岩手は連日の記録的な暑さが続く。
叔父が戦死しているので地区の戦没者慰霊祭(平和祈念式とか・・)にでかけた。
当時、この地区は5~6000戸位か、その中で青年150名余の戦死者があったというからその犠牲の大きさは計り知れない。
君が代、黙祷・・・・追悼の言葉。
私の叔父は22才で海軍入り、潜水艦で潜行、物資輸送中に攻撃を受けて戦死した。後の米軍の記録では隠れた積もりの潜水艦は上からすっかり見えていたそうだ。
無謀な戦争だったんだ。
叔父が戦死した翌年に私が生まれ、更に翌年 今度は、29才の若さで私の父が病死、そして終戦、農地解放で多くの土地を失い小作料収入の道は断たれ、母も実家に帰ってしまった・・・・祖父母と2才の私。3人は貧乏生活を余儀なくされた。
戦中戦後 どこの家でも大きなドラマがあったに違いない。
「岩手の頑固親父」も当時の記憶は少ないが見たこと、聞いて知ったこと、戦後のあの貧しい生活・・・・・今夜から子供達に話して聞かせよう
合掌