岩手の頑固親父

恵まれた自然、環境に暮す 老農のつぶやき、ぼやき

ハセ(稲架)掛け

2021-09-18 15:29:09 | いなか暮し

  ミニハセ(稲架)を作った、刈り取った稲の束を架けて、お米と藁(わら)を乾燥させる。100束余りのミニミニ ハセである。
 お年越、お正月には新しい藁で作った、しめ縄を飾りたいと我が家恒例の行事である。
 幼い孫たちに田植え、稲刈りをさせて、そのお米、しめ縄を供えて新年を迎えていたが、孫たちも成長して、それぞれに忙しいので、今年は年寄りだけの仕事になった。
 里を見渡してもハセ掛けの稲は見えない。機械化された今は稲刈りと同時に藁は細かく切断されて、肥料として再び田んぼに戻される。
 藁は園芸用苗床でも重宝するのでホームセンターでも売っているが、なんとその藁も輸入ものらしい。
 現代っ子は藁そのものさえ知らないかもしれない。

           お礼
 年寄りの愚痴、昔話、日記などの駄文の「ごみの山」は、今回で900通目の投稿となりました。
 長い間お付き合いいただいている皆様方に厚くお礼申し上げます。
 自然相手に米つくりを続けておりますが、年令とともに取り巻く世界が狭くなり情報にも疎くなりましたが、折を見ては、ある事、ない事、投稿を続けたいと思っております。
 勘違い、老化、危ないことも多々あるかと存じますが、どうぞご指摘くださいまして、今後ともよろしくお付き合いのほど、お願い申し上げます。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

もう、稲刈りが始まった・・・

2021-09-13 16:48:58 | いなか暮し

道ばたや水路沿いに咲く野の花、興味を持って見ると実に多彩、美しい。
  ツリガネニンジン(花巻地方ではノノバとも言うらしい)
 山際の道沿いに10年ほど前まで無数にあったセンブリや、去年まで群れて咲いていたネジ花は今年はまだ見つからない。
 農家、特に中山間地帯では労力不足を補うために除草剤に頼ることが多い。
 野の花が減ってくるのは、そんなことも影響しているんだろうか。
 秋の取入れ、稲刈りが年ごとに早まり盛岡近郊の紫波町では8月中から始まったという。
 我が里でも9/11から法人の大きなコンバインが稲の刈り取りを始めた、去年は9/16から始まっているから5日も早い、年々早まるのは全国的傾向らしい。

 私の誕生日は10/7である。昔々稲刈りが始まった日、収穫に感謝して初稲刈りの日、田の神様にお供えしたお赤飯が田んぼでのおやつだった。
 「お前の誕生日のお祝いも一緒だよ」とおふくろが言っていた。
 当時の稲刈りはそのころからだったんだろう、現代より1ヶ月も遅い稲刈りに頑張って、10/19は母の里の秋祭り、お呼ばれした子供たちは、大人と一緒のお膳が嬉しかった。重労働の稲刈りの中休みだったんだろう。
お祭り済んで、田んぼでは、稲上げ(ハセ掛け)して稲を乾かしてから、作業小屋に運び込む、小屋いっぱいに積み上げられた稲の束を脱穀、すべてが人の手で行われ、最後の仕上げの籾摺りを終えるのは11月もだいぶ進んでから。
 取入れ終わって、もう、神様方のお年越が始まり、もういくつ寝るとお正月の世界・・・・だったが。

 現代の稲刈りは、でっかいコンバインがきて、あっという間に刈り取り、籾はカントリーに運ばれて乾燥、籾摺り、その間、家人は不在でも構わない。
 後に経費が存分に引かれ、おコメ代金が口座に振り込まれて”おしまい”。

 年々早まる稲刈り、収穫、温暖化の影響もあるんだろうか、
 溶ける氷山、万年雪、経験したことのないような大雨、土砂崩れ等々テレビ新聞を賑わす。
 温暖化が進み、いつか、岩手はパイナップルの産地になると、どこかの地区のホラフキ大会で言った人がいたが、あるいは、ホラでなくなるかもしれない。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ありがとう岩手山

