岩手の頑固親父

恵まれた自然、環境に暮す 老農のつぶやき、ぼやき

暑い夏

2023-08-31 15:20:37 | いなか暮し

「今年の夏は暑い」人と会うたびの挨拶になっている。岩手、花巻近辺は7月20日頃まで長雨が続いていたが 7月22日、例年より一週も早い梅雨明けに喜んだまでは良かったが、その後は40日経っても連日真夏日が続き、雨も極端に少ない。10日余りも続いた熱中症警戒アラートも岩手では未体験。
 もともと暑さを好む田んぼの稲粒  は丸々肥えて良く実っている、いつもの年より大分早くなりそうな稲刈りを待っている。
 暑い夏は良いことなんだ・・・30年ほど前、平成5年(1993)の夏は寒かった。その年は春から気候がおかしく
 2月に盛岡で行われた世界アルペンは季節外れの大雨、地域の水がめの三郎堤はその冬、全面凍結なし、はじめての事件だった。
 そして4月30日には咲き誇る桜に3~4㌢の雪が積もり水仙の花も寒さでダウン。
 5~7月初めにかけてはおおむね順調だったように記憶しているが、7月半ばから低温注意報が続き稲の病害イモチ病も発生、8月半ば、お盆の頃は冷たい風が吹き長袖を重ね着したと記憶している。
 8月21日 「昭和29年以来の冷夏、大雨、日照不足」と読売新聞トップニュース、それでも例年の2週遅れで稲が出穂を始めたが9月に入っても「ひとめぼれ」以外の稲は、開花時期の低温で受粉しないので傾穂しない。
 9月13日、岩手の水稲作況、県平均70、花巻55% 大凶作が確定した。
 10月に入ると同時に米不足騒動、米屋の前の行列、米を盗まれたと新聞記事、冷害は西日本の長雨と合わせて120万トン米不足と報じられた。
 その頃、近所の数戸の農家が収穫をあきらめて稲を草刈機械で刈り倒す光景が見られた。
 そして10月いつもの年より20日も遅れて稲刈りが始まり、10月末になってその年の米の作況が発表された。岩手の作況33花巻38。

 冷害による米不足騒動の翌年、平成6年(1994)の夏は、7月から8月にかけて連続真夏日38日、暑い夏のその年は空前の大豊作に恵まれた。
 岩手、南部藩の歴史を見ても寒い夏に飢饉が多い、寒い夏、不作そして翌年暑い夏、豊作、あるいは暑い夏の翌年寒い夏・・年寄りはいらぬことを案じる。
 ・・・サムサノナツハ オロオロアルク・・ことのないことを願って・・。
 

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時給

2023-08-21 15:07:05 | いなか暮し

 暑い夏、昼食後 少し横になろう・・と、思った頃から決まったように近くの大豆畑からあの甲高い特徴ある雉の鳴き声がする。
 友達、恋人探し? 何日か続いた後に今日は二羽並んで歩いている、 ようやく巡り合えたのだろう。
 いつもの鳴き声もなく、胸をはって歩いているような・・めでたしめでたし。

