岩手の頑固親父

恵まれた自然、環境に暮す 老農のつぶやき、ぼやき

どこも雪景色

2018-01-31 18:17:04 | 日々の暮らし

 私の住む花巻市は、豪雪で名高い西和賀に隣接する地域には、大雪が降るが、北上川をはさんだ東岸の、我が里は雪が少ない。
 
 我が里では降った雪の厚さを、言葉で表す。

   パヤパヤと降ってる ・・・積もるほどでもない雪が降っている。
   サット、降った  ・・・雪で白くなったが、竹ぼうきで雪かきができるほど、
                積雪は1センチ位。

   ヤーンベー降った ・・・積雪が10センチほど、除雪車も出動、雪かきが必要。
   ヤダラ降った    ・・・積雪が約15センチ以上、雪かきに難儀する。
 ちなみに激しく降る雪は 「モサ、モサと降る」と言う。

 「じいちゃん、明日の日曜は予定が全然ありません」 毎日が休日のじいさんに、いつもはクラブ活動や宿題に忙しい孫から一言。
 インフルエンザの流行もあって、クラブ活動は自粛、と言うことで、思いがけずに一日の余裕ができたらしい。
 弟の方も、明日は友達と遊ぶ予定だったがキャンセルするという。

 暮のクリスマスに、サンタさんはもう通用しなくなった孫たちに、旅行プレゼントを約束していた。
 翌、日曜日 新幹線利用で秋田、角館に向かった。
 角館の1メートルを超すだろう雪にびっくり、念願の「わらび座」ミュージカル「びっくり理一郎」を見た。
 いつもは劇中に見られる、民族伝統芸能の激しい演奏、踊りが楽しみだったが、今回の催しには無かったが孫たちは、初めてのミュージカルの熱演を喜んでみていた。
 後、「角館武家屋敷」に向かう途中、スノーダンプやスコップを持った人たちが、いっぱい出て雪かきや融水孔に雪を運んでいる。
 観光で訪れる人たちのために町内会で、やっているんだろうなと思いながら雪に覆われた角館武家屋敷。
 花、桜の時期はもっとも素晴らしいが雪の武家屋敷も素晴らしい。
  ・・・孫たちには、まだこの素晴らしさがまだ理解できない・・・・
                                             かな?

 この、角館の1メートル超す大雪、我が里の言葉でどう、表現するか、、、、
                     やだら積もった雪とでも。

 

 

 

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「郵便さんが来るまでに・・・・」

2018-01-29 11:58:48 | いなか暮し

 1月22、23日東京都心で20センチ越えの積雪、さいたま市ではマイナス9℃の寒さと報道していた。
 それしきの雪や寒さ如き、と思っていたら、その雪や寒さが北上、断続的な雪と寒さで、
 我が里でも30センチ余の積雪。
 翌日には溶ける都心の雪とは違って、僅かの日が指したところで中々溶けない。
 「雪吊り」してない、 生け垣のキャラの雪落としに汗を流すこと一時間。

 道路から玄関までの50㍍余、老妻も見かねて雪かきを始めた。
 お昼近くなって、タイヤに雪をいっぱい着けたバイクで郵便屋さんがやってきて、ばあさんと何か話している。
 「郵便屋さんが来るまでに、雪かきが終わってなくてごめんなさいね」
 「おばあちゃんは、いつもきれいに雪かきしてくれてるから、助かってるよ」・・・・
 このあいだ、訪ねた80代の一人暮らしのおばあちゃんも
 「郵便屋さんが来るまでに、雪かきしないと・・・・」と言っていた。

 昨今は、郵便屋さんが来ない日があっても、宅配便は毎日のように来るが、車で来る宅配には余り同情しないが、雨の日も雪の日もバイクで走る郵便屋さんにはやっぱり同情する。
 昔々、お年寄りには随分うるさく、言われていた。
 生け垣は、表を歩く人の姿が透けて見えるように、薄く手入れを怠らないようにしないと雪の重みで枝が乱れる、雪の朝は郵便さんが来る前には雪を払っておくこと・・・・ 
 

