岩手の頑固親父

恵まれた自然、環境に暮す 老農のつぶやき、ぼやき

「お節介じじい」

2021-08-28 16:42:20 | いなか暮し

 孫の指導でGOOGLEレンズを始めた。
 今まで、名も知らず見過ごしていた山や野の花が、レンズを通して見違える美しさを感じる。
 撮りためて自分なりの図鑑ができないだろうかと・・・写真 オオハンゴウソウとか。

 庭つくりが流行った頃があった。もちろん今でも熱心にやってる方もいるし立派な庭つくりをやってる方も多い。
 かって、近辺の農家では比較的農作業の少ないお盆前や取入れの終わった秋とかに、せっせと庭つくり、手入れに精を出す人が多かった、そして仲間と自慢話しを楽しんだ時代があった。
 近所の何人かは農閑期を植木屋さんの元で働いた人もあって普及に一役買ったんだろう。
 樹を植え、中には大きな石までも置いて手入れを楽しんだが、やがて時代は流れ、専業の農家も少なくなり、後継者は自分の時間が取れないサラリーマンが大方を占める。
 庭を造った本人が達者のうちはいいが、体力的にも管理が難しくなり、庭木の手入れや周辺の雑草にも手が回らなくなる 
 「お節介じじい」の登場 
 「この枝が伸びすぎているようだが・・・」
 「草が伸びすぎないうちに草刈りは・・・」お節介じじいも庭木は素人、見よう見まねの剪定や草刈りを引き受けている家が5軒ほど。(ただし気が向かないとやらない)
 広い草地を所有し、草刈りに、トラクタモアーを使うお宅だけは油代のお駄賃は貰うが、あとは原則無償。だが、好きな缶チュウーハイを出されたときだけは断り切れない。
 一軒だけは宅地が売れたので手入れ、草刈りは完了したが、それ以外は手入れ草刈り継続、元気に伸び続ける庭木の枝や雑草が気にかかる。
 さらに手入れの必要なお宅も見えるが、こちらも体力限界「お節介じじい」は息切れ、我が家の庭の手入れさえも、年ごとに重荷になって来た。

 どの家でも、せっかくの庭、庭木 もったいないが近い将来には切り倒されることになるんだろうな・・・・と思う。 


 

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お墓まいり

2021-08-18 10:14:24 | いなか暮し


  日ごとに頭を垂れる稲穂、稲の登熟が進む。
 今年は豊作、豊作という言葉も憚れる昨今は、いっぱい採れれば採れたで・・・

花巻近辺では、お彼岸にお墓参りする人は少なく、お盆のお墓まいりが普通である。
 我が親類は元々、一軒の家から始まり、菩提寺が隣町と遠いために、お墓を一か所に集め、お盆のお墓まいりの時間も、あらかじめ決めて、年に一回、お盆には、沢山の親類の人たちがお墓に集まる。
 今年も13戸の内、遠方に住む2戸を除く11戸、50人余りがお墓に集まり、数えてみたら、赤ちゃんからまだ学校に入っていない子供が8人もいた。

 そんな我が一族、一軒の家から始まり、次第に増えて分家6、孫分家7 本家はかって、そこそこの地主であったらしい。
 本家初代が、東和町土沢の在から独立して、現在地に移ったと思われる江戸前期、350年前、そこまでは図書館でも調べられたが、以降の記録はない。
 菩提寺も数次の火災で過去帳も焼失したと言われ、墓碑から読み取れる僅かの文字や、位牌に刻まれた年号だけが手がかりである。
 150年前、明治初年になって胡四王神社の棟札にようやく本家当主の名前が現れる。
 この地に移り住んだ350年前から、名前が現れる150年前の明治初年までの200年、どんなことがあったのだろう。
 長い間には、数々のドラマがあったことだろう。

