岩手の頑固親父

恵まれた自然、環境に暮す 老農のつぶやき、ぼやき

ホームパーティ

2023-01-29 11:37:23 | いなか暮し

 「今日は暖かになりそうだからお日様のあたるところに出してあげようね」ばあちゃんの甘言に騙されて季節外れに花が咲いた。 外は真冬日が続く・・・

 岩手、花巻地方はそれまでの暖冬が一変し、25日は最低気温-10℃は驚かないが日中最高気温が-7℃はきつい、暖冬とたかをくくっていただけに老骨にこたえる。
 子供の頃、昭和20年代はもっと寒かったと言われるが寒かった記憶は少ない。
 夕方遅くまで近所の坂道で、そりやスキー遊びした子供たちは寒くなって泣きそうになりながら家に戻り炭火のいっぱい入ったコタツに潜り込む、やがて雪に濡れた服から湯気がボーボー立ち上がる、暖まって頃、台所の飯台にキチンと膝をついての、夕ご飯 そしてお風呂、当時はどこも茅葺の家だから火が怖いので風呂場は必ず外の別棟。雪を踏んで風呂場へ向かう。追いかけるように父が「湯加減はどうだ?」「熱いよ」というと大きなスコップで外から窓越しに風呂に雪をいれてくる、「ぬるいよ」と言えば杉の葉を焚きつけにして追い焚きしてくれる。
 風呂から元気に飛び出した子供たちは、おばあちゃんがコタツで温めてくれていた夜具を手に布団に潜り込む、そして朝までグッスリ。
 翌朝、夕べは吹雪だったんだろう、縁側は雨戸の隙間から吹き込んだ雪であちこちに雪が見える。
 「今朝は寒いからコタツで朝ごはんにするから手伝って・・」母の声に子供たちは大喜び、コタツに釜のごはん、鍋の味噌汁、空気が冷たいからお茶碗に盛られたご飯からは湯気がぼーぼーと立ち上がる、おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん母さん、お姉ちゃんと弟、暖かごはんにみんな、にこにこ。テレビもないから話が弾む。朝から「幸せホームパーテイ」
 朝ごはん済んで子供たちは学校へ、ランドセルに加えて竹スキーは忘れない、高台の小学校の坂道で竹スキー遊びを楽しむ、小使いさんが鐘を鳴らすまで坂道は子供たちの歓声、大賑わい、戦後の食糧難、貧しい時代でも子供たちは元気、寒かった記憶は少ない・・・・

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お世話になった人々 ➂

2023-01-24 11:06:00 | いなか暮し

 同じ地区内のNさんは三つ年上で、ずいぶんと昔に早池峰登山に、何回か、ご一緒したことがある。地区の多くの公職につかれて地区の指導者的な先輩である。
 同じ公職に、ご一緒したことから親しくお付き合いいただいた。宮沢賢治に心酔され山登りが好きで、時折お宅を訪ねて奥さんに尋ねると「今日は早池峰山です」、そんなNさんいつごろからか富士山に時々登るようになった。
 神奈川県秦野市にお住いの佐々木茂良さんはNさんの高校の後輩で、教員定年退職後の64才から富士山を毎日登り続ける。
 感銘したNさんも時々富士山をご一緒していたのである。
 佐々木さんはその後、新潮社から「まいにち富士山」を出版される。当時は800回前後の登頂だった。
 それからも佐々木さんは毎日富士山を登り続け2011年、1000回の登頂という偉業を成し遂げる。
 1000回目の記念登山にはNさんも岩手から駆けつけて、佐々木さんと一緒に登り、お土産に佐々木さんからペナントをいただいた。 

 その頃からだったろうか歩くことの好きなNさんは仕事の合間に郷土の里山「大森山」に登り始めた。
 登っては「今日は良く晴れているぞ、来ないか?」と時々、携帯に電話が届く。
 急いで駆けつけると麓まで下って待っていて、そして又一緒に登る。
 足繫く通って数年、Nさんは大森山に1000回登山を達成された。1000回記念登山は何人かの知人も参加し、頂上で用意してきた1000回記念のポスターを前の記念写真、富士山には比べようのない低い里山であるがNさんの喜びは大きかった。
 その後も登り続けるNさんだったが、病を得て去年秋に逝った・・・。
 Nさんと登った大森山は今、登る人も少ないのだろう、Nさん手作りの賢治の詩が書かれた標識も倒れ、登山のついでに鎌を持参して雑草の刈払いした登山道も雑草が伸びていた。
 Nさんのおかげで、秦野の佐々木さんから頂いた富士1000回登頂記念ペナント、大森山1000回登頂記念の写真は大切な思い出の品である。

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キャッシュレス

2023-01-18 15:12:56 | いなか暮し

 一時、全面凍結まじかを思わせたが、暖かな毎日が続き、1月も半ば過ぎた今、殆ど氷が溶けた三郎堤、今は無数の水鳥が羽を休める。
 暖冬で全面凍結のなかった平成5年は夏の低温で未曽有の大冷害になったことを思い出す。

 昨今の世の中、随分と便利になったというか、ややこしくなった言うのが本音でもあるがカードやスマホを見せて買い物のお代は清算、お釣りの小銭もない。
 昔のお店屋さんと言えば 夕方、お店を閉めた後、主人は奥の机の前で売り上げを1円、10円、百円玉を積み上げて、ニヤニヤしながら札束を数える、お店のだいご味じゃなかったろうか、今の時代はパソコンの画面でも見てニヤニヤしてるんだろうか。
 いつものガソリンスタンドもセルフ、いくら給油するかわからないから、1万円札で支払う、毎回、お釣りがジャラジャラ、給油の度に小銭入れが膨らむ。
 おまけにQRコード、コロナワクチンの接種申し込みも「QRコードをご利用下さい、こちらが便利です」あまり便利とも思わないが・・・QRコード利用もずいぶんと増えた。

 思い切ってスマホ払いにした、これは良い、お釣りがないから小銭入れすっきり。
 年が明けて持て余す時間を近くのお寺や神社を回る、「今年も・・」「今年こそ・・」沢山のお願いするだけでは申し訳ないので、なにがしかのお賽銭を供える。
 毎日あちこちお参りしてたら、お賽銭の小銭がすっかりなくなった、お札を供えれるほどのお金持ちではない。
 キャッシュレスも不便でもある・・・・

 今年はセルフレジを避けない、ワクチン予約も申告予約もQRコード利用で予約しよう、デジタルなんか怖くない、・・・と思う。

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ランタン

2023-01-13 09:54:57 | いなか暮し

 いつもの散歩道、昨夜の雪が薄く積もった道端に残った模様、何だろう

 中、高校生の孫がまだ小学生の頃だから、もう5、6年も前の話 夏休みに入って間もなくの頃、孫二人と爺さん婆さんの4人で気仙沼大島にシーサイドキャンプに出かけた。
ホテルのシーサイドキャンプは設営済みのテント、準備の整ったキャンプフャイヤー。海山の幸を野外で楽しんだ後はホテルの入浴、テントの夜を過ごした翌朝はホテルの朝食。
 そしてお待ちかねの海水浴、震災のあと、間もないころとあって浜辺にはごみが流れ着く。
 ごみを拾っては管理人に届けて、おやつを貰う、孫たちには大きな思い出の海水浴だった。
 楽しいキャンプ、海水浴 大きな楽しい思い出を持って、帰宅。
 荷物を片付けていたら、ホテルのキャンプ場備え付けのランタンを持ち帰ってしまった事に気が付いた。
 大島に渡る橋が間もなく完成するというから、橋ができたらランタンをもって大島を訪れて返そう・・・と軽く考えた。
 僅か2時間も走れば行ける気仙沼大島、その2時間、年齢とともに段々遠くなってきて、孫たちも年齢とともに一緒に出掛ける機会もなくなった。
 そうこうしてる間に、いつ大島に行けるのか自信がなくなった。
 あの「ランタン」に長い間お借りしたお詫びの手紙を添えて思い出とともに郵送、ようやく返した。
 誤って持ち帰ったとはいえ、盗んだと同じでは後味が悪い、これですっきり。
 季節が良くなったら、今度こそ婆さんと二人であの思い出の気仙沼大島を、新しい橋を渡って訪ねよう。

 写真 雪の少ないこの冬、三郎堤の白鳥が田んぼに飛んできては薄い雪を掘り返して、こぼれ穂を漁っているらしい。
 水面を優雅に泳ぐ白鳥だが、陸(おか)に上がって、短い脚でよちよち歩く姿は可愛い、その足跡らしい。

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馬頭観音さま

2023-01-07 11:59:46 | いなか暮し

家の周辺に住み着き、悪さばっかりしていた雀どもが秋ごろからすっかり姿を見せなくなった。どこかで落穂でも漁っているんだろう・・12月、雪が積もっても姿を見せない、餌も無かろうと餌を用意しておいたらいつの間にか空になっていた。
 年が明けて間もなく1羽、 やがて4、5羽、生垣の伽羅木に来てる。
       いったい、どこに行っていたんだ、心配かけおって・・・・

 娘が小学低学年の頃、大事に飼ってた文鳥が死んだ、唇噛んで学校へ行き、帰ってきてから、裏の大きな木の根元に小さな穴を掘り、大粒の涙をボロボロこぼしながら文鳥を葬っていた。
 もう、ペットは飼うまい・・・・と、おもいつつ犬を飼い始めて、多い時には3頭もいた。
 我が家のペットは全国区、空路、石垣島から、沖縄東京で乗り継いでやって来た、石垣島のパイナップル畑育ちの「チャー」は体は小さいのに当時飼ってた3頭の犬のボス、小高い雪山の上で睨みをきかせていた。
 これも空路北海道からやって来たゴールデンレドリバーの「ダン」千歳空港で麻酔をかけられ花巻について地元の獣医師さんに目を覚ましてもらった。
 教育を受けた「ダン」は実に利口だった、並んで散歩しても人間の前には決して立たなかった。
 娘が会社の窓から子犬を捨てていくのが見えて、拾った、その犬も我が家の一員になった。
 思い出、多い犬はもっと、もっと・・・ そして現在、ラプラドール、どっちが前か後かわからないほどの黒、真っ黒を見て孫が思わず浮かんだ名前が「しじみ」利口なのか、そうでないかは、まだわからないが草を刈ると片付けを手伝ってくれる その模様を娘が写しNHKで放送されて「手伝う犬」としてちょっと有名になった。
 「しじみ」も、人間にしたらとうに成人を過ぎたはず、もっともっと愛嬌を振りまいて長生きしてほしい、少なくとも私より先に逝ってはいけない・・・ペットの死は悲しいから。
 近くに一族の共同墓地があり、隣接して昔、馬を飼ってた名残の馬頭観音様がある。
 亡くなった我が家の愛犬は総てここに眠っている。お盆、お彼岸には必ず線香を供える。
 泉下のご先祖様も、沢山のペットに囲まれ、にぎやかさに喜んでいるはず。

 

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