岩手の頑固親父

恵まれた自然、環境に暮す 老農のつぶやき、ぼやき

How Shall We Live?

2018-12-31 09:44:15 | いなか暮し

               どう 生きるか
        生まれて死ぬ一度の人生を
           どう生きるか
       それが仏法の根本問題です
      長生きすることが幸せでしょうか
          そうでもありません
      短命で死ぬのが不幸でしょうか
          そうでもありません
         問題はどう生きるかなのです
         How Shall We Live?
                    永平寺 「道元禅師からのメッセイージ」より


 さて、来る、新年の目標は 高齢者の仲間入りした身としては
 まずは 風邪をひかない、転ばない・・・
 
 86才でアコンカグアに挑戦するという、三浦雄一郎さんのようにはいかない、出来ないことはやらない、挑戦しない、流れのままに。
 来る平成31年、2019年、幸多い年となりますよう・・・。

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二匹目のドジョウ・・・

2018-12-26 10:51:39 | いなか暮し

  今年は野菜も果物も良く出来た。
 有り余る柿に、群がる小鳥たちも、少々食傷気味かもしれない

 我が家では、ここ20年余、年末から1月にかけて、空きハウスを利用してほうれん草を産直に出荷している。
 昨年、29年末から今年春にかけて、葉物野菜を中心に異常に高かった。
 出荷すると、即売り切れ、それも高値で面白いほどに良く売れた。

 今年、二匹目のドジョウを狙う・・・・暖かかった10、11月 生育も良好。
 いっぱい売って、年明けには、老妻と、念願の安芸の宮島を訪ねよう、ついでに和歌山方面も。
 花巻空港から大坂まで飛行機で、いや一旦福岡まで飛んで新幹線で広島に・・夢は広がる。

 12月中頃から、期待をいっぱい乗せて、ほうれん草の出荷が始まった。
 ん、?・・・・市況も安値だからと、少々安くして並べたはずだが、いまいち売行きが悪い。
 安芸の宮島が危うくなってきた。次第に予定コースは縮まる。
 宮島は止めて、浅草で演芸でも観てこようか?
 
 良く考えれば、天候が良くて、野菜の生育が良いのは我が家だけではない、今年はどこも野菜が大豊作、そして安値と言うことだろう。
 旅行の計画は、穴のあいた風船のごとくしぼむ。二匹目のドジョウはいなかった
 

 この際、「仕方がないから俺、一人で旅行してくるよ・・」
 「ばあちゃんは後から温泉にでも行こう、土産はいっぱい買ってくるから・・・」
 売上が伸びない、ほうれんそうのせいで、今度の旅行は一人で行く。
 今年、春に訪ねた「木曾」は良かった。今度は伊那地方をきっちりと訪ねよう。
 売れないほうれんそうは、すっかり忘れて旅行プランつくりに、頭がいっぱいの年の瀬である。

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胡四王神社蘇民祭、~46回

2018-12-23 15:09:34 | いなか暮し

 師走、今年も残すところ数日、我が郷には年明け、1月2日9時から行われる
  胡四王蘇民祭を知らせる看板や旗が目立ちます。
 1月2日 9時頃~ 麓、社務所前で 餅つき、祈年祭
      水垢離 に続いて裸詣りは、小、中生、厄年連を先頭に、雪の参道を松明片手に、一気に山頂を目指します。
      その頃、山頂神楽殿では蘇民の由来を伝える、胡四王神楽「天王舞」が舞われます。
      11時頃~浄火祭に続いて、狼煙を合図に蘇民袋争奪戦が始まります。

 
  胡四王神社蘇民祭は、慶応年代から始まったとされるお祭りですが、戦後一時中断していましたが46年前の昭和49年、地元の2、30代の青年が参加する胡四王氏子青年会が中心となって復活しました。
 当時、蘇民の経験のある先輩が達者で、又、各地の蘇民祭に参加している仲間もありましが、まだまだ、ノウハウや資金に乏しく、今でこそ5、60人もの参加者のある裸詣りも、開催当初は僅かに4人。
 蘇民祭主催を経験する隣町、石鳥谷五大堂地区や水沢、黒石地区の助言や、地元テレビの放映などもあって、復活2、3年後には、すっかり、人気のお祭りとなり、昭和59年には、お祭り復活の功績を認められて、全国表彰も受けました。
 その後、市内の小学校2、3年生対象の、社会の副読本に「郷土の受けつがれる行事」として胡四王蘇民祭が取り上げられたこともあって、その頃から、裸詣りに小、中学生の参加も増え、平成23年には、日本のはだか祭りを取材、記録を続け、そのH・Pには、数千万回のアクセスを誇る、東京WA☆DAフォトギャラリー 「日本の裸祭、第127集」に紹介されたこともあって、海外からの参加者も。
  現在、蘇民祭を主催する、岩手県南地区の10数団体が協議会を結成し、各地の蘇民祭への選手派遣、後継者の育成などを図り、その先にはユネスコ無形文化遺産の登録をも目指しています。