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 諏訪から木曽路 ・・3

2018-01-23 14:38:21 | いなか暮し

 木曾福島駅近くの宿は、潜り戸から入る小さな宿 
 夕食の鯉は長野、佐久の鯉の甘露煮に木曾谷の地酒「中乗さん」
 ご飯は「安曇野米」とか、我が家の、ひとめぼれほどではないが、中々のお米を味わった。

 木曾川を挟んだ対岸には明るい日が当たっているが、こちらはまだ寒い、襟巻き、手袋着用して、藤村ゆかりの高瀬資料館を経て、天下の四関所の一つ、福島関所跡を訪ねる。
 「入り鉄砲と出女」はことさらに厳しく取り締まった関所も、いまでは、関所を貫いて列車が走っていた。
 対岸に移動するには 急な遊歩道を利用するのも木曾谷ならでは。
    木曾漆器の店を覗いたらコーヒーを御馳走してくれた。
    買わずに出られない。コーヒーカップ1ヶ5000円也 いいものは高い!!

 日があたって、暖かな対岸では、興禅寺、庭園 「観雲庭」 木曾義仲のお墓もお詣りしてから山村代官屋敷、山村氏は代々、木曾の代官と福島の関守を兼務したお家柄。
 邸内の城陽亭庭園からは、雪を頂いた山が見事な借景となっている。

 「あの山は・・・・」  「木曾駒ヶ岳の手前、地元の人は前山といいます・・・・どちらから?」
 あれやこれや話しているうちに 「私は以前、新日鉄釜石にいて、その後名古屋に・・・・・」
 「大震災以降、2回も釜石を訪れて、復興を確かめていますよ、花巻温泉には親戚も・・・・」
 木曾谷に入って、岩手を良く知る人と、これで2人目、しばらく話しているうちに
、「神棚に祀っている狐のミイラをお見せしましょうか?」と言うことになった。

 山村代官家は代々お稲荷様を氏神として祀り、信心が厚かった。
 その内に屋敷内に狐が住みつき、毎朝の鳴き声で地元の人々は、「今朝の、狐さまの鳴き声は甲高いから良い日とか言ってたらしいが、いつごろからか声が聞こえなくなったが明治年間に建物新築の折、古い建物の下の土の中から見つかったと言う。
 濃い茶色に変色したミイラは大きな猫ぐらい、生きてる間は倍くらいはあっただろうとのこと、今にも動き出すほどに、しっかりして神棚の奥に祀っていた。
 お賽銭を少々奮発して参拝

 御嶽山まいりの人たちが通行したと言われる木曽川にかかる行人橋を渡る。
  木曽川沿いの住宅、表から見れば普通の一階建てだが裏の崖側から見ればこの通り、崖屋造りと言う、初めて聞いた言葉。
 木曾に入ってから見かける住宅や建物、ほとんどが石垣を積んでいる。
 傾斜地を広く使う知恵だろうが、景観は良いと言っても、住む人には大変だ。

 木曽福島13:25発 しなの11号は、塩尻近くなって、急に視界が広がり、木曾谷がら出たと実感。
 広がった景色に真っ青な青空が広がり、14:56長野に着くころまで、
車窓の 北アルプスの峰々がうつくしい。
 もっとも長野経由で遠回りしたのは、このアルプスノ山々を眺めたかったからではある。
 午後、ゆっくり木曾を発って、6時間弱、夕食には家に帰る。

 旅行から帰って2,3日後 何回も何回も、木曾谷は、妻籠は、馬籠は・・・・・繰り返し聞かされる妻
 「私も旅行に行ってきた気分」・・・これはいい、一人の旅費で諏訪から木曽路、二人で行ってきたことになる。

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諏訪から木曽路 ・・2

2018-01-22 10:45:06 | いなか暮し

 上諏訪から塩尻、この先はJR東海管内、東日本のお得切符は利用できないので、この先は実費負担。
 塩尻から普通列車、まもなくして両側の山が近づき木曽路に入ったことが感じられる。
 駅付近で、徐行した電車を見上げる猿の一団があった・・・が
    この辺では日常の事らしい。

