集落の中央を流れる、幸田川は、地区の水がめ「三郎堤」の注、排水を担う大切な川である。
幸田川沿いに早池峰山を望むことができる。
上流に、大きな山もないので、普段は舗装された、底面を子供の膝くらいの水が、ゆっくり流れる。
小さな川だが非常時に備えて、広大な、両岸の堤防は、集落の農家が草刈りや手入れをしている。
50年ほど前に整備された幸田川も、あちこちに、よどみが出来て、小魚が住み着いた。
浅い川、落差工の間、大雨の時は、どう生き延びたのか、小魚と思ってた魚が、長い間に、大きな鯉の一家?、鯉の友達?となり、ゆうゆうと幸田川を泳いでいる。
底が浅いだけに、堤防から7~8匹の鯉が群れをなして、土が溜まり、草の生えた島と島の間を、勢いよく、泳ぐ姿がはっきり見える。
昔の子供だったら、放ってはおかない。
夏休みの仲間を誘い、網やバケツを持ち寄り、ズボンをまくりあげて、年長の指示で鯉採りが始まるが、大きな鯉は簡単には捕まらない、ズボンも、もうビショ濡れ。
悪戦苦闘に、気づいた大人も、駆けつけての大捕り物は野次馬も増えて、大騒ぎ。
闘い終わって、一網打尽にされた鯉は、夕方、近くの集会所で大人と子供一緒のパーティで賞味される。
子供たちは、夏休みの、思い出作文の良い材料となった。
現代っ子は、そんな野蛮な遊びはしない、エアコン効いた部屋でフォートナイト?
泳ぎ回る鯉ものんびりできない、幸田川の改修工事が始まるという噂がある・・
血圧は? 不整脈は? 炎天下150㌔の運転は大丈夫?
忘れ物、薬は、非常食は、すべてOK 余分に、おにぎり持参して、今日は鞍掛山に向かう。
小岩井農場付近は、晴れた岩手山を背景に、道路沿いに、ヒマワリが満開、
暑い夏が続く今年だが、岩手山がはっきり見えるようになったのは、秋が近くなったということだろう、絵葉書のような景色。
更に進んで、しばらく行くと、道路沿いに、大きな森が現れる。
鬱蒼たる森に朝日が差し込むこの時間。
網張や、鞍掛山へ向かうときには、この景色が見たくて、決まって同じ時間に通るようにしている。今朝も期待に応えて、美しい風景を見せてくれた。
鞍掛山麓の、相の沢駐車場は、車が30台ほど、お山は今日もにぎわっている。
900㍍足らずの鞍掛山は気軽に登れることから、中高年には人気が高い。
広い草地で草を食む、牛の群れを眺めながら、登り始める単独登山はマイペースで。
頂上を経て、お昼には、もう駐車場に戻ってしまった。身構えて出かけてきた鞍掛山はあっけなかったような・・・・
鞍掛山の声が聞こえたような気がした。
「あっけなかったと自惚れるな、ベテラン後期高齢者で、生涯一緒の病気持ちの身を考えたら、無事に登れたことに感謝して、また、体調整えて登りに来い・・・」
反省、今日の無事に感謝して、午後からは網張温泉でゆっくり体を癒して、明日から、また元気に働いて、紅葉の時期にはまた来るぞ、鞍掛山。
もう、36回目だという、地区で開催される神楽鑑賞会。
今年も例年のように8/15 新花巻駅前の「かやぶき民家、熊谷家」で行われた。
この日を待ってる神楽好きが多いが、今年はコロナ、しばらくは感染者0の岩手も数人の発生もあって、教育委員会の厳しい指導、幟、旗は禁止、案内看板は人目の付かない場所に、検温消毒、連絡先の記入は当然、建具類はすべて取り外し、演目も最小限に・・・厳しい指導を守っての開催。
氏神様の拝礼にあと、屋外での「しんがく」は保育園、小学生で舞われる。
当日は鳥舞、三番叟、八幡舞、天王舞、権現舞と演目は少ない。
天王舞は疫病退散の舞いと言われていることから、時節柄、注目され 天王舞後半、女子高大生、4人による激しい舞には、大きな拍手が沸いた。
少ない演目、慰労反省会もなしの36回目の神楽鑑賞会はいつもの年の半分ほどの時間で終わってしまった。
演じている間も、外の猛暑を横目に「かやぶき民家」は涼しい風が流れた。
コロナの終息した来年は、地区外の方も、どうぞ胡四王神楽鑑賞会にお出かけください。
毎年8/15 12:30から 場所は新花巻駅前「かやぶき民家 熊谷家」です。
