地域の人達は親しみをこめて「義一さん(ギイッツアン)」と呼ぶ。
「ギイッツアン」が亡くなった。83才。
今年、地域の巨星の相次ぐ他界である。
大きな事業を全うされ、多くの公職をされた。
誰の話でも良く聞いてくれる。そして大所高所からアドバイスをしてくれる。
この人の前では誰も嘘をつけない、みんないい子になる。
生涯に尊敬する人、お世話になる人は無数にあるがその中で一番に尊敬しお世話になった大恩人である。
自分がこの年令(歳)になるまで頑張ってこれたのも「ギイッツアン」に一言、「良く頑張った」の一言、言われて欲しかったためだったかもしれない。
県の相撲協会の顧問を努められ国体、県体加えて学童相撲の指導に励まれた。
若い頃、「ギイッツアン」は地方相撲で四股名を「町昇」を名乗り三役で活躍された。
ある日、大相撲の地方巡業が花巻小学校の校庭で行われた。
余興だったろう、「ギイッツアン」は飛び入りで大相撲力士に挑戦した。
幕下クラスの力士は「ギイッツアン」に投げ飛ばされて観客は大喜び。敗れた幕下力士は「素人」に負けたことを先輩力士になじられ竹箒でしごかれていた。
そのうち、当時現役大関の「松登」がよし「わしとやろう」と言うことになりしばらく土俵でもみ合ったが何と「ギイッツアン」は「松登」を寄り切ってしまった。
大関はわざと負けてやったんだとみんながそう思ったに違いないが、当時小学生の「頑固親父」は頭脳明晰な「ギイッツアン」はまともに当たっては勝てないと頭脳作戦で大相撲大関の「松登」に本当に勝ったんだと今でも信じている。
相撲で鍛えた体、詩吟もこなす喉で奥様と二人で唄う相撲甚句・・・・
亡くなった翌日の夕方、地域の人達が大勢集まってお念仏が行われた。
光明遍照十方世界念仏
衆生摂取不捨一心帰命
南無阿弥陀佛 南無阿弥陀仏
願以比功徳平等施一切同
発菩提心往生南無阿弥陀佛
阿字十方三千佛
弥字一切諸菩薩
陀字八万諸聖教
皆是南無阿弥陀佛
「ギイッツアン」を偲ぶ。
「合掌」