岩手の頑固親父

恵まれた自然、環境に暮す 老農のつぶやき、ぼやき

役員改選

2018-03-29 15:06:11 | いなか暮し

 春の訪れとともに、今年も帰ってきた釜石線 SL 
 毎年、春から秋にかけての運行は嬉しい。今年も多くのファンが訪れる。
          胡四王山を背景に新花巻駅付近

 年度末、行く人、来る人、卒業、入学・・・そして、農家は暖かさと共に、忙しい仕事が始まる。
 加えて年度末は各種の団体の総会シーズン、地区でも集落でも日曜ごとに総会が行われている。
 地区の総会が一段落すると集落の総会、
 そして、総会には付き物の役員改選 行政連絡員や各種の班長、衛生組合、農協関係・・・・等々
 いっぱいある改選役員、相応の人口、人間がいれば問題ないが、田舎もその人間が年々減少し、高齢化による引退も多い。

 みんなが農家で、水系ごとの役割や決まりごとが、きっちり守られた、昔とは違い、仕事が多様化し、会社勤めの多い、若い世代は、地区や集落の集まりに興味を示さないのも当然ともいえる。
 そこを何とか集落の総会に出席するように仕向けて、総会を成立させる。
 それでも役員の割り当てには、どこでも苦労していることだろうと思う。
     どこかににあったなー、該当する若い人がいなくて、75才にして新人消防団員になった人が。
 かくて、選考委員会なり推薦なりで多くの役員が決まり、めでたく懇親会となる。
 この先、一年の役員は大変だし、無報酬も心苦しいが、集落なり地区のために若い知恵を出してほしい。みんなのふる里のため、力を貸してください。
 そうする中に、故郷の良さ、近隣のつきあいの楽しさも感じ取ってほしい・・・・

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大入り満員「神楽鑑賞会」

2018-03-22 16:44:13 | いなか暮し

 東京近郊まで咲き始めた桜に、雪が降った21日は岩手も、突然の寒い寒い一日
 急な寒さに、観客の出足を心配しましたが、「古民家で味わう・・神楽鑑賞会」、開場時間の12時半ごろから、車が押し寄せて、用意した駐車場予定地も満車状態、用意したパンフも品切れでコピーで対処。
 遠くは八戸からと言う方は、大きなカメラを抱えて、「ぜひ、神楽を・・・」
 我が郷で、一時に、こんなに多くの人が集まったことがあったろうだろうか?・・・と思うほど。
   屋根葺き替えと、内部のリフォームを済ませた「熊谷家」も初のお披露目
 大勢の観客で会場は、外のお寒さどころか熱気ムンムン   
 駐車場の案内、整理が一段落した頃には、演目が大分進み、
 休憩挟んだ後半、幸田神楽が演じた「御台舞」は、家が新築や大改造されたときにだけ、演じられるという、珍しい舞は始めて観たと言う人がほとんど。

 胡四王神楽の呼び物 「木曾舞」に続いて 「権現舞」で終了。

 関係者による反省会では、熊谷家保存会長から本日の入場者数は300人余と発表され、今回初参加の小瀬川神楽から、演じた「狂言」は、古民家なればこその、出し物で、演じられてうれしいとの感想、「木曾舞」を演じた中学生は「もっと、上手になるよう努力します」、大きな拍手を貰っていた。

 夕方、7時前のNHKニュースでも、今日の神楽鑑賞会の模様が放送されました。 
 
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

至急、「古民家で味わう・・・」神楽鑑賞会

2018-03-19 09:00:32 | いなか暮し

 3月21日(春分の日) 13:00から 12:30開場
   新花巻駅前の茅葺き民家「熊谷家」で「古民家で味わう・・」神楽鑑賞会が開催されます。
  一年余の時間を要して屋根替え、改装工事が行われての
              お披露目です。切り揃えた屋根の直線が見事です。

 神楽の演目は事前には、わからないのが普通ですが今回、胡四王神楽の公演演目だけはわかりました。
 胡四王神楽からは 「山の神舞」が、あの豪快で迫力の人気の杉山さんが舞います。
 もう一つ、胡四王神楽の看板演目「木曾舞」が披露されます。
 木曾舞の「巴御前」は、後継者が数人もいることから、誰が演じるかは不明ですが、一人で延々30分ほども舞い続ける姿は圧巻です。
 今回の「古民家・・」は、同じ岳流神楽の幸田神楽と、円万寺系小瀬川神楽が、自慢の演目で出演します。

 車でおいでの方は、熊谷家西側、456号線を挟んだ胡四王会館、胡四王みらい駐車場をご利用ください。
 会場まで徒歩2、3分ほどです。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