 毎、日曜ごとの青年会の人たちの出動で、準備も万端、お祭りのロケーションには欠かせない雪も年末には、寒波、雪の予報、 毎年参加の、ハワイ在住の菅原氏からも 「必ず行きます」と早々に連絡が入りました。
 どこのお祭りもそうだろう、祭りが近づくと、「なんぼになっても、血が騒ぐ・・・・」
 

 

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古い日記帳

2018-12-19 10:24:08 | 日々の暮らし

 どんどん過ぎていくもの
  強い風を受けた帆掛け船
   人の年令 春夏秋冬  昔の人は良いことを言う。
  庭の辛夷(こぶし)は芽を柔らかな綿毛で覆って寒さ対策完了。

 今年の日記帳も残り数枚、大抵の事は三日坊主で終わるが、ばか几帳面のせいもあって、日記だけは、きっちり一行残さずに数十年。
 平成に入ってから、お気に入り日記帳は「山渓」社のALPINE CALEDAR、日記帳と言うより、ダイアリーかもしれない。
 週ごとに変わる日本各地の美しい山の写真が素晴らしい。
 きっちり書いても一日、150字ほど、それでも毎日の日記帳としては充分、日記種に苦労することも少ない。
 多分、高校ぐらいから書き続けた日記帳だが、若い頃には少々モテた(?)こともあって、色々書いた日記帳は、その後の影響を恐れて、多分20数年分くらいは焼いてしまった。
 90才で亡くなった母の日記も残っているが、誰も見ない。
 そう言うものだろう、日記は自分のために書くものだから。

 そして又、お気に入りALPINE CALEDARも30冊ほど貯まった。
 年末までには、古い方から10年単位で焼いてしまおう。
 そして、いつかこの世のお別れの時には日記は一冊も残ってない方が良いと思う。

 焼くのは簡単だが、その前に「読んでおこう」と思うと、これが時間がかかる。
 一日150字×365日、400字詰め原稿用紙130枚余、
 「そうだ、あの時は、あんなことが・・・・」

 思い出がよみがえり焼却までには、かなりの時間がかかるが、大晦日までには・・・・

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「空き家」

2018-12-11 11:55:39 | いなか暮し

 12月初めの数日、記録的な暖かさの日が続いた。
  切り株の陰で、北風の当たらない所に、気の早い「ふきのとう」が芽を出していた。
 「まだまだ早いよ、これから寒くなって、雪もいっぱい降るんだよ・・・・・」

 「先に行って、席を取ってるから、じいちゃん、ばあちゃんも早く来てね」
 お昼のご馳走を、いっぱい持って、お父さん、お母さんは先に出かけた。
 プログラムを見たら、そろそろ孫の出番も近い、一足遅れて孫の運動会に出かけた。
 学校指定の駐車場は、広いから大丈夫・・と思って出かけたが、係の人が言うには、今日はもう満車だと言う。
 住宅地周辺の小学校は、そうそう空き地は見当たらない。
 「どうしよう・・・孫の出番も迫っている・・・」
 困ってる私たちを、少し離れた場所から見ていた老夫婦(?いや、若いかも・・)が手招きしている。
 「ついて来なさい」、ご主人とおぼしき人が、先に立って 「こっち、こっち」と、学校すぐ近くの、お宅の敷地に誘導してくれた。追いついた、奥さんが「ごゆっくり・・・・」 
 お礼もそこそこに小学校へ、お蔭で孫の出番に、セーフしたのが今年5月の運動会。

 野菜の収穫の終わった晩秋も12月、「運動会の時、お世話になった、あのご夫婦に野菜を届けたら・・・・」、老妻の提案で、両手に袋いっぱいの野菜を持参した。
 「たしか、この家だが、留守かな?」 チャイムも見当たらないので、車を置かせてもらった裏のカーポートを覗いたが人の気配がない。
 表に回って良く見たら 「売家」の看板。
 お世話になった、あのご夫妻は引っ越ししたのか、それとも近所に住んでいて空き家を知って、空き地を教えてくれたのか?
 どんな事情で空き家になったのか、知る由もないが、こんな立派な家が「売家」とは・・・

 もっとも、我が近所でも「売家」の看板こそ出てはいないが、なぜか誰も住んでいない家がポツポツ
 どんな理由があるんだろう?立派な家を建てて、人が住まない家、家に入ったなと思っていると間もなく、誰もいなくなる家・・・・・
 一方では、駅周辺を中心に、おしゃれな家も次々と建っている。
 何が何でも家を守ると言うのは昔ばなし、昨今は家も消耗品・・・・?

 

 

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