岩手の頑固親父

恵まれた自然、環境に暮す 老農のつぶやき、ぼやき

「多美子先生」

2010-09-16 21:13:37 | いなか暮らし

003  東京から4号線を北上すると500キロ目は我が花巻の銀河大橋付近、逆に1号線を南進したら500キロはどの辺だろう。京都?
 旅好きな頑固親父は想いを馳せる・・・・・

 「多美子先生」
 多美子先生は頑固親父の小学1、2年の担任。
 同級生は男の子 5人、女の子11人 2年生のときは複式学級で1年下の1年生11人と同じ教室で計27人、およそ60年ほど前、戦後の貧しさに負けずに健全に育った・・・と思う。

 それから20数年(昭和49年)その小さな学校は明治8年の創立から100年と同時に閉校した。
 閉校記念式典には、かって勤務した多くの先生方が来賓として招かれ「多美子先生」も出席されていた。
 「多美子先生」は当時担任した1、2年生の子供たちに逢ってどうしても話したいことがあるという。

 数年後、当時男の子5人、女の子11人の生徒の同級会に招待した。
 計16名の生徒はもう5人も亡くなって11人だけの同級会は居酒屋の一室で、それでもにぎやかに行われて「多美子先生」も再会に大喜びしてくれた。
 恩師というより同級生の一人と思わせるほど若い「多美子先生」は打ち明けた

 「みんなの担任のときにね
 上級の5、6年生の修学旅行に松島に付き添った翌日に、多分疲れていたせいだとおもうけど
授業中のみんなの前でうかつにも居眠りしてしまったの

「そうしたら、みんなが言うの」
 
「先生、眠ってて良いよ。僕たち静かに勉強するから・・・・」
もっとも当時の子供たち、方言丸出しだったと思う。
「シェンシェイ!!ネフタキャッタラ ネデテエエヨ、オラダハシズカニ、ベンキョウスラガラ・・・」とでも言ったことだろう。
 教師生活がまだ浅く、担任を持ったのも始まりの若い「多美子先生」は当時、教師ということに自信が失いかけ不安のころだったという。

 貧しくとも心優しい子供たちの言葉に
 教師としての自信と誇りを持たせて貰い大感激したという。

 再会に喜んだ「多美子先生」はその日の二次会三次会のすべての経費を持ってくれた。
 「また集まろうね」という先生との約束を守れずに近年は年賀状のみ。
 昨年暮れにはご主人を亡くして年賀を欠礼すると連絡があった。

「多美子先生」も80を超えたはず、若い先生に自信を持たせた心優しい子供たちも古希を迎えるえる日が近い。

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「この夏は・・・・・」

2010-09-07 08:28:50 | いなか暮らし

今年の夏は超異常な暑さが続く。
 岩手だってものすごく暑い。

 そんな暑さの影響もあってか「アメリカシロヒトリ」が大発生している。
Cimg6958  やはらかに柳あをめる
     北上の岸辺目に見ゆ
      ・・・・・・・   石川啄木
 
 北上川の岸辺の柳や胡桃の木がアメリカシロヒトリに殆ど葉を食い尽くされて落葉した秋の景色にも似た異様な光景となっている。

Cimg6959_2
シロヒトリの防除は今年は手遅れらしい。
 岸辺の柳や胡桃を食い尽くして次第に桜の葉にも見えてきている。
 そのうちに近くの野菜が狙われないか心配している。

 Cimg6965_2 暑い夏は日照が厳しい

暑さの日照りで田んぼもすっかり干上がっている
 潅水の水には不足はしていないが稲には天から降る雨も 必要である。
   ・・・・・日照りの時は涙を流し
         寒さの夏はおろおろ歩き
   みんなにでくのぼーと呼ばれ・・・宮沢賢治

 この暑さでお米はそこそこ収穫が予想されているがその品質が心配されている。
 せっかく播いた大根や白菜は芽が出てから枯れてしまう。
 今年の秋野菜は不作、高値が予想されている。
 消費者の皆様は今からお覚悟の程。

 郷土の二大偉人も嘆く今年の暑い夏である。
 

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