「志戸平温泉で第二小学校の同級会だった」
「いいなぁ・・・・・」還暦を大分過ぎた知人の話ではここ数年の何回かの同級会はいつも100%の出席だという。
恩師を含め9人全員の参加で話に花が咲いたとか。
知人より2年早く、 「頑固親父」は山の小さな第二小学校を昭和30年、気の遠くなるような55年前の卒業
当時の在籍生徒は100人前後、団塊の世代がすぐ後ろに控えていた時代に15名の同級生は2年から5年生まで複式学級で過ごしたから上下の学年の人たちも同級生同様、小さい学校はそれなりに楽しい思い出がいっぱい。
先生と一緒に魚とり、茸取り、冬には兎取りさえも・・・・・
第二小学校、明治8年に設立の頃は地元のお寺の庫裏を利用したそうだ。
明治41年には校訓が制定されている。
一、聖勅ヲ奉体シ常ニ忠孝ノ両全ヲ期セヨ
一、身体ヲ丈夫ニセヨ
一、一心ニ学業ヲハゲミテ物事ヲ覚エヨ
一、長上ヲ敬イ同輩ニ親切ナレ
一、ヨク規律ヲ守レ
一、ミズカラ治メヨ
一、思イヤリノアル人トナレ
大正5年に現在の広場に移り36年前の昭和49年、明治8年から数えて創立100周年と同時に閉校した。
緑の丘に陽はうらら
松になる風 父の声
早池峰山よ 胡四王よ
光をあびてたくましく
伸びる我らだ若芽のように
北上川は たゆみなく
耳にほのかな 母の声
小鳥の歌よ 飛ぶ雲よ
やさしい父母のはげましに
学ぶ我等だ力の限り(同校校歌)
閉校後しばらく保育園として利用されたが当時の建物はなくなり跡地は運動広場として屋外プールやスポーツ大会が大勢の人達で賑わう。