くないせいか、遠く真っ白の岩手山、早池峰山がまぶしいほど美しく見えました。
 恒例の元朝参りは朝食のあと胡四王神社から鎮守の八幡様をお詣りし、コンビニでコーヒーをいただいて帰ります。
 今年は午後から通称「幸田のおでのんさん」八雲神社へ片道3㎞ほどを周囲を見渡しながらゆっくり往復しました。

  左手奥には明るい早池峰山が写っているはず、、、、スマホの限界でした。
 道沿いの三郎堤は白鳥や野鳥がのんびりといっぱい泳いでいました。いつもの年越しの頃は三郎堤は全面が凍結して白鳥は近くの北上川や凍結しない堤を探して夜を過ごします。
 三郎堤で年越しの頃に湖面が凍結していないということはとても珍しいことです。
 平成5年の大冷害の年は三郎堤は冬の間一度も全面凍結しないでしまいました、凍っていない湖面を見ていると、ふとそんな記憶が戻ります。昨年の記録的な猛暑とも関係しているんでしょうか。
ゆっくり周囲の景色を眺めながら16時に帰宅しました。
 妻が「大変なことが起きている・・」、テレビでは能登半島の地震、津波の避難を促す放送をしていました。
 元旦早々に大きな災害が報じられました。

   今年こそ地球上の争いがなくなり、穏やかな1年になりますように。

      本年もよろしくお願い申し上げます。

 

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