岩手の頑固親父

恵まれた自然、環境に暮す 老農のつぶやき、ぼやき

雨の農休日

2020-04-20 15:42:50 | いなか暮し

 年に何度か、数十キロ離れた早池峰山が、 びっくりするほど美しく見えることがある。
 早池峰山がまじかに見えた翌日は、朝から冷たい雨となった。
 雨の農休日、久しぶりに、自分で写したDVD動画を見る。
 今でこそ、動画は誰でも、スマホで簡単に撮影できるが、かっては、それなりのカメラを持ち、8ミリに至っては撮影済みのフイルムを切り、つなぎ合わせて編集した。

 若いころから「新し物好き」で8ミリビデオ、いやその前には重いVHSデッキを肩にかけて、コードの先の大きなカメラで写したこともある。
 70年の大阪万博頃は、「私にも写せます、フジカシングルエイト」を使っているから、物好き、道楽の歴史も50年ほど続いた。
 単なる物好きが始めたから、貴重なものや役立つような作品はほとんどゼロ、ガラクタの山に近い。
 集落や地区の行事、お祭り、近所の出来事、加えて家族、子供、孫の成長記録・・・・など多数。
 たまには、集落の映写会にお呼びがかかったり、あるスタジオでは、編集して地元の祭りの様子をネットに公開してくれてる方もいる。
 ガラクタに近い「作品群」も時代とともに、将来見られなくなると予見、すべての作品をVHSにダビングして数年、それも無くなりそうと、今度はDVDにすべてダビング、最初の頃の8ミリ作品は、映写機の故障からダビング出来ないでいたが、数年前から「なんでもコピーします」業者が現れて、これもDVDにコピー。
 DVD原版なんて、今はいくらもしないが、始めたころのシングルエイトフイルムなんて随分高かったと記憶している、僅か3~4分のフイルムが1000円もした。
高いカメラも何台も買ったし、フイルムやビデオテープも・・総額は一体どのくらいになるだろう、車一台はゆうに買えるかも、、、
 そんな作品群(?)はテレビ台の下の棚に、邪魔っけにされつつ鎮座している。
 DVDはともかく、膨大な量の、8ミリフイルム、VHSテープ等々捨てきれずに書架に納まっている。
 「俺の棺桶に一緒に放り込め」と言ってもその量が多すぎる。
 それでも自分の宝物、一緒に見て感動してくれるのは老妻のみ、雨の農休日はさびしい。 
 

 

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「どじょう汁」

2020-04-13 10:50:57 | いなか暮し


 
春の草花とともに、この時期、庭の樹々の花々が美しい。
 ”ロウバイ”から始まり、”コブシ” ”モクレン””レンギョウ”が咲き、少し遅れて椿、梅が満開になり
やがて枝垂れ桜で 樹々のにぎやかな春は、一応の終わりを告げる。

 田んぼに、本格的に水を引く前の4月、水田地帯では、各地で「堰払い」が行われる。
 同じ水系ごとに、グループに分かれて、上流から下流に向かって、水路(堰)の手入れ、去年茂った枯れ草を取り除き、よどんだ水路の泥をすくい取り、水の流れをよくする大切な仕事である。
 もっとも昨今の水路は、かっての 「春の小川は、さらさら行くよ・・・・」の風情は皆無。
 動植物一切受け付けないコンクリート水路、今の堰払いは形だけで、コンクリが壊れていないか確かめる程度だからすぐに終わるか、もともと堰払いもしなくなった。
 所によっては、コンクリ水路さえも無くなり、パイプラインが地中を縦横に走り、どこを流れてくるのかさえ見当がつかない、水が欲しいときに、大きな蛇口をひねれば大量の水が出て、広い田んぼをすぐに潤す。

 パイプラインやコンクリート水路のなかった時代、「堰払い」は重要で、結構楽しみにもなっていた。
 流れのよどんだ場所の泥をすくい上げると、越冬した「どじょう」が無数に出てくる。
 気の利いた一人が、作業そっちのけにして「どじょう」取りに励む。
 捕まえた「どじょう」は、腰の「はきご」に放り込む。
 「こっちにもいるぞ」と声がかかり、安木節よろしく、どじょうを捕まえるたびに笑い声が響く。

 水路をきれいにして、にぎやかな作業が終わった夕方、「堰払い慰労会」は「どじょう汁」が振舞われる。
 一人前として認められて、出役した中学生は・・・
 「お前、良くはたらくなー、親父よりましだ」とおだてられ
 「まー、一杯飲め・・・・」、こんな機会に酒の味を覚えてしまった人も・・・

 同じ水系は、みんな顔見知り、結構楽しんだ「堰払い」だった。
 

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”冬季閉鎖中”

2020-04-06 10:42:12 | いなか暮し

 桜の少し前のころ、わが郷は道路肩、田んぼの畦、どこ問わず、空き地という空き地には一面に花が咲く。
  小さな体に、コバルトブルーの無数の花が咲き乱れ、花の中心は光の球が輝いている。
 こんな可憐な花の名前が「オオイヌのフグリ(犬のタマタマ)」とは・・・・

 陽気がよくなり、近所の農家も畑や田んぼで野良仕事に励む、じいさん、ばあさんを見かける。
 そんな時分、ぶらぶらと散歩するのも、少々気がひける。
 冬の間、散歩を日課としていた身には、体を持て余すことになる。

 「そうだ、今日の暖かさを利用してサイクリングがいい」、が近所を走り回るのも恥ずかしい。
 軽トラックに自転車を積んで早池峰山の麓の早池峰ダムを目指した。
 ダムまで適当な距離から、荷台の自転車を降ろしてサイクリング、ダム周辺には「道の駅」やレストランもあるはず、サイクリングで一汗かいて、早春のダム湖を眺めながら美味しい昼食を楽しもう。

 ダムまで7㌔の標識のある、田んぼのわき道にトラックを停め、自転車に乗り換えて、颯爽と走る道は、車も少なく快適、そのもの。
 若くて元気なころ、通いなれた早池峰山への道は、なじみの景色だが、視線の違う自転車から眺める景観は素晴らしい。
 通り沿いの民家の庭をのぞいたり、自転車から降りて、岳川に降りてみたり、岳川沿いの道をダムを目指す。
 景観は素晴らしいが、次第に、サドルにあたる尻がいたくなり、息切れもする。
 覚悟していたとはいえ、早池峰ダムまでの7㌔の道は遠い、すべてが上り坂。
 右手奥に、ダムの堰堤が見えて一安心、ところがそれからが急坂の連続、レストランで美味しい食事が待ってる・・・・苦戦
 ようやく到着、明るい日差しのダム湖は素晴らしい・・が人っ子、一人も見当たらない。ふと不安が。
 近くの「レストラン」「道の駅」・・・なんと“”冬季閉鎖中“”の張り紙、それもそうだ、この先の道路も閉鎖中だから。
 とっくにお昼も過ぎている「道の駅」の自販機でカロリーの多そうな、甘いジュースで腹いっぱいにして、今来た道を戻る。
 往きは、登りの連続で苦しかった分、帰りは空腹でも大丈夫、ほとんどペダルを踏むことなく、トラックに戻った。

 里に戻って、コンビニおにぎりは美味しかった。
 

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「オガラ」

2020-04-02 16:40:34 | いなか暮し

 3月22日三鉄、宮古駅を出発した、2020東京五輪聖火は釜石からSL銀河に乗り次いで、花巻に向かい、夕方には新花巻、一目見ようと100人ほどの人が集まったが、停車することなく走り抜けてしまった。
到着ではなかった、通過だった。  ※ネットから拝借しました。 

確かフロントには「復興の火」と記されているはずだが、読む間もなく通過。
 
 多分、桜のころだったと思う、水の冷たい田んぼ、苗代に素足で入って、鍬で平らにならしてから水を張り、秋の収穫を祈りながら種もみを蒔く。
 その苗代の中心には1本の「オガラ(麻の茎)が立ててある。
 種まき終わった、おじいさんが 「これはな、昔々、偉いお坊さんが、大陸で修行が終わり、日本に帰るときに、オガラの空洞に数粒のお米を入れて、持ち帰ったのが今の日本のお米の先祖だったんだよ」
 どこの家の苗代にも「オガラ」が立てられていたから、豊作を祈り感謝の表れだったのだろう。

 昭和40年ころからは苗代がなくなり、替わって超密播した箱育苗になり、田植えも機械で植えるようになった。
 牛や馬で田んぼを耕していたのが、耕運機を経てトラクターになり、稲刈りも手作業が大型の収穫機械、コンバインになり、広い面積を、一気に刈り取ってしまう。
 やがては、田んぼにコンピューター、ドローンも現れる。
 米つくりの環境も大きく変わり、昭和40年ころから、初めて米が余るという時代を迎えて、生産調整、減反、耕作放棄も・・・食生活の多様化もあり、現代ではお米の出来、不出来もさほど気にならなくなるという米つくり3000年にしてありがたい世の中になった。
 激しく変わった、この5~60年余り。
 同じ時代、変わる歴史を体験し、見させてもらった、幸運な農業人生だったかも知れない。


 

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