岩手の頑固親父

恵まれた自然、環境に暮す 老農のつぶやき、ぼやき

紅葉とミュージカル

2017-10-29 09:00:50 | いなか暮し

 季節外れの台風21号は、大荒れ予想の割には被害が少なく 収穫まじかのりんごの落果も最小限の被害らしい。
 強い北風に、色づいたヒバの葉っぱが庭一杯に散乱 
 風情とか言うかもしれないが後の始末が大仕事。

 台風一過の翌日は良く晴れた、この後も数日は晴れ予想。
 この秋は、雨が多く機会がなかった紅葉見物、季節は10月も末、今しかない。
 朝、起きて暦の予定欄には予定もなし、もっとも昨今では予定らしきものは月に一、二度の通院だけ。

 急きょ、予定した宿は大浴場の屋根が昨日の台風で、屋根が飛ばされたとか、やっぱり被害もあったんだ。
 にわか作りの旅行の予定、宿・・・年よりの旅行は荷物が多い、あれこれ積み込んであわただしく出発。
  晴れた青空にはが良く似合う。
 秋田、岩手の県境を越える頃には、この秋一番の青空に紅葉がいっぱい。
 目指す秋田は、あきた芸術村、わらび座のミュージカル 「ジパング青春期~慶長遣欧使節団出帆~」
 ど迫力と感動 2時間弱の舞台は素晴らしかった。久しぶりに良いものを見られた。

 抱返り渓谷、真木渓谷を経て、川口温泉泊
 翌日は川口渓谷 紅葉三昧の後、三郷町の日本百清水の六郷湧水群を訪ねた。

 二日間の紅葉、少々贔屓目に見て、岩手に戻っての錦秋湖周辺の紅葉が一番だった。
 青空、紅葉、ミュージカル、それに加えて温泉、良い旅でした。 

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ため池の底浚い

2017-10-23 11:42:12 | いなか暮し

 シベリヤから飛び続けた白鳥たちは、いつものように花巻の三郎堤に降りて羽を休めよう・・・・??
    堤に水が無い、、、、、

 下流に多くの民家がある三郎堤は、耐震調査のために今は水なしの状態である。
 年に一回、外来魚が住みつかないよう水を抜いて堤干しをしているが、そのたび泥がたまり底が浅くなっているように感じる。
 昭和3、40年代に田瀬湖から水が引かれ、上流に多くの田んぼが拓かれ、その田んぼの余水を貯めるから泥が次第に入り込み次第に浅くなっているのだろう。
 田瀬湖から大量の水は来るようになったが、一気に需要の多くなる5月初め頃には三郎堤からの補水が必要になる。

 三郎堤は平泉三代に連なる泉三郎忠衛によりつくられたという伝説もあるが、下流の矢沢地域が江戸、元禄年間に村高が急激に増えていることから、その頃に三郎堤が完成したと推測されている。
 大きな水源を持つ、この地域は南部藩有数の米産地と言われた分、藩の収奪が激しく年貢が四割以上にも及んだと言われる。
 一方、藩の重要な米産地だけに三郎堤の手入れもしたようである。
 文政、安政の頃、三郎堤の補修や底浚いがされ、工事に伴う強制的な普請人夫割り当てを拒否する百姓一揆などが起きている。
 江戸時代にはすでに底浚いが行われたが、明治以降はどうだったろうか。
 昭和50年代に県営大規模老朽ため池整備事業により改修、整備され、平成6~9年には水環境整備事業が行われ、堤一帯の環境整備がされたが、その工事の時も底の泥を取ら去ったことはなかったように思う。
 75万立方㍍と言われる水をため込むだけに、いざ底浚い、浚渫となると大工事となる。

 今の世で、まさか普請人夫を強制することはない分、地元一部負担という手を使ってくるだろうなー。

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フアンレター

2017-10-18 18:06:25 | いなか暮し

  マツクイムシ被害で、花巻周辺から松の緑が消えて久しいが、近所に生えた松の元気が良い。
 中心の芽が、勢い良く伸びている。抵抗力の着いた松だろうか。
 「小さな虫になんかに負けないで、元気で大きな、松に育て!

