岩手の頑固親父

恵まれた自然、環境に暮す 老農のつぶやき、ぼやき

三十三観音お詣り、再び・・・

2016-03-29 18:21:44 | いなか暮し

 子どもたちが小学生の頃だから、遠い昔に集落の30、40代 30数人ほどで和賀・稗貫・紫波の三十三観音札所詣りをしたことがある。
 当時午前中に観音さま3、4ヶ所、お詣りもそこそこに温泉に浸かった後の宴会が楽しみだったように思う。

 あれから35年余り、それなりの年となった今、有り余る時間を利用して 老妻と再び同じコースを思い出しつつお詣りを始めた。
 かってお詣りした神仏を裏