かって馬産地だった当地域には馬魂碑や「馬はかどこ」(馬のお墓)が点在する。立木が伐採された山裾から「馬はかどこ」が姿を現した。写真
この場所はかって人間の火葬もした。
土葬の歴史は長いだろうがお墓が狭くて土葬出来ない家では火葬にしたようだ。
集落の”意気のいい人たち”数人にお酒、料理、お礼を払って火葬をお願いする。
夕方に火をいれ、夜を徹して火葬を続けるが時として良く燃えないときや、あるいは頂戴したお酒に酔って、翌朝の「お骨拾い」に間に合わないこともある。
そんな時、「お骨」以外の部分は近くのため池に投げ込んだ。
釣り好きの人たちもそんな話を聞いているから、そのため池では釣りをしない。
大きな区画の田んぼを造ったときに取り払われたそのため池には大きく育った鯉がいたそうだ。
昭和20年代を最後に野辺の火葬や土葬は姿を消した。