岩手の頑固親父

恵まれた自然、環境に暮す 老農のつぶやき、ぼやき

穏やかな一年を・・・

2016-12-31 09:02:26 | いなか暮らし

 年も年だし山登りはそろそろ引退かと思っていたが夏、思い直して通い慣れた早池峰山に挑戦してみた。
 難なく登れてそれも二回も登り、秋田駒ヶ岳にも登った。
  元気回復の一年。

 年齢を重ねると言うことは、人生が豊かになることであり、人間として熟すこと。
 人間の成熟というのは、相手の気持ちを思いやる心を持つことです。
 人の気持ち、立場になって物事を考えることができると言うことです。
 自分さえ、自分の家族さえ、自分の国さえ良ければいいという考えを捨てて、人の苦しみや悲しみを想像して助け合う。
 こういう考え方が広まれば、今のひどい世の中も少しずつ良くなっていくでしょう。
               天台寺 あおぞら説法 瀬戸内寂聴さんのお話から

明日から新年 平成29年 昭和から数えて92年 大正106年 明治149年

   新年2017年 平成29年
            おだやかな一年でありますように・・・・・・

     

  

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我が郷にも・・・

2016-12-26 15:04:28 | 日々の暮らし

 かって西日本に大発生したが東日本、岩手には無縁と思っていた鳥インフルエンザウイルス、この冬岩手で多発し9例目となった。
 そして、ついに我が郷の水がめ「三郎堤」で優雅な姿を水面に映していたコハクチョウ一羽の死骸から陽性反応が出た。

 20年ほど前、二羽の白鳥が三郎堤に舞い降りた。
 近くの人が凍った水面の氷を割り、餌を与え続け近所の猟友会の人から禁猟区になるから餌やりは止めるようにと忠告を受けた事もあったが毎日餌やりを続け
 翌年には数羽の仲間を連れてきて、更に翌年は数十羽にもなった。
  沢山の白鳥が飛来するようになって、近所のお店屋さんでは餌になるパンを置いてくれた。
 餌をねだって人の近くにも寄るようになり冬休みの子供たちの人気者になった。 
 数年たって三郎堤は外来魚駆除のために落水し、白鳥が飛来する頃、水が少ししかたまらずにハラハラしたが僅かの水にいつものようにいっぱいの白鳥が飛来し隣村の軽井沢堤や北上川を自由に往来してその数も年々増えていたが、鳥インフルが西日本で発生した頃に「餌やりはしないで・・・」という人間の勝手な理由で、餌をやらなくなり白鳥も次第に人間には寄り付かなくなった。

 12月22日コハクチョウの死骸が見つかり25日に陽性反応があり、その後鳥インフルエンザウィルスH5N6亜型が確認された。

 年末、鳥インフルエンザ、ノロウイルス、
           年が明けたら今度は人間もインフルエンザか

 
 

 

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雪のない師走

2016-12-23 15:14:18 | いなか暮し

 例年なら、もう雪かきも数回やってる頃だが岩手の師走は雪かきどころか、まったく雪がなく暖かな日が続いている。
 そうかと思えば 終業式を終えて、北海道の「じじ、ばば」のところへ遊びに行く小学生の孫、空港で待つこと2時間余り、千歳空港が大雪で空港閉鎖で欠航、その日、糸魚川では強風にあおられて大きな火事。
 
   積雪に備えて、のぼり旗の奥の駐車場には
                  除雪機械が待機しているが・・・・・

 1月2日の胡四王蘇民祭に「雪と炎」の裸詣りや、争奪戦を写そうとせっかく集まってくれるカメラマンも雪なしでは少々がっかりする。
 胡四王蘇民祭に、ここ数年あのハワイから、はるばる参加してくれる人がいる。
 「真っ白の雪を踏みしめて裸詣り、蘇民袋の争奪戦を楽しみにしています。よろしく」 
   
メールが届いたがさて雪は降るか・・・・

 この冬、変なことがもう一つ。
  庭のモミジ、いつもの年は11月の半ばには一斉に葉が落ちて土肌に美しい落葉を広げるが、今年は12月も終わるころになっても霜で黒くなった葉がついたまま。
 気候がおかしいのか、木になにか変化が起こったのだろうか?
 
 

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近くて遠い山

2016-12-20 11:23:30 | 日々の暮らし

 北上平野の花巻付近から、東の早池峰山を見上げると、その手前に必ず目に入る権現堂山(476.3㍍)は、なだらかな稜線で早池峰の景観を引き立てている。
  早池峰山の左、鶏頭山の下方に横たわる権現堂山は
  右、東側の鷹巣山と共に緩やかな曲線で、おっとりした地味な山だ。

 いつも眺める権現堂山は、
    宮沢賢治先生も登って詩を残している。

 「ちじれて すがすがしい雪の朝」 宮沢賢治「詩ノート」より

   鳥二羽  谷によどむ  氷河の風の  雲にとぶ
   いま スノードンの 峯のいただきが  その二切れの 
          巨な雲の間から  あらはれる

   下では権現堂山が 北斎筆志那の 
          絵図をパノラマにして  展げている

   北は  ぼんやり蚤白彩の  また寒天の雲 
          遊園地の上の 朝の電燈

   ここらの野原は  ひどい酸性で 
          灰色の蘇苔類しか  生えないのです

   権現堂山は こんどは酸っぱい  修羅の地形を 刻みだす

 37才で没した賢治先生も登っているのに、70も過ぎて登っていなかったというのは恥ずかしくもある。

 師走、暖かさに励まされて権現堂山に向かった。
 10センチほどの雪を踏み、しばらく登りつづけたが、なかなか頂上には着かない。
 スマホのマップは頂上近くを指しているが、方角が少し違う・・・・
 来る途中の道路端にあった「熊出没注意」の、のぼり旗が頭をかすめる。
 「引き返すのも大きな勇気」と勝手な解釈で山を降った。 必ず又登る。

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お不動さん

2016-12-17 18:06:15 | いなか暮し

 日曜日は、孫の一万歩散歩のお付き合い。
 地区内には同じ地域に住む人たちにも意外と知られていない所も結構ある。
 釜石線の北上川鉄橋の東、胡四王山麓の 岩谷お不動さん(岩谷大聖不動)もその一つ、大きな杉木立に包まれているせいで近くの道や釜石線の車窓からは、よく見えない。
 お不動さん近くの「胎内くぐり岩」で写された「絵葉書」に、古い写真が残っている。
 昭和の初めか10年代ごろだろうか、 
 写真に写っている子供の一人は知人のお父さんだと聞いたことがあるから、逆算したら80年、90年前に出た絵葉書と思う。
 この胎内くぐり岩は、大同2年(802)征夷大将軍、坂上田村麻呂が武運長久を祈願して、自分の兜の中に納めていた薬師如来を、胡四王神社に安置する際に自らも岩谷お不動さんで胎内くぐりをしたという伝説も残る。
 
今も残る、伝説の巨岩に孫と挑戦しようと裏から登り始めたが、 多量の落葉に昨夜の雪が混じり危険とあきらめた。
 来春、雪解けを待って再挑戦!!する。
 孫は平気で1万歩だが「じいちゃんは・・大変

 

 

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