2021-09-08 15:59:25 | いなか暮し

 
                  岩手山はでっかいぞ!
         感謝状
 今から60年ほど前、スポーツ音痴の私が山岳部に入ったのが山歩きの始まりです。
 以来、長い間、岩手山にはお世話になりました。感謝申し上げます。
 その多くは苦しい思い出ですが、数々の出会い、仲間、出来事、数えきれない思い出の岩手山です。
 数日前の晴れた日、体調を整えて、久しぶりに岩手山に登りました。
 順調に意外と楽に登れるかなと思いましたが、下山の不安もあって登頂制覇はあきらめて途中から引き返しました。
 下山中、尻餅2~3回、若いころのように思うように足も動いてくれません。
 上りより、下りが大幅に時間がかかり、難儀しました。
 楽しみの網張温泉も立ち寄ることなく帰途につき、車中 そろそろ限界と思い知らされました。
 今回をもちまして岩手山の登り納めといたします。
 今後、1000㍍超える山には、いや1500㍍超える山には登らない事を誓います。
    岩手山 長い間ありがとうございました。
                    岩手の頑固親父 もうすぐ80才



 追伸 登山の翌日、岩手山で難儀した足は、嘘のように元気になりました。
      久しぶりの登山で、たまたま足が疲れたのだったと思います。
      確認のため、もう一度だけ岩手山に登らせていただきます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

菩提寺

2021-09-05 14:56:38 | いなか暮し

 駅前駐車場に沢山の車が止まっている。コロナ禍以来珍しいことだ。
 そうか、今日は人気の「SL銀河」を目当ての人出だ。
 コロナ禍で、どこの観光地や施設も閉鎖されて夏休みの子供たちが集まったらしい。

 菩提寺が遠く離れている我が一族は、遠いお寺まいりに替えて、お盆月に住職をお墓に呼んで法要を行うことが恒例となっている。
 8月末、菩提寺の住職親子と10数名の一族が集まり合同法要を行った。
 法要の後は、近くのレストランで大いに盛り上がるのが恒例の我が一族も、今年はマスク着用、乾杯はノンアルコール一杯だけでテイクアウトとかの持ち帰りお膳。
 この日はゆっくりと飲み交わすのが恒例の二人の住職も同様、持ち帰りで堪忍してもらった。
穏やかな性格と人柄で親しまれている住職親子である。

 菩提寺(浄珠院)と我が一族のつながりは特に深いと、先代の住職に聞いたことがあるが、何を指してるのかは聞き洩らした。
 400年ほどの昔、大阪夏の陣に主君、南部利直公の意に背いたとして一人の武士が処刑された。
 その家族も同様、打ち首、妻の父は加担した疑いがありと切腹、その遺児3名は所払いを命じられ、当時住んでいた遠野から、遠く離れた、現東和町石鳩岡に追放、蟄居させられた。
 15年余りの蟄居生活後、利直公がなくなり重直公の代になり、名誉の回復はならなかったが移動の自由を与えられて、3人の男の子は里(現、東和町土沢)に下り、今後の身の振り方を相談すべく浄珠院に草鞋を脱いだ。
 長兄と三兄は石鳩岡と小山田に土着帰農、次兄は土沢在の知人宅に身を寄せた。

 代が代わり、土沢在の次兄の男の子3人、長兄は大迫、亀ケ森に土着帰農、性格の穏やかな次兄は矢沢に分家、我が一族の初代となった、凡そ350~370年ほど前頃だろうか。
 三弟はあくまで士分を取り戻すべく東和町在に居を構えた。
 3人は別れに際し「代が替われば、わからなくなることもあるから、屋敷正面に柳の木を植える」ことを約束して別れた。
 昭和30年代に一族の本家では大幅な住宅改装が行われた。
 そのころまでは確かに屋敷正面に柳の老木があったと記憶している、何代目かの柳だったんだろう。

 菩提寺と一族の深い関係を先代の住職に詳しく聞いたことがなかったが、所払い、蟄居を終えて、この先を菩提寺(浄珠院)で相談したという事だったんだろうと今になって思う。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする