岩手の頑固親父

恵まれた自然、環境に暮す 老農のつぶやき、ぼやき

「年表」

2007-02-26 14:37:36 | 田舎暮らし

Cimg1941 Cimg1960 僅か10日まえの大雪、今はもう影もない
Cimg1963_1  表計算「Lotus1・2・3」の講習を受けて会社の運営には絶対必要と考えて始めたパソコン「Lotus」が「Excel」に替わり更には「ACCESS」にも挑戦、会社の仕事にパソコン、表計算を手離せなかった時代は数年前。 専業農家の今はたいしたデータもない。データがあるとすれば朝夕に計る血圧だけ。   普通は電卓で充分、筆算でも大方間に合う程度。「Excel」は暇をもてあまして大あくびをしているに違いない。
 我が家のぼろパソコン、容量のほとんどは孫の写真に占められているが一部
    「Excel」に活躍してもらっている

 表計算を使って自分流の「年表」を作り便利に利用している。
 好きな戦国時代、信長、秀吉の頃から明治維新の出来事や興味のあることを気のついた都度入力それに我が家のルーツを重ね合わせて、更には家族や周囲のこと、過去、現在のみならず自分の余命まで。

 項目は西暦、和暦、今から数えて何年前のこと、結婚後何年?、周囲、地域や社会の出来事、その年の生産者米価や折々の写真、孫の成長記録なども一覧できる。 あちらこちらに関数を利用して即座に何年前のことかわかるようにしているので我が家の飼い犬三匹ももちろん何才か即座にわかる。
  「産む機械」ならぬ「便利な機械」である。

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「小学校入学」

2007-02-22 12:02:18 | 田舎暮らし

Cimg1948 ※写真 全面凍結のなかったこの冬、早い春の訪れに白鳥も戸惑ってるに違いない。

 2000年生まれの遠くに住んでる初孫がこの春、小学校に入学する。1943年生まれの「岩手の頑固親父」だって6才、小学入学の頃があったんだ。話題の団塊の世代が入学する数年前のことである。

 戦後の日本中が貧しかった時代、我が家はもっと貧しかった。

 私が生まれる直前に20代前半の叔父が南の海で戦死、姉は生後まもなく死んだので待望の長男として私が誕生した。
 軍馬の育成で大きな商いがあったり、そこそこの地主としての収入もあり まま恵まれた家に生まれた・・・・・が、翌年、満一才の誕生日を前にして20代後半の父が病死した頃から歯車がずれ始めた。

 終戦 そして農地解放で土地の多くを失い小作料収入の道は断たれた。
 色々の事情があったんだろう。母は1才7ヶ月の私を祖父母に残して実家に戻ってしまった。
 小さな孫を抱えて祖父母は農作業もままならず、大きな地主の家に生まれた祖母も農地解放で財を失った実家の援助も受けられず生活は困窮した。
 そのうち、世話する人があって私が4才になってまもなく母が戻ってきた。
 翌々年新しい父を迎えた・・・・頃から私の記憶が残る。再婚した母のささやかな披露宴だったんだろう。お膳の海老が食べたいと言って伯母に叱られた。

 弟が生まれた翌年、ランドセルどころか文房具さえも買って貰えなかったが元気に入学した。小さな学校の16人の新入生はとても仲良しだった。

 入学までの僅か6年・・・色々のことがあったものである。誰も、うらみはしない。歴史が少々悲しかっただけのことである。

 私は孫を持ったのが遅かった分、どの孫も、とてもとても可愛いし素直に育ってくれている。何が大切かと言ったら私は家族以上のものはない。

 初孫が小学入学、自分の入学の頃と重ね合わせてみたりする、この春である。

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「胡四王山」

2007-02-14 19:08:01 | 田舎暮らし

Cimg0118 ※胡四王山新緑の頃がもっとも美しい

宮沢賢治記念館の建つ山の胡四王神社を紹介した一文がある。記した方は杉山氏という。

 当神社周辺は縄文、弥生の時代すでに集落が形成されていたことは胡四王山南斜面一帯から発見される竪穴住居跡によって知ることが出来る。昭和32年東京大学東洋文化研究所の発掘調査により須恵器の大甕土師器の広口甕が発見されております。
 胡四王神社は、大同2年今から1196年前、坂上田村麿東征の折、自ら兜の八幡座に納めてきた薬師如来像を安置し医王山胡四王寺と命名、従士杉山右京を別当として守護せしめたことに始まり 後、建久元年817年前源頼朝、平泉を攻め奥州を平定 山陰左中将の末葉、中山五郎為重に稗貫郡を賜り当山に18寺院を建立、祈祷第一の霊場とし更に麓六坊なども大いに栄えたという。
 降って天文年中、諸国兵乱に明け暮れ帰依の庶民○○し領主も造営にいとまなく霊場は頽廃(たいはい)薬師堂1宇(う)を残すのみの廃れようでした。文化15年188年前別当を詞官と改め神道医業の神、国土開発の神として大巳貴命(おおなむちのみこと)少名彦名命(すくなひこのみこと)の二神を祀り現在に至っている。
 花巻の生んだ稀代の絵師、八重樫豊沢の筆になる「薬師如来像」(花巻市博物館蔵)慶応3年、花巻の名棟梁 高橋勘次郎の手により彫られた彫刻が拝殿を彩る。
 又、「俳星」「獺祭(だっさい)」他の俳句雑誌によって岩手県出身の岡本不衣、岩動炎天らと共に俳句で活躍した熊谷一谷(いっこく)の句碑が胡四王山中腹の展望台に建っている。

 この書を著した杉山氏(矢沢在住)は絵画、書をたしなみ、麓研修館には郷土史年表を掲示されていたが紛失した。残念の至りである。ご子息も還暦年令の筈、ということは氏も80才は超えているはずだが今もって元気で畑仕事に取り組んでおられる。益々ご活躍をお祈りいたします。

 

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「めがね」

2007-02-13 10:48:06 | 田舎暮らし

 もとより視力には自信があり子供時分から1.5が続いていたが年を重ねるごとに少しずつ下がってきたのはわかっている。

 不自由も感じないので同年代の人たちが老眼鏡を使っているのが可笑しかったが飲みすぎの翌日や疲れたときには活字が見えにくい。
 ホームセンターで1000円ほどのめがねをいくつも買ってパソコン、寝室、トイレ、作業小屋、車と、どこにもおいて使っていたが、2年ほど前の免許書き換えのとき、めがねなしの通過は今回限りといわれ、次の書き換えも近づいたので思い切って眼鏡を新調した。

 さほどの期待もしていなっかたが遠近両用とか言うあれ、かけてびっくり まさに「世の中はっきり見えてきた」 還暦も大分過ぎてしまったがこの春も対策万全

 視力OK腰痛はいつもの病院に数回通えば治る、腸のポリープは除去手術予約済み、オーバーホールを終えて彼岸の頃には新品同様の体になって「岩手の頑固親父」は冬眠から目覚め、年令的には少し恥ずかしい言葉だが「認定農業者」「担い手」として頑張ることになる。

Cimg1708 ※写真 産直で見かけた子供達。
      じいちゃんのお手伝いに来ていた。少し眠そうな目   でポーズしてくれた。

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「金沢から福井…旅は続く」

2007-02-09 21:53:03 | インポート

「金沢から福井…旅は続く」
※ 雪こそないが素晴らしさには変わりないご存知の風景を堪能した。

 金沢の兼六園やお城を隅々まで見てから列車やバスを乗り継いで福井に移動、
 ライトアップの永平寺を参拝011
真っ暗な参道に竹や紙で作った手作りの沢山の灯篭にろうそくが点され、時折響く鐘の音が幻想感を高めていた。

家内安全を祈ってガラスの皿に入ったろうそくに火を点して参拝。
 念願の本山のお参りを済ませた。

 子供たちもみんな成長、頑張ってくれている。孫たちも健やか、これより望むものはない。
 願わくは一つだけ、逝く日の前日まで元気で働かせて欲しいものである、お互いの皺を笑いながらこれからも宜しくお願いします

 北陸を堪能して明日、孫の待ってる我が家へ帰ります。

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