今日の「疫病退散」の舞いが効して、来年には、ゆっくり神楽鑑賞ができることを願って・・・・
岩手は梅雨明け宣言もないまま、お盆近くなって、ようやく暑くなった。
長雨で生育の遅れた野菜、出穂の遅れたお米、この暑さで後れを取り戻そうと、みんな頑張っている。 猛暑には、真っ赤な「百日紅」がよく似合う。
長雨が続いた7月、生育の遅れが目立つ稲を見ると、100年に一度と言われた平成5年(1993)の大冷害が思い出され、日記を振り返る。
2月、雫石の世界アルペンスキーは、季節外れの大雨に泣かされ、4月30日には満開の桜に雪が積もった、異常天候はすでに始まっていた・・・・
その年、好天が続き、秋の豊作を予想したが、稲の生育に最も影響の大きい、7月半ばごろ、肌寒い天候が続き、低温注意報が発令、7/26には10日ぶりに解除されたが28日には再度、低温注意報、稲の大敵、いもち病も蔓延し始めた。
7月末肌寒い、シトシト雨がく。
8/8は、当時の農家が楽しみにしている。集落対抗野球大会の応援に行ったが、半袖Tシャツは寒い、大方の人は長袖、それも重ね着していた。
8/13僅かに青空が覗き、梅雨明け、低温注意報解除、だがシトシト、冷たい雨が降り続く。
例年8/10には穂が出揃うが、8/18になっても穂の出る気配はない。
8/20一部の穂が見え始め、8/21読売新聞が冷夏、日照不足をトップで取り上げた。
9月に入っても毎週のように来襲する台風、頭の垂れないお米、
9/10 イモチと冷害、今年は収穫無しと諦めた。
10月に入ってマスコミは連日、米騒動を取り上げる。
米どころの、花巻市内でも米を求める行列、米の盗難も話題になる。
10月半ば、遅く始まった稲刈りは、米がついてないから仕事は、はかどる。
「近所で田んぼの稲を、草刈り機械で刈り倒す姿が見られた、無残」と日記に記されている。
10/30 稲作指数、岩手33 花巻38 我が家の反収、ササニシキ2.5袋(60kg)ひとめぼれ5.5袋、大冷害にあっても我が家、わが地区は恵まれていた。
当時、100年に一度の大冷害と言われたが、のちに冷害に強い品種構成に替わり、その後は大きな冷害は経験していない。
冷害の年、僅かにうれしい思い出がある。八戸から来たという業者が未熟米が多く、品質の悪い米を1俵(60㌔)3万円で買ってくれた。
当時、幼い娘は3万円で売れたと言ったら「来年も冷害になればいいね・・・」
思い出すのも辛い、平成5年の冷害でした。
早池峰山、河原の坊駐車場から急坂を2キロ、小田越えに着いたころには息切れがしている、こんな調子で登れるだろうか?
登山者名簿をめくってみたら、ここ数日では自分が最高齢のようだ。
気を取り直して、通いなれた道を上り始める。
思えば、早池峰山に登り始めたのは60年以上もの昔、距離的に近いから、お金のない高校生も交通費が安く、山登り仲間と毎週のように登れた。
山通いは社会人となっても変わらず、夜中に起きだして、山頂でご来光、大急ぎで帰宅、朝食、出勤ということも度々。
年齢とともに、病気をあって、次第に遠ざかり気味だが無性に山が恋しくなる時がある。
「早池峰に登ってくる」妻にだけ告げて、家族には内緒。
「一人では危ないから・・・・」と言われるに決まっている。
内緒だから、おにぎりも、コンビニで調達しての単独登山は鼻歌でも出そうだが、なかなかきつい。昔はこうではなかったとおもいつつ
それでも明るい空が広がり、あいにく薄い霧で遠くはよく見えないが、山は晴れて、山特有の風が心地よい。
「無理はしない、苦しかったらいつでも引き返す」心に決めて苦闘2時間余。
頂上到着、自分では「エベレストに登った・・」気分。
年齢、体力、気力 そろそろ早池峰登山も打ち止めの、ころ合いかも、さびしい気持ちも・・
帰りに聞いたら、今日も100人ほどが登ったとか、我が早池峰山は人気がある。
帰り道、麓の早池峰神社に参拝、60年余、おそらくは200回ほどの早池峰登山の無事、ご加護に感謝した。
紅葉が始まったころには秋田駒ヶ岳もいいか・・・また、自分の年齢を忘れている。