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岩手の頑固親父

恵まれた自然、環境に暮す 老農のつぶやき、ぼやき

「陣ヶ森」のこと

2010-03-06 14:23:16 | いなか暮らし

Cimg6384 「命の不思議②」料理の残り、おでんにしたら一口大の蕪を水に入れておいたら30㌢程まで伸びて何と小さな蕾をつけた。大自然のめぐみ、米も野菜も命です・・・・実感 

 あだ討ちのあった陣ヶ森(前回投稿)はその昔、近くにあった添市城を攻める武将が陣を張った場所と言われる。
 緩やかな傾斜の、この地はかって小さな棚田と大小のため池、ススキが生い茂り痩せた松が点在する寂しいところだった。

 かって何処でもそうだったように、村でも死者は土葬が普通に行われたが土葬は棺おけに入った遺体をそのまま土中に埋めるために時間の経過と共に土が陥没するため土葬はある程度の広さの墓地が必要だったがその広さの墓地を持たない人は火葬にしたようだ。
 村に何ヶ所かあった
(野天の臨時)火葬場の一つが陣ヶ森にあった。
 現代のように重油バーナーを使うことなく薪を沢山積んで火葬したことだろう。元気の良い、村の若者達が徹夜で火葬を続ける。
 差し入れられたお酒で時には作業がおろそかになり、翌朝遺族が収骨に来るまでに火葬が終りそうにない時にはやむを得ず、焼けきらない遺体の一部を近くのため池に投げ入れた。
 村の人たちもこんな状況を察しているので、子供達にはあの堤で釣りや水遊びはしないようにと理由も云わずに硬く禁じた
 釣らないから池の鯉は益々大きくなり
「人を喰った大きな鯉」がいると恐れられた。

 そんな火葬も昭和20年代には影を潜め公営の火葬場が出来て土葬の習慣もなくなった。

 昭和40年代、大規模農地整備が行われ陣ヶ森麓まで田んぼが整備され大小のため池もブルドーザーで拓かれた。
 かの、ため池にはやはり巨大化した鯉が棲んでいた

 今、陣ヶ森からは雄大な岩手山、眼下に東北新幹線がはしり、花巻空港に離着陸する飛行機が眺められ、地区内でもっとも景観の優れたところの一つになっている。
 昔、武将が陣を張ったり、狼を相手に愛児の仇討ち、「人を喰った巨大な鯉」・・・・のどかな景色からは想像も出来ない昔話である。

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「ある仇討のはなし」

2010-03-01 20:55:21 | いなか暮らし

Cimg6391  「白鳥の湖」ならぬ「田んぼの白鳥」、北帰行を目前に栄養補給か、田んぼのこぼれ籾をついばむ。

郷土には色々の伝説や物語が多い。
 「ある仇討のはなし」

 昔、胡四王山山麓に、屋号を寺館と言う農家があり、主人の名は助左ェ門と云った。
 幼い子を遺して妻に先立たれ、大変困っていた。
 隣村五大堂村に、十才の子を持つ後家さんがあって、実家の弟の家で世話になっていたが、仲を取持つ人があって助左ェ門の家に嫁いだ。
 色は浅黒いが、体は丈夫で、気立てが良く働いた。後添えとしてはいい女房だと助左ェ門は喜んでいた。
 さて、この女房は、五大堂の弟の家に用事があったので連れ子である自分の息子へ頼んでやった。
 秋の日暮れは早いので、もし遅くなったら、「叔父さんの家へ泊まるんだよ」、と念を入れて云ってやった。
 息子は叔父さんの家で、柿などご馳走になって休んでいる中に、太陽は西の山に近づいた。伯父もその妻も、「お前、今日は遅くなったから泊まっていけ」と云った。
 母にも云われて来たし、叔父夫婦にもしきりに云われたが、彼は泊まるのが嫌で言うことを聞かない。
 「そんならお母さんが心配しているから急いで帰れよ」と言う叔父の声を背に聞いて帰り道についた。走るようにして急いだ。
 然し、秋の日はつるべ落しの早さで西の山に落ち、辺りは暗くなった。
 息子は林の中の道を半分泣き顔になってひた走りに走った。
 助左ェ門の女房は遅くなったら叔父さんのうちに泊まれと云ってやったことだし暗くなっても帰ってこない息子のことを五大堂の実家に泊まったものと思い込んで夜になっても帰らない息子のことを別に気に止めなかった。

 あくる朝であった。近所の若者達が二、三人、馬を連れて五大堂へ通じる道添えの陣ヶ森という草地へ朝草刈りに行った。
 道端の草がめちゃめちゃに乱れている変な所があった。
 若者達が寄って見てびっくり仰天。そこらは血だらけ、子供のものと思われる人間の足がもぎ取られ、ちぎれた着物や帯がそちこちに散らばり、悲惨な有様である。草刈りどころではない。若者達は飛んで帰り、そのことを言いふらすとは大騒ぎとなり、助左ェ門の女房もそれを聞いて驚いた。若しや家の息子では、と思って体ががたがたと震えた。
 助左ェ門夫婦と近所の人達は現場に駆け付けた。正しく息子のものだった。
 女房は息子の足を抱いて、声を限りに泣いた。

 陣ヶ森の東方に続いては、松の多い小高い大森山で、そこに狼の巣があって人間が狼に襲われたということは昔から幾度かあった。
 不幸にして息子は狼にやられたのだあろう。ともかく、皆は残った足や衣類の切れ端をまとめて家に帰りこれからの色々の相談や段取りに過ごしている中に又その日も暮れた。

 女房の姿の見えないのに助左ェ門はふと気づいた。家のあたりを廻って呼んで見たが居ない。何処に行ったろうかと皆が心配になって騒いだ。
 持って帰った子供の足が無くなっているのが分かった。
 まさかと思ったが、「子供の足をおとりに狼を引き寄せて仇を討とうと行ったんじゃないか」、と云うものがあってそれじゃ行って見ようという事で、助左ェ門を先頭に、提灯を持って陣ヶ森へと駆けつけた。

 現場へ近づくと女のうめくような声が聞こえた。
 驚いた男達はそれっと其処に駆け寄った。そこに男達は何を見出したか。
 狼の口に深く腕を差し込んだまま血まみれになっている女房は、狼と共に横倒れになって居り、狼はぎらりと目を開いて息絶えていた。
 提灯の光に照らし出され悲愴な光景が其処にあった。男達を見上げて女房は
 「おらぁ 息子のかたき討っただよう」
  と必死に叫んだ。

 郷土の大先輩 小原武一著
 「あるデクノボーの雑記帳」
から引用しました。

文中の陣ヶ森・・・・何と 我家の田んぼもある。 
 ここには、まだ続く話がある。 次回

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