 時おり雪をいだいた山が見え隠れ、 御嶽山? カメラを向けるまもなく山蔭に隠れる、ここは木曽川沿いの谷底を実感。
 10時前に南木曽についた。数年前に、あの大きな災害のあった町だがその傷跡は見当たらない。

 来たぞ、憧れの中山道、妻籠宿 
                   余りの好天でコントラストが強すぎる。
 街ごと保存された美しい宿場には、派手な看板や土産屋などは見当たらない。
 シーズンには賑わう、この宿場町も、今の時期は観光客も少なく、静か・・・

 明治維新までの歴史が匂う・・・・
 重要文化財、「脇本陣、奥谷」 囲炉裏の小さな火に、かすかな煙が上がり、差し込む光が明るい。
  展示された写真を写した盗作写真です。
              実物はこちら→ 

写真マニア垂涎のこのシーンは、寒い時期の良く晴れた今日のような日だけ写せると、その日もカメラマンがたむろしていた。
忘れがたい妻籠、脇本陣を後に馬籠峠に向かう。
 バスの運転手さんはなんと、若くてきれいな女性、これも忘れがたい。

岐阜県入りして馬籠宿、今も発電しているという大きな水車や、
 石畳の続く道沿いの水路にはきれいな水が音をたてて、流れている。
 その昔、皇女和宮の江戸輿入れの時には、従者が2万人も、この馬籠宿を越えたと言う。
「木曽路はすべて山の中である・・・・ 夜明け前」の島崎藤村の生家、旧馬籠本陣跡の記念館を経て更に登る。
幕府の御触れをかかげた、高札場付近からは良く晴れた恵那山(2192㍍)がまじかに見えた。
  木曾谷もここだけは見晴らしが良かった。

妻籠、馬籠の感動の余韻は容易には消えそうにない。

名残残して中津川から下り、特急30分余、今日の泊は木曾福島

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諏訪から木曽路 ・・1

2018-01-21 17:28:10 | いなか暮し

 新幹線の外は明るい日差しが注いでる。
 出かけるときはいつも寒さを心配して、つい厚着をしてしまう。
 多分、今日も汗ばむ陽気になる気配がする。

 大宮を経て長野までは新幹線、長野からは急行は利用しない、のんびり普通列車
 篠ノ井過ぎてまもなく、姥捨からの遠望 
 急坂を上った列車はスイッチバックで停車時間が長い。
 良く晴れた善光寺平と、うっすらと雪の残る棚田はまさに「日本三大車窓」

 松本経由で下諏訪にはお昼過ぎに到着した。
 
初めての、下諏訪、、、諏訪大社、下社春宮、秋宮をお詣り
  あの、御柱 なるほどでかい。
 七年に一度、寅と申の年に宝殿を造営して、社殿の四隅の樅の大木を建て替えるお祭り。
 潜り戸を見かけると、つい入ってしまう。 伏見屋御休処、
 「遠い岩手から・・・」と地元の漬物と熱いお茶でもてなしてくれた。
 「おんばしら館よいさ」では、盛岡近郊の精密会社に長い事赴任し、子育ては小岩井農場だったと言う方の説明も聞いた。

 急ぎ上諏訪に移動、今の時期、日暮れが早く、夕やみが迫る。
 それでも岩手より少し日暮れが遅いかな?

 早足で、諏訪の浮城「高島城」 昭和の復元だが新しいだけに美しい・・・が、もう店じまいだった。
 目の前の諏訪湖も次第に夕やみに包まれてくる。
 全面結氷して、この冬は御神渡りが5年ぶりに見られるかもしれないと、地元の期待・・・

 駅前のビジネスホテル泊まりは、今晩は、ちょっぴり寂しいコンビニ夕食。  
 外食したって、持病のせいで、どうせ食べられるものは限られている・・・・・

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