岩手の頑固親父

恵まれた自然、環境に暮す 老農のつぶやき、ぼやき

2011-01-29 14:08:55 | いなか暮らし

Cimg7358_4 久しぶりの良く晴れた朝は胡四王山から早池峰山や岩手山がきれいに見える。
 美しい雪も度が過ぎれば災いの元にもなる。
 日本海側を旅行して見かけた秋田の横手駅前の駐在所では重い雪が屋根に一杯積もっていた。
Cimg7317_2

Cimg7356  雪下ろし作業による事故が今年は特に多い。
 北海道に住む知人も雪下ろし作業中の事故で亡くなった。
 近所のお年寄り世帯の雪下ろし作業を手伝っている最中の事故だった。
 定年になってこれからは夫婦で旅行を楽しむつもりだった。
 昨年暮れには我家の孫たちに大きなクリスマスプレゼントを送ってくれた。残念・・・合掌 

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「落城ものがたり」

2011-01-21 15:19:06 | いなか暮らし

Cimg7268_2

 大寒に入ってますます厳しい寒さが続く、寒い冬を越した年の夏は実りが良いと昔から言われる。異常が異常とも感じなくなった今、寒い冬の次はさらに寒い夏だってあるかもしれない。墨絵になった三郎堤の桜並木

 1月13日アップの続編 ニヤッとなるおまけ。
 「岩崎城落城ものがたり」
 慶長5年、岩崎城の和賀氏が謀反を起こし南部公は花巻城主、北松斎に命じて岩崎城を攻めて城を落した。勝ったほうではお祝いの宴が催されその席上でお祝いを兼ねたお国自慢を唄ったのが「ご祝い」唄の始まりと伝えられる。とここまでは1月13日アップ。

 さて負けた方の物語
 落城した岩崎城の時の城主は和賀姫の守、女の城主であった。
 城が陥落したので和賀姫の守は家来を連れて和賀川の上流へと逃げた。
 切留まできた時には日が暮れたので野宿することになった。
 家来とは云え男女同宿なので男女関係の話になった。
 家来は主人公に対し直接肌を触れるのは恐れ多いと云うので、ケェバ(ほうのき)の葉に穴をつけて、これを境として男女関係に及んだと言う。
 今でも切留山のケェバ(ほうのき)の葉には穴があいているそうだ。

 「ご祝い唄」を調べられた久保田傳太郎氏が和賀城陥落のこぼれ話として書いておられた中から

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感動巨編完成

2011-01-13 17:34:27 | いなか暮らし

 1月2日に蘇民祭を密着取材された青梅市在住WA☆DAフォト主宰の和田氏により日本の裸祭り第127集 
感動巨編大作
「胡四王蘇民祭」がアップされた。その美しい写真とBGM是非ご鑑賞ください。

Cimg7277 「凍み大根」
 
年末の大雪に加えて今度は毎朝のようにマイナス10℃、日中も0℃以下の真冬日が続く。
この寒さでおいしい凍み大根ができる。(写真)

 
前回投稿「ご祝い」1/13アップの続編

4 雫石は名所どころ
    野菊の花は二度咲く

 大昔、滴石の野中に野菊という美女がいて滴石城のお殿様に召され、寵愛を受けていました。
 ある年、城中で酒宴があったとき、野菊は思わず放屁をしてしまいました。殿様は立腹なさり、野菊は城中より追い出してしまいました。
 野菊は野中に小屋を建て暮らしていました。
 そして間もなく男の子を産みました。

 その後10年ばかりたってから、お城の近くを
「黄金の実のなる瓢箪の種は要らんかね」と言って種物を売る少年がいました。
 賢そうな気品のある少年です。
 城中でこの声を聞いた殿様は、その少年を呼び寄せて、怒った顔で
「でたらめを言ってはならん。本当に黄金の瓢箪はなるのか」とたずねました。
 少年は悪びれもせずに殿様を見つめ
「はい、きっとなります。ただ一生に一度も放屁しない人が蒔かなければなりません」といいました。
 殿様は笑って
「一生に一度も放屁しない者などある筈がない」というと、少年はキッとした表情で
「ではなぜ、私の母をお城から追い出したのですか」と言いました。
 この少年が自分の子供であることがわかった殿様は、野菊親子を再び城中に迎えたと言います。
 「雫石は名所どこ 野菊の花は二度咲く」
                  
と唄われる。

雫石歴史情報<戸沢氏伝説ー野菊は二度咲く>より

 

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「ご祝い」

2011-01-13 11:02:10 | いなか暮らし

 めでたい宴席で唄われる「ご祝い」、座が乱れていても自分の席に戻って正座し神妙に唄う。伊達藩では有名な「さんさしぐれ」が祝い唄として唄われるので当地の「ご祝い」は歌詞から南部藩に広く伝わったと思われる。

 「ご祝い」
由緒
 慶長5年(今から410年前)和賀城(北上市和賀町)主は謀反を起こしたために南部公は和賀城を攻めて城を落した。その時お祝いの宴が催されその席上、お祝いを兼ねてお国自慢を唄ったのが「ご祝い」の始まりと伝えられている。

 1 ご祝いは 繁ければ
     おつぼの松はそよめく

          
お祝いの宴がたけなわになったので坪前(庭園)
              の松もお祝いするようにそよめいている

 2 上り舟に 花が咲いた
     下り舟に実がなる

          時の北上川は物資を運ぶ唯一の輸送路であった。
             南部の国は産物の多いことを自慢に唄った

 3 まるき銭は数知れず
     黄金の倉は九つ

          まるき銭とは穴のあいた銭を紐で連ねたもの。
             南部の国は金の産地で金が沢山あることを唄った

 4 雫石は名所どころ
     野菊の花は二度咲く

          南部の国は美人が多い事を自慢したもので雫石の
            お菊という美女は二度目には殿様の奥方となり
            花を咲かせたと伝えられる

 5 おゆるおゆるとお控えなされ
     大沢川原に舟が着くまで

          交通が不便な当時は舟が着くのは大変めでたいこと
            であった。ゆっくりとお控えください
            大沢川原(盛岡市大沢川原)に舟が着くまで

 6 ででぽ鳥は
     山鳩によく似た・・・・・
以下不明
          鳩は礼儀の正しい鳥であることを唄ったとおもわれる
 7 お立ちをば忘れて
     お酌にまぎれて今立つ

          立つ時刻も忘れてお酌にまぎれて今立つ

 亡き父の書棚から見つけた一枚の紙から、昭和31年に花巻市湯口の佐々木勘太郎氏(安政年生まれ当時83歳)から聞いた話として昭和56年3月に久保田傳太郎氏がまとめたものであるがコピーを繰り返したであろう。多々不明箇所が多い。著者の久保田氏に無断借用をお詫びいたします。

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「胡四王蘇民祭・・」

2011-01-03 11:02:13 | いなか暮らし

暮れから続いた大荒れ天気がうそのように晴れた正月2日 花巻市矢沢の胡四王神社蘇民祭が行われた。
 岡山、西大寺 会陽グループの10数名ほか全国からたくさんの選手を集めて裸参りから蘇民袋の争奪戦が、積もった大雪の中、勇ましく繰り広げられた。
Cimg7232 Cimg7239 その中でTBSの取材グループのアナウンサーも裸になり
 水垢離や争奪で苦戦する様子が目を引いていた。

大雪、松明、裸の争奪など絶好の写材に大勢のカメラマンもつめかけている。(左下)

Cimg7237  今年はWa☆Daフォトギャラリーhttp://wadaphoto.jp/ を主催する青梅市在住の和田義男氏と、
 そのグループ奥州市の及川寿郎氏http://www.uchinome.jp/event/maturi/maturi.htmlに取材、撮影していただいた。
 
 和田氏から「この祭りは日本有数の美しさ」といわせしめた裸参りや蘇民袋争奪戦は氏のカメラに2500枚ほど写しこまれた。
 その中から厳選されて近々Wa☆Daフォトギャラリー
新春第一弾感動巨編
として発表される日が待ち遠しい。
Cimg7247_2 Cimg7248_3

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