かって集落は早春から田んぼに入るまでの間に「ふきぎゃ」(屋根の葺き換え)が行われた。
何十年に一度の屋根換えは当主にとって一大事。本家、親類によろしくお願いして50戸ほどの集落に「おつぎゃ」(連絡、案内)をする。
大量の萱、労力が必要なことから多分、同じ年に集中しないよう調整が行われていたと思う。
古い屋根を取り去るには何十年分の埃や煤まみれの萱を剥ぎとるので夕方には皆、真っ黒になりどぶろくを飲む顔は目と口だけが白い。手伝いに行っても怪我は自分持ちが決まり。
屋根の葺き換えには大量の萱が必要になる。
当時はどこの家でも大量の萱を屋根裏に保管し「お手伝い」と称して萱を持ち寄った。
多分6尺の長さだったと思う。その縄で 持ち寄った萱の量を測り 「誰々さんから 萱1〆とか、2〆」(或は1締めの意味かも?)のお手伝と言った。
大きな屋根の家ではそれだけでは足りず「萱無尽」を組む家も多かった。
今、農村も住宅の新築、改造は住宅会社の仕事、ときには外国?と思わせるようなカラフルな家がいつの間にか建っている。親類間では新築に対しては金銭でのお手伝い風習は残っているが労力の手伝いは過去の話。
共同作業、結い(ゆい)はもっとも大事で固い絆で大切にされた事だが現在では
全てお金の力に頼ることになる。