 農業高校を出て家業の農業についたのは昭和37年、もう60年もの昔、まだ東海道新幹線も走っていない頃、花巻近辺では当時、農家の長男は学校出たら就農、2、3男は企業に就職するというのが当たり前、長男は農業を次ぐのが親孝行とも言われた時代。
 疑うことなく就農して両親と一緒に農業をして小遣い銭をもらった記憶も少ない。秋口になったころから「酒屋に行かないか・・」と誘ってくる人が増えてくる。岩手の県南、花巻地方は昔から南部杜氏として全国に酒造りの技術集団を送り出し、秋ごろからその杜氏の勧誘が盛んになる。
 友人と相談し一緒に県外の造り酒屋に出稼ぎに出かけた。蔵で働く人たちは11、12人ほどみんな花巻の人たち、集団のトップ杜氏さんは60代だったがあとはみんな若く平均年齢が30代、食事も仕事も寝るのも一緒の仕事は楽しかったし少々の夜遊びもできる、親元を離れた解放感に浸った。
 当時、出稼ぎ酒造りの賃金は日給430円、月収1万を超えたことにびっくり。1年前の高校3年の時の郵便局の配達アルバイトは一日歩き回って220円だったから出稼ぎ先の酒屋の賃金430円はびっくりするほど高かった。
 賃金をせっせと我が家に送る人あり、中には家から離れた解放感で遊び過ぎて逆に小遣い銭を家から送金させている輩もいた。
 高いと思った賃金も一日の賃金で一升の清酒を買えない額だったように記憶している。ちなみにその年、昭和37年の生産者米価60㌔4800円ほど、米価はこの後数年しては消費量の減退等々で生産調整、米価低迷に移る。 
 1ヶ月の賃金収入が1万円を超え3万になり5万になり10万円も超え賃金は上昇が続く、そういう時代だった。

 先ごろ最低賃金が公表された、時給が初めて1000円を超えたとか、その昔、日給430円、時給にしたら430/8 1時間賃金54円と比べたら雲泥の差 比較には無理がある、比べようもないがその数字には目を見張る。
 食べたいものは何でも食べて、ほしいものは大抵のものが手に入る、
 とやかくは言うが、やっぱり現代は平和、「いい時代」に生きたと感謝する。

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長い、つきあい

2023-08-11 16:23:13 | いなか暮し

 この夏、岩手の梅雨明けはいつもの年より6日も早い7月22日 早い梅雨明けを喜んだまでは良かったが翌日から連日猛暑日に近い暑さがが続いている。
   今朝も暑さと競うように百日紅が真っ赤に咲いている。

            暑さに似合う百日紅、今日も暑さに負けるな・・

 今日も暑かった夕方、ある会合に出かけた。情報交換という名の飲み会に10分ほど遅れて到着、先着メンバーはすでにビールジョッキを傾けている。「生ビールからですか?」「いやサワーからいただきます」そして改めて乾杯。
 暑い盛りにもビールを飲まなくなったのはいつからだろう、それまでは晩酌や宴会の前には何はなくともビールだったのに、それもかなりの量だった。
 観光で訪れた石垣島にあこがれて住みつき、結婚までしてしまった娘の結婚式は石垣島のホテルで行われた。その結婚パーティが焼酎で乾杯したのにはびっくり。花巻地方では何はともあれ日本酒という歴史がある。どうもその辺から自分の酒の好みも変わっていったように思う。
 岩手では接する機会の少ないオリオンビールや泡盛、焼酎を石垣島や沖縄に行くたびにいただくうちに好きになっていたんだろう。泡盛が焼酎になり更には芋焼酎に取りつかれた。
 今から20年も前頃に宴会で一人芋焼酎を楽しんでいると「誰だ!芋焼酎を飲んでるのは・・」と言われたが今ではどこでも置いている、たぶんあの特徴ある匂いも以前より和らいだように思う。
 その頃だったように思う、チュウハイが人気になり、すっかりビールに取って代わった。
 ビールがチュウハイ、サワーに代わり日本酒が焼酎になり更に芋焼酎、さらに黒糖焼酎が最近の好みになった。
 だいぶ古い話、中を取り持ったある二人が新婚旅行で訪れた九州で立派な入れ物に入った芋焼酎を土産に買ってきた、ふたを取ってびっくり、「こんなものが飲めるか」、棚にしばらく飾っていたが、中の芋焼酎は捨ててしまったことがある。今から考えたら実にもったいないことを・・・
 高校の頃からたしなんだお酒、「どぶろく」から始まり、320円だったかポケットウイスキー、高校出てから勤めた造り酒屋の日本酒・・等々お酒との付き合いは実に60年余年、長い長い付き合いが続く。

 暑かった今日、夕方は何から・・手作りの梅酒を、濃い目にしての炭酸割と 黒糖焼酎のお茶割で行くか・・・

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