岩手の頑固親父

恵まれた自然、環境に暮す 老農のつぶやき、ぼやき

『昼寝』

2006-03-26 08:08:18 | 田舎暮らし

55917391024370895529d1  写真は花巻シニアネット GIZ-HAMA氏作品 春の孫の大移動が始まった。南、九州から来る孫たちはちょっと早いお花見を済ませてからといっていた。こちらは陰にはまだ少しの雪が残る。

 お年をめされた政治家の先生方が元気に活動している様子がテレビで良く見かける。偉い先生方がどうしていつまでも元気なのか。秘訣は僅かの時間でも「昼寝」をすると聞いたことがある。私は偉くはないが「昼寝」だけは出来る 農作業の暇な時には朝、昼の食後、即眠る。たかだか5分か長くても10分、その後の体調は極めて良い。苦手の本を読んでも眠くならない。偉い先生方の多忙な時間をさいての一眠りはよくわかる。

 昔、日の出とともに働いた名残と思うが農家には昼寝の習慣がある。春の彼岸から秋の彼岸までの半年は昼寝をしても良いことになっている。昼寝は凡そ1時間、昼食後の1時から凡そ2時まで、季候が良くなれば広い座敷に大の字になって寝る。その時間は電話もはばかられたが最近はセールスや時期になれば選挙の電話が遠慮なしである。もっとものんびり昼寝の出来るのも会社を退職してからのことである。土、日を利用して農業をやってる兼業農家は昼寝どころではない。この先、農繁期は大変。気の毒と思いつつ私は今日も昼寝を楽しんでから田んぼに出かけようと思う。

 花見を終え、今回は趣を変えて九州から新幹線で日本縦断してくる、孫御一行は今朝、出発したはず、今頃はどの辺を走ってるかな・・・・・

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『春一番』

2006-03-19 11:19:43 | 田舎暮らし

Cimg0858  東北 いや岩手だけかも知れないが春の南風「春一番」が吹いた日の発表はしないと聞いたことがある。雪がまだまだ沢山あるときに「春一番」と発表したところで実感にそぐわないと云うことらしい。逆の理由から年中暖かい沖縄でも「春一番」の発表は無いらしい。

 それでは何で春を感じるのか。私の場合は庭に咲くクロッカスの開花を「春一番」としている。今年は3月18日に黄色い可憐な花を咲かせた 日陰にはまだ雪が残っているのに目覚めの早い花である。ちなみに昨年は3月21日、おととしは3月12日に咲き始めた。日記の片隅に印をつけておく。クロッカスに限らずこの後に咲くボケ、レンギョウ等々。クロッカスが早く咲いた年は、夏の天候が不順?早く咲いたのは暖冬、その裏返しが夏の不順天候と言うことも考えられないでもない。こんな小さな花がどうして季節の流れがわかるか、どこにそれだけの能力が秘められているんだろう。

 岩手はこの先、桜が散り終わる頃まで春の花々が目を楽しませる一年中でもっとも美しい季節である。

 数年前、孫の誕生記念に植えた枝垂れ花梅 孫と共に大分大きく成長した。4月7日の誕生日には満開になるかな。

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『三郎堤』

2006-03-17 19:13:45 | 田舎暮らし

  Cimg0855        地域の田んぼの水がめ、「三郎堤」は和泉三郎により作られたと言う伝説がある。あの平泉、藤原四代目 泰衡公の異母弟、三郎忠衡公である。1189年(文治5)泰衡公により討たれたと言う歴史はともかく「三郎堤」周辺には忠衡公碑、公を葬ったとされる槍塚、堤の落成に神楽を舞ったといわれる神楽場、首洗い場といった物騒な場所もある。

 この3月17日、「三郎堤」の氷が一気に溶けた。昨年暮れにいつもより早く全面凍結して、飛来した白鳥も、陸と地続きになったことを恐れて夜は近くの北上川で夜を過ごしていた。  十数年前の平成5年、あの大冷害の年、この池が凍結しないでしまった。最高気温が0℃以下の真冬日がなく、盛岡 雫石の世界アルペンが時期はずれの大雨、4月下旬に咲いた桜に積もるほどの雪が降った。異常に暖かい冬だった。そして夏、お盆に布団に包まって寝た。そして未曾有の大冷害、来年の米を作る種さえも確保できずに沖縄、石垣島で種を栽培し、食用の米を求めて米屋、スーパーに行列とマスコミをにぎわせた。