 かっての深い森の中のお墓が、現在では新幹線駅の真ん前となり、お墓のすぐ横を大きな道が通る。
 敷地内の馬頭(観音)さんは、現在ではペットのお墓として花が絶えない。
 江戸期の200年より、現代の30年のほうが移り変わりが激しいのかもしれない。
 お墓参りの数日後には、我が親類は菩提寺の住職を頼んで親類合同法要を行うのが恒例、

 今日のお墓詣りに集まった沢山の子供たち、我が親類の将来は明るい・・・・

 

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「ダンちゃんの隣に・・・・」

2021-08-17 15:39:43 | いなか暮し

 8月10日前後から西日本、九州の連日の大雨、北日本の急に下がった気温、さては、あの93大冷害の再来か、記録を見たら比べ物にならない、93は8月中頃の梅雨明け、連日の異常低温注意報だった。
  急な低温のせいか、今夏はセミの鳴き声が少ないような・・・

 彼は二人目の、いわゆる外孫である。お父さんの仕事の関係で名古屋に住んでいる。
 お父さんの仕事は出張の連続でほとんど家にいないため、幼いころ母の親元の岩手で、おとなしい一つ年上の兄と、ひょうきん物の彼と、お母さんで長いこと過ごした。
 彼が生まれて間もなく、岩手の家にゴールデンレドリバーの「ダンちゃん」も家族の仲間入りした。
 利口な犬で、元気な男の子二人の孫に、いやというほど散歩に連れ出され、踏まれても蹴られても怒ることなく、遊び相手になってくれていた。
 やがて「ダンちゃん」も、散歩中につまずくようになり、15才の高齢で亡くなり我が家のお墓に葬られた。



 今年春、高卒後就職の道を選んだ彼は希望する会社にスンナリと入社することができた。
 ”缶チュウーハイ”を少し飲んだ方が勉強がはかどるとか言っていたが、成績は聞いたことがない、おそらくはチュウーハイ飲んで勉強する位だから、凡そ見当がつく。
 彼も、今では、”いっぱし”のサラリーマン、夏にはボーナスも貰ったと喜んでいた。
 この夏、コロナワクチンの接種を受けて、1回目は何ともなかったが2回目の接種の後、熱が出て、かなりの高熱だったらしい。
 普段から元気で、発熱で寝込んだこともないから、高熱が相当堪えたんだろう。
 「僕が死んだら、ダンちゃんのお墓の隣に埋めて・・・・」と言ってると、お母さんからラインが届いた。
 笑ってはいけないが、なぜか嬉しいラインに大笑いした。
  翌日には元気に会社に行きましたと、お母さんから連絡があった。

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🍀クローバー

2021-08-10 16:07:20 | いなか暮し

 無類の花、野菜つくりの好きな老妻も、だいぶ傷んできたので、この春思い切って畑を半分にした。
 半分と言ってもおよそ100坪の畑にクローバーを蒔いた、元々、花や野菜畑だから栄養豊富、濃い緑のクローバーはおいしそうに良く伸びる。
 妻は「おいしそうなクローバーを山羊に食べさせたい」という。
 昔、田舎ではよく見かけた風景である。
 山羊の首に3、4mほどの紐をつけて草畑に繋ぐ、特にクローバーは山羊は好んで食べた。 
 紐の届く範囲の草をきれいに食べて、優しい目で寝そべっている。
 夕方にはパンパンに張った乳房から、いっぱいの乳を出してくれる。
 今、そんな光景は皆無、山羊の姿なんて見ることもない。

 大分前の事、石垣島から船で1時間余、日本の最南端の島、波照間島を妻と娘と3人で訪れたことがある。
 島は人口500人ほど、島の周囲も15㎞、バスもタクシーもコンビニもない、のどかな島をレンタバイクで、見渡す限りのサトウキビ畑、信じられないほど澄み切った海を満喫した。
 時折、山羊の姿が見える、親子だろう、子ヤギを連れた山羊も見えた。
 きっと、好きなクローバーを食べているに違いない。
 この静かな島を再び訪れる機会もないが、心に残る島である。

         島にはヤギの刺身とか、ヤギ汁とかもあるとは少々悲しい。
 

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