岩手の頑固親父

恵まれた自然、環境に暮す 老農のつぶやき、ぼやき

金閣寺の庭」

2019-11-27 18:13:02 | いなか暮し

 庭の木々から落葉が舞う。 風情に酔ってる間もなく、木枯らしと共に落葉が庭一面に散乱する。
 老妻と二人、箒と熊手で掃き集めて、落葉を焼く煙が立ち上る。
 「高砂」の平和の世界ではある・・・・が、庭一面に広がる落葉は色の美しいモミジだけではない、居久根のヒバや杉の葉等々、それも、一シーズンに風が吹く度に散乱する。
 掃除は腰が痛い、一文の得にもならない、誰も褒めてくれない・・・・・そんな時、自分に言い聞かせる。
 此処は我が家のつまらない庭ではない、「金閣寺の庭」なんだと言い聞かせて、無理に納得させて今日も「金閣寺の庭」掃除が続く。

                 御礼
 文字通りのウソ八百を並べて、本日のブログ゙アップで投稿数が
 800通目となりました。

 励ましをいただきながら日頃、お付き合いを頂いている皆様方に、
 心より厚くお礼申し上げます。

 投稿を始めた当初は「・・・親父」でしたが、今では「・・・爺」となりました。
 当初、照れ隠しに「ボケ防止です」と言っておりましたが、今では本当にボケ防止のために書き続けておりますが、年齢とともに取り巻く世界がひしひしと狭まり、話題も少なくなりました。
 これからも、狭い世界の出来事や昔話など書き続けたいと思っております。
 駄文はともかく、勘違い、誤り等々多々あると思いますが、ベテラン後期高齢者のなせる過ちと、お許しくださいまして、今後ともよろしく、お付き合いの程、お願い申し上げます。

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DNA

2019-11-24 11:53:45 | いなか暮し

 2014から毎年、我が里を人気のSL銀河号が走る。
  12月1日で今期は終了、来年も来てね・・・・・・。
  SL銀河の勇姿こちらから

 

 「餌やりは忘れないようにやります」
 「朝晩の運動も必ずやります」
 小5、中3の孫たちにせがまれて我が家に子犬がやってきた。
 テレビの前の仮の囲いの中で愛嬌振りまく子犬は可愛い「早く外へ連れ出して散歩したい・・・」

 1ヶ月ほどして、愛嬌が過ぎて仮の囲いを倒してしまうほど大きくなり、お父さんが会社帰りにホームセンターに立寄っては資材を買ってきて補強していたが、ラブラドールと言う種類は、まだまだ大きくなるという。
 お父さん、意を決して犬小屋の建築を始めた。
 会社仕事の合間の大工さんは中々進まず、着工以来2ヶ月近くしてようやく落成した。
 子犬はすでに各種の予防注射も終わり屋外の生活を送れるようになっている。
 倅を褒めるのも恥ずかしいが、 この犬小屋、細工も細かく実に良く出来ている。

 我が家の家系、3代ほど前に神楽の権現さま(獅子頭)や仏壇の彫刻、お膳やお椀の果てまで造り、漆塗まで自分でこなす腕の良い大工さんがいたと昔、おばあちゃんに聞いた。
 「なぜか、その後の我が家の代々の男どもは・・・・・」

 何かを作ってもあきらめが早いというか粗末の物しか作れない家系が2.3代続いたが、ここへきて、ようやく緻密にものを作る子孫が育っているようだ。
 良かった 腕の良い職人のDNAは数代跳んで、引き継がれたらしい。

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「五輪峠」

2019-11-13 18:20:15 | いなか暮し

 早池峰山に初冠雪  郷の雪も近い。

 奥州、遠野、花巻市境の宮沢賢治さんも何回か行ってる五輪峠、花巻の端っことはいえ同じ市内なのに、賢治さんの倍もの年齢を重ねて初めて訪れた五輪峠は晩秋の装い。
 
 鎌倉時代から300年程、遠野に君臨した阿曽沼氏は慶長5年の関ヶ原の戦いの頃、南部利直公の旗下として、山形の上杉景勝と対抗している最上義光を支援するため出陣した。
 その留守を狙って家臣、鱒沢左馬助、上野丹波、平清水駿河の3人が謀反を起こし、その居城を奪った。
 謀反を知らぬ阿曽沼氏は遠野に凱旋する途中で事の顛末を知り、江刺境の五輪峠では平清水駿河の配下が待ち伏せしていることも知った。
  五輪峠に通じる道は、まもなく雪のための冬季閉鎖になる。
 
 いったん世田米に退却した阿曽沼広長は翌春から数回、遠野奪還の兵を起こしたがいずれも敗れ、滅びた。
 謀反を起こした3人はその後、短い間であるが栄華を極めたがいずれも無残な最期を迎えている。
 そのうちの一人、平清水駿河帯刀は、娘婿の北十左衛門の慶長年間の大阪の役における事件により切腹、その遺児は所払いとして、現花巻市東和町の山奥に移住させられ、苦難の末に遺児の一人が我が一族、菊池の祖になったと言い伝えられている。
 

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「おもしぇがったなー」

2019-11-12 09:41:20 | いなか暮し

 旅の機会が少なかった昔、生涯一度の集落の仲間とのお伊勢参り、出羽三山詣りしたグループの最上講や、防火の神さまを一緒にお参りした古峯ヶ原講、信仰一緒の山の神講、庚申講等々、かって花巻地方には数々の講があり、講振舞は講ごとに年に一、二度 当番宿に集り、座敷を開放して思い出話や歌や踊りで大賑わいした。
 講振舞は稲刈りの終わった晩秋から翌春まで、集落のあちらこちらで行われ、農村の楽しい行事だったが、旅行やレクなど気軽に家族や一人出かける昨今では、すっかり影をひそめて、講振舞があったという話は聞かない。

   晩秋
 今年の秋、穫り入れは連日の好天に恵まれて農作業はいつもの年よりはかどり、10月に入った頃には田んぼの作業が終わり、野菜の収穫をボチボチ、農家のお年寄り世代は少々ヒマを持て余し気味。
 
 20年ほど前、集落の同じ壮年グループ26名で3泊4日のお伊勢参りをした。
 その後、年に一回、2年に一回と同じグループで一泊旅行などをして伊勢講としていたが、いつの間にかそれも途切れてしまい、その後メンバーが一人欠け、二人欠けるようになってしまった。
 この秋、何年振りかで伊勢講をやろうということになった。
 今までのようにどこかへ一泊旅行というには不安もあって近くの温泉と決めて、予定した人数も集まり宿の手配のバスで早めのチェクイン。
 同じ集落の仲間とは言え、普段は中々ゆっくり話す機会も少ないだけに宴会前の入浴タイムも話が弾む。
 浴衣に着替えて宴会の前に故人となった人たちに黙とう、26名の仲間の内すでに7名が故人となってしまった。
 宴会始まって、楽しみのアトラクションは当時の旅行の様子を写した映画、メンバーの一人が2時間もの記録を撮りDVDに加工、プロジェクターを使って大型スクリーンに映した。
 20年も近く前のメンバーの元気な姿、自身の背の曲がらない元気な姿に感動したりと賑やかな宴会は予定時間も越えて続いた。
 翌日はホテルのサービスで昼食過ぎまで滞在して大満足。
 帰りのバスの中では 「おもしぇがったなー(楽しかったなー)

 我々年代は、農村の古き良き風習、集落の仲間で楽しんだ講を知る最後の年代となった。

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お城めぐり

2019-11-02 17:59:30 | いなか暮し

 すっかり成長した孫たちを、それぞれ出勤、登校を見送った後は名古屋近郊のお城めぐりを計画、まずは徳川家康ゆかりの岡崎城
 1号線沿いの岡崎公園駐車場から見たお城は 小・・・・
 知識もないのでボランティアガイドを依頼、説明を聞きながら近くで見上げたお城は、外から見ると大違い、堂々たる天守やお濠もすごく深い。
 家康さんは天文11年(1522)の12月26日、今から477年前、干支でいうと壬寅年、寅の月、寅の日、寅の刻ここで生まれた。
 公園内には「東照公産湯の井戸」や家康さん誕生のおり、えな(胎盤)を埋めたと言われる「東照公えな塚」とか楽しいお話をしてくれたボランティアさんに分かれて、次は愛知県北端の犬山城に向かう。

 10月も末なのにこの日の名古屋は26度とか、厚手の肌着を着てきたのが悔やまれる。

 国宝のお城は全国に五つあるという、そのうち最も古い犬山城、今日は少々残念、天守がお色直しでシートやパイプで覆われていたが、その分良く晴れた空に天守からの眺めは最高。
 「国宝 犬山城のご案内はこちらをどうぞ。
 南は広く開けて街並みが続き、川を隔てた東は岐阜県らしい、遠くに御嶽山を望み、北には岐阜城が点のように見える。
 要衝の地に建つこの城は、信長さん家康さん秀吉さん みんなが狙って争ったらしい。
 お城の真下を流れる木曽川では 今の時期、鵜飼が行われてる。
 天守からの眺めは飽きることなく、観光客も少なかったので天守をグルグル回って景色を堪能した。
 このお城、つい最近の平成16年まで個人所有だったと言うから驚きと羨ましい。

 この頃から少しソワソワが始まった、帰りの飛行機の時間がせまってきた。

 少し早目の名古屋空港行、実はここ数年、体に少々の異変があって体に医療器を取り付けてから飛行機利用の旅行は避けがちだった。
 空港で「X線検査はできません」と言うのも嫌だったが今度の旅行では素直に申し出をしたらFDAの職員は実に優しい。
 X線に替わって若い女性職員がボディタッチで検査をして「今日の体調はいかがですか?」「飛行機までご案内しましょうか」と実に親切。

 3泊4日、仕事も休んで、車で案内してくれた娘の親孝行に感謝して、互いに少し涙ぐんで別れた。
 飛び立った飛行機からの夕暮れの名古屋はまさに宝石箱をひっくり返したようだ。
 飛行機利用の旅にも自信がついたし体力もまだまだ、次は何処へ行こうか。
 国宝のお城五つの内、今日の犬山城で4つ見たから残る松江城か、いや那智から熊野古道、か・・・・
 そんなことを考えて、きっちり1時間、花巻空港に着陸、名古屋で別れて刈谷に戻る娘に電話したら私も今、家に着いたところ

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