 この冬、昨年暮れには早々に「三郎堤」は全面凍結、そして3月17日には一気に溶けた。今年の豊凶を占う石鳥谷町の「たろし滝」も豊作を予言した。寒い冬の裏返しは暑い夏が予想される。「三郎堤」の氷の状態を見て今年は大豊作の年と思う。今年の秋は豊年満作を祝う鎮守のお祭り・・・・・とはいかない。お米のとれ過ぎも困るありがたい日本である。

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『疫病退散』

2006-03-16 17:38:49 | 田舎暮らし

Cimg0851  総会の通知書を配布するために雪どけの進む集落の全農家を回った。何年か前から行われている田んぼのパイプライン工事も大分進んでいた。軒下に残った雪を片付けているのはお年寄りの仕事、若い人たちは勤めに余念が無い。

 ある家の門口で ※写真を見かけた。15×20センチ位の小さな紙に、旧暦2月8日「当春疫病退散祭り」 現代風に可愛らしい絵が描かれていた。その昔は恐い大きな顔を半紙に書いて、割った竹に挟む。半紙の上に突き出た竹に団子を2個さして夕方には立てておく。翌朝 早く起きてその団子を見に行き、無くなっていれば良いがもし残っていたらすぐに川に捨てる。その頃はどこの家でも犬の放し飼いが普通だから犬にとっては嬉しい春の一夜だったんだろうと思う。もっとも犬がつながれている現在はその家でも団子は刺していないそうだ。

 更にその一週間まえの旧暦2月1日は「かほう」(果報又は家宝?)団子の日、お婆ちゃんなり、かぁちゃんが作った米粉のまるい団子の中にお金(もちろん硬貨)を何個か入れる。団子を噛んで手ごたえ(歯ごたえ)あれば「かほう」  硬貨はちゃんと洗ってから入れたと思うが現代のママから見たら目を剥きそうな・・・お金を目当てに子供は頑張って何個も食べるが悔しいことに大人に当たりやすかったように思う。

 長い冬の間の子供には楽しい行事の一つだった。

 昔、どこの家でもやった行事だが集落でもこの家、一軒だけだった。この地方有数の大きな農家、昔からの行事の手は抜かぬようにとお舅さんの教えだったそうだ。事業を成した家では何かしら厳しいものが在ったと思う。 

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『北帰行』

2006-03-11 16:59:19 | 田舎暮らし

Cimg0849 ※ 撮ったぞ・・・春になって低く飛び回る白鳥の一団、今夜の宿、三郎堤に向かう白鳥一家を自宅屋根すれすれに飛ぶ一瞬を写した

 雪どけが一気に進んだ。2月末頃から雪の無くなりかけた田んぼには白鳥の群れが集まる。その数、10や20じゃない時には100羽も越す一団が北帰行に向けて栄養を蓄えているのだろうか。田んぼには去年の秋、取り入れの際にこぼれた籾や しいなが多い。妻の言うことには白鳥は田んぼのクログアイを食べているんではないかと言う おせち料理に使う「くわい芋」に良く似た田んぼにとっては厄介な悪玉、難雑草、クログアイの芋である。芋と言うくらいだから多少の甘味があるかも知れない。そういえば田植の終わった田んぼで悪さをするカラスもクログアイの生えている田んぼに入りたがる。とすると厄介な雑草の芋を食べてくれるありがたい鳥ということになる。

 美しい水をたたえた湖を優雅に泳ぐ白鳥は正に「白鳥の湖」だが良く見ると水の中では短い足をバタバタしてるし、ましてや雪解け後の田んぼは泥だらけ、籾や しいな、クログアイを漁ったあとの白鳥は「白鳥の湖」どころか泥だらけの白鳥である。

 4月に入り良く晴れた朝、澄み切った青空に上昇気流に乗って高く高く舞い上がり、家族ごとに北に向かう白鳥の一団はその美しさと共に一抹の寂しさも感じる。

 北帰行の白鳥 その頃に北から、長男夫妻が旭川滞在中に生まれた孫を連れて帰郷 南から、九州に住む孫たちが春休みを利用して遊びに来る。待ち遠しい春である。

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