講振舞

2018-03-16 13:48:38 | 日々の暮らし

  寒さの厳しかったこの冬も、急激に雪融けが進んで北帰行の季節。
 雪が溶けて、現れた地面の餌を食べて、長旅の体力づくり。

 講振舞(花巻地方では、かなり訛ってーとぅぶるみゃー)は、集落で祀る神様、山の神、庚申、お地蔵さんなどを信心するグループや、同行振舞と呼ばれる、伊勢参りや最上詣り、金華山など一緒にお参りした仲間が年に1~3度、グループの各家が幹事宿となり、一夜を楽しく過ごす、娯楽の少ない当時はこの上ないような楽しみだったと思う。
 多いグループだと20人を超えることもあるだけに、 幹事宿の番に当たった家では、だいぶ前から準備が始まり、普段はめったに開けない座敷の虫干し、掃除や障子張替。
 加えて大量のどぶろく造り、税務署の摘発に合わぬように知恵を絞って、見つからないように隠して作るのも一苦労。
 当日が近くなると、嫁いだ娘も手伝いに里帰りして、土蔵から、諸道具と呼ばれる、お膳やお椀の什器類を出す。
 数々のお膳やお椀を取り揃えるのは、農家の主婦の甲斐性とも言われるだけに、倹約して取り揃えた、お膳やお椀の披露は主婦の晴れ舞台でもある。
 いつもの日焼けした顔が正装して集まる、いよいよ当日
 夕方、、早めから御詠歌の斉唱、その頃、台所では餅つきが始まり、あんこや胡麻、クルミ餅に分けられる。
 座敷では、そろそろ「お振舞」が始まり、外ではこの日を待ちかねていた、子供たちが大勢集まって大騒ぎしている、この日だけは暗くなるまで遊んでいても叱られない。
 どぶろくが、酸っぱいとか苦い、美味いとかがしばしの話題
 次第に宴会は熱が入り、中には「ごんぼほり(クダをまく人)や、持ち出した太鼓で大きな声で唄う人、踊る人・・・・
 延々続いた宴会も、そろそろとなった頃、当主がうやうやしく、持ち出した 「きゃの盃」(多分、帰りの杯という意味?)を正面から男座、女座左右に各一つの、大きな盃になみなみと注がれた、どぶろくを一人ずつ飲み干して、次の席に渡す、やんやの掛け声で、末席の人が飲み干して、その日の「講振舞」はお開きになる。
 一応の片付けが終わって、今度は勝手の、近所のお手伝いの人や、家族、お待ちかねの子供たちの食事、こちらも結構にぎやかになる。

 こんな懐かしい光景は昭和40年頃まで集落のあちこちで行われた。

 10数年前に集落の50代の男女25人程でお伊勢参りをした。
 10数年も経て、ほとんどが70代になり、亡くなる人もポツポツ、この春、同行の「講振舞」に替えて、旅行を記録したDVD鑑賞会をした。
 全員の出席で、なつかしい映像を見ながらの懇親会は盛り上がった。
 今では「ごんぼほる人」もいないし「大声で唄う人」もいない、紳士淑女の「講振舞(-とぅぶるみゃー)」である。 


 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「家業を譲る」

2018-03-07 17:48:12 | いなか暮し

   春、一瞬、棚田に美しい幾何学模様が現れる。

 「家業を譲る」今でいう、経営移譲は農家でも昔から行われていた。
 長男が所帯を持ち、子供も設けた、ほどよい時期に、一家の長たる親父から、通帳と印鑑を渡され「今日からお前が・・・・」と、長男はこの日のために頑張ったからと、感激も束の間。
 肝心の通帳、内容がしっかりしていればいいが、戦後の農家は、とかく農協と付き合いが良くなり、お金を借りては農機具を買ったり、おりから、茅葺きの家の新、改築がはやった頃、おまけに招待旅行目当ての共済(生命保険)加入で掛金もテンコ盛り。
 長男は財産を引き継いだことで、弟や妹の結婚や独立の援助も同時に引き受けたことになり、加えて、一家の長として、集落の役員やら親戚との付き合いが一気に肩にのしかかる。
 中身の薄い通帳と共に、大きな負担となり、結局は農作業のない冬の間は、出稼ぎして現金収入を図る。
 それでも昭和40年頃までは良かった。
 その頃までは、土地や財産を譲られた長男は、まだ羨ましがられたが、次第に経済成長とかで、地方にも企業が次々と進出し、農家を守る長男以外の二、三男は身近に職場が出来て確実な収入の途が拓けた。
 多分、その頃からだろう「家業を譲る」、「経営移譲」は、長男にもあまり歓迎されなくなった。
 嫁さんは、嫁さんで 「・・・・・だから農家の長男の嫁は・・・・」と言い出す。
 親父は無理して、ピカピカのトラクターを餌にして長男を後継に、釣ろうとする。
 それも効果が薄くなり、長男もサラリーマンの道を選び、やがては後継どころか、町場に新しい家を建てて、別居する農家の長男もポツポツ。
 その内に、土地の値段も下がり、農地も財産的な魅力はなくなり、米の値段も下がり、次第に年寄りが頑張ることになり、経営移譲お断りの長男が土、日曜に親父の手伝いをする程度。
 昨今はサラリーマンを退職した農家も多くなり、専業農家のお年寄りもそれなりの年金があるのが救い。
 若夫婦が、懸命に働き、集落や親戚の付き合いをしながら兄弟を援助し、妻子との家庭を築くというパターンの崩壊は、昭和40年代、米余りの生産調整の頃から同時進行したと感じる。
 僅かに70年余の農家生活、変わりに変わったものである。

 やる気のある、若手農家はこれからが、大きなチャンス、面白い事もいっぱい、サラリーマンを続けながら楽しむ農業も結構。
 
 そんな訳で、我が家も家業は譲っていない。
      もっとも、息子も家業を譲られるという意識もない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする