岩手の頑固親父

恵まれた自然、環境に暮す 老農のつぶやき、ぼやき

「出稼ぎ」

2016-06-23 17:22:01 | 日々の暮らし

 小学生の孫二人とおばちゃんの4人で日帰り旅行
 新幹線、仙台から仙山線に乗り換えて山寺「立石寺」

  
 晴れた青空に深緑が美しい。多くの観光客が1000段の石段に汗をかいている。

 仙山線には思い出がある。
 現代では死語にも近い「出稼ぎ」 岩手の中部、石鳥谷を中心とする一帯は古くから酒つくり「杜氏」の技術者が多く、学校を卒業して就農 夏場は家で米を作り、雪で農作業のできない冬の間は現金収入の得られる「出稼ぎ」、秋の取入れが終わるのを待ちかねたように日本各地の酒屋に出かける。
 翌春まで約半年、同じ郷里の杜氏仲間と仕事をしながら共同生活を続ける。

 仙山線に乗って山形の酒屋に「出稼ぎ」
 その年の春、我が家に嫁いだ妻は酒屋に出かける頃には長女を身籠っていた。
 結婚、妊娠して、夫のいない初めてのさびしい長い冬、舅、姑との同居、携帯電話どころか普通の電話さえもなかった時代、たまの手紙だけが楽しみだったに違いない。

 待ちかねた春、酒屋は「造留」 酒つくりが終わって、待ちかねた帰郷が順次始まる。
 ためた給料とお土産をいっぱい買って仙山線に乗り仙台から東北本線で妻の待つ我が家に向かう。

 
 山寺で旬のさくらんぼを買って、再び仙山線で仙台、孫たちは「うみの杜水族館」で歓声をあげている。
 

 

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母屋 おもや

2016-06-16 15:36:33 | いなか暮し

   母屋と土蔵をつなぐ渡り すっかりくたびれた庭木と違って石は好い。
        何年経っても昔のまま、 隣村から馬車で運んだと祖父が言っていた。

 母屋の隣りの、離れに住んでいた息子一家が同じ敷地内の新居に移り空き家となった離れをリフォームして自分たちが引っ越した。
 そして築140余年、明治の始めに建てられた母屋が空き家となった。

 家具類を大方、片付けてみると広さが感じる。
 上、下座敷 納戸 中納戸 中間 常居 戸や襖を取り外すと計34畳ほどの大広間で 先祖代々の結婚式、地区の人たちが100人以上も集まるお念仏、葬式 講宿として山の神講、最上講等の会場になる。

 その日のために、座敷から障子越しに見える庭を作り手入の行き届いた植木の自慢をしたのだろう。
 隣近所、親類から沢山の人たちが手伝いに来て、この日のために備えた祝儀、不祝儀用のお膳、家紋を入れたお椀、皿、人数分の座布団 何十年に一回の結婚式に床の間に飾る「高砂」や葬式の祭壇用の棚までもそろえて、よその家から什器類は借りずに済ますことがその家の甲斐性だったのだろう。

 蔵の什器類をすべて使ったのは50余年前に妻を迎えた時、その後は次第に簡素化されながらも20数年前の父の葬儀まではこの広い母屋を使った。
 今は葬儀は葬祭センター、結婚式は温泉やホテル、たまに講宿になれば近くのレストランで会費制と随分と楽ではある。

 多くの人を集めて、もてなす「お振舞」のやり方は老妻共々まだ記憶が残っている。
 記憶が怪しくなる前の今のうちに、親類や隣近所の人たちを集めて、昔のような結婚式や葬儀を「母屋」でやって若い人たちにも見せたいと思うが、孫は小学校に入ったばかり、結婚式はまだまだ遠い先の話、それでは葬式を・・・・・
 残念、葬式の順番は自分が最初! やっぱり無理かな

 努力して残すほどの価値もない母屋や土蔵 ご先祖様には申し訳ないが土蔵の什器類はゴミとなり「母屋」は解体、150年もの歴史は閉じる。

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種場 たねば

2016-06-13 17:20:44 | いなか暮し

                     

   5月14日に田植        2週間後          凡そ1ヶ月後、6月11日
  順調にぶんけつが進み日ごとに逞しく成長している。

 この田んぼは通称「種場」と呼ばれる。
 地区内には80ha余りの種場(種子圃場)があり55戸の農家が手を込めて340トン余りのお米の種を生産している。
 340トンの種は1万㌶もの田んぼに利用され来年秋には50~60万キロのお米となり、そのお米は90~100万人もの人たちの主食になる。
 100万人、日本国民の1パーセントもの人に供給している計算

 それだけに種場の管理は大きな責任を伴う
 多品種の混入は絶対に防ぐことは第一、他には
「ばか苗」の発生にはピリピリ、苗が異常に生育徒長し、倒れやすくなり、ぶんけつが減り収獲に大きな影響を与える。
 一本の「ばか苗」は胞子を風で飛ばし感染被害が大きく広がることから一本の「ばか苗」が発生すると、その周囲、半径200㍍は種子失格となる。

 苦労して育てたお米、種子が無事に、でき秋を迎えられるように暑い夏も手が抜けない。               

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熊本のお城

2016-06-10 07:02:52 | いなか暮し

 蒸し暑い夜、コーヒーカップを手に庭石に腰かけて夜空を見上げる。
 星が美しい。   星が美しいなんて今まで思ったことはなかった。
 お星さまになる日が近づいたせいで美しく見えるのかなー!

 我が家の遠い遠いご先祖様は熊本から出たと言われる。
 700年程の昔 南朝に召されて熊本から吉野を経て海路北上し、石巻を経由して岩手県山田町船越に着いて遠野近郊から一族は拡がっていったと言われている。

 遠い遠祖の地、熊本を訪ねること数回、 本丸御殿の建設の前後、そのたびに
立ち寄った熊本城、

               写真は小学館2004年発行 名城をゆく 熊本城から
 観光バスの時は大手門から入ったが、歩いて訪ねた時は須戸口門から入り楠の巨木と200㍍余も続く重文の黒い長塀はとても美しい。
 長塀から二様の石垣、本丸御殿、天守・・・・・

 あの西郷さんの1万数千人による猛攻撃にも耐えたという熊本城が震災で大きな被害を受けた。
 被害の模様が放送されるたびに悔しい。
 歴史的には数回の地震や火災、暴風雨に大きな被害も何度か受けてはいるがそのたびに復興したらしい。
 今度の災害も時間こそかかるが必ず又元の熊本城に戻るに違いない。

 災害を受けた皆様方には一日も早い元の生活が戻り、熊本のお城も一日も早く元の姿に戻れますように・・・・・・

 

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鹿被害元年

2016-06-08 06:58:24 | いなか暮し

            
 古女房殿は無類の花好きである。庭から畑 隙間があれば花を植えて楽しんでいる。
 花好きは良いとして、散らかってる物の片付けや断捨離は一切無頓着!

 知人から電話「お宅の田んぼは大丈夫?」

 山際の田んぼに確かに何かが歩いたような跡がある。

 歩いたあとには稲の葉が食べられた跡がくっきり    
 鹿がいっぱいいて被害に慣れた沿岸の釜石から引っ越した人に聞いたらこれは 「鹿の悪さに間違いない」
 今は1頭か2頭くらいの足跡で食べた稲の葉も僅かだが、群れをつくって行動するという鹿が家族や仲間を引き連れてきて腹いっぱい稲を食べるようになったら大変

 鹿を見かけたとか、リンゴが食べられた、植林した山に鹿除けの網や触れると電気が流れる設備をした人はいるがまだだろうと思ってはいたが・・・

 可愛い顔した日本鹿だがやることが憎い 今年が「鹿の被害元年」かも知れない。

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