 スキャンダルで売り上げを伸ばす姿勢が嫌いで、原則として週刊誌は読まないことにしているが、「週刊新潮」だけは別だ。
 藤原正彦先生の「管見妄語」を、読みたい一心で、今週も買ってしまった。
 本質を見抜き、ユーモアを織り交ぜたコラムが楽しい、時には胸がすく思いがする。同じ思いの読者も多いはず。
 先生のお父さんの新田次郎さんも好きで、貧弱な我が読書歴も、この親子の作品だけは良く読んでいる。
 ユーモアにあふれる文のせいか、あったこともないのに、とても親しみを感じている。
  先生のお母さん、藤原ていさんの母子4人の満州脱出の様子を描いた「流れる星は生きている」は、この冬には読もう。
 老化の激しい「岩手の頑固親父」から偉大な数学者、作家の藤原正彦先生への心を込めたフアンレターである。
 先生とは同い年でもあるのもうれしい。 

 

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冬眠

2017-10-17 18:30:52 | いなか暮し

 今年の中秋の名月は満月より2日早い10月4日
  
 曇雨天が続くこの秋だが、雲の間からお月様が顔をのぞかせた。

 夏から続く不順天候は、花巻地方の稲刈りシーズンの9月下旬から10月にかけても、曇雨天が続き、例年になく稲刈りが遅れ、いつもより10日ほども遅れて終了した。
 もっとも、大方の田んぼを、地元の法人に委託してるから自分で刈取る分はごく少ない面積ではあるが、終わるとやっぱり安心。
 早速、自慢の「ひとめぼれ」を食べたやっぱり美味い。
 稲刈り終わって稲作農家は長い長い、冬眠に入る。
 冬眠と言えどもやるべきことは多々。
 老妻が丹精込めた野菜の収穫の後、知人に送る新米、野菜の荷づくりが一段落すると、若い頃、1日なんぼ、月になんぼの収入があった頃はできなかった、収入が無くなったからこそできる仕事がある。
 田んぼ周りの手入や用排水の手入れ・・・・・等々。
 とはいえ、農閑期ならでは楽しみも多い。
 図書館通いや、旅行も頭の中に計画はできている。
 のんびり冬眠・・はやっぱり忙しい。 

 

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父の背中

2017-10-03 11:48:13 | いなか暮し

 昔、刈り取った稲はホニオにしたり、ハセガケ(棒がけ)にして乾かした。
 お米の副産物の乾いた稲わらは、俵になり縄になり、その役目は大きかった。
 せめて、正月のしめ縄だけでも新しい稲わらで作ろうと、ミニはせを作り、稲を干した。 
  
 刈り取った稲を、一束一束、束ねてハセにかけて乾かし脱穀する。コンバインで一気に収穫する、今の稲刈りに比べたら、数倍も手がかかる。
 先人は苦労も苦労と思わずに働いてくれたことに感謝する。

 小学校に通じる道に、今は上流に多くの開田がされて、大きな川に整備されたが、当時は小さな川で、子供たちが置き針をしてナマズを取ったりする遊び場でもあった。
 通学路にかかる、その川の石橋は4本の長い石を並べた小さな橋だったから、大雨のたびに川は渡れなくなった。
 その日も大雨で、川を渡れなくなり、近所の父兄がでて、学校帰りの子供たちを1人ずつ、負ぶって越えた。
 1年か2年生頃だろうと思う、おんぶするには少し気恥ずかしい気もした。
 
 私が誕生を迎える前に亡くなっているので、父の記憶はない。
 小学校に入る少し前に新しい父が来た。それから2、3年後だったんだろう。
 父の背中で、増水した川を渡った。
 新しい父は、、小柄だったが、その背中は大きく、広く、暖かく感じた瞬間だったように覚えている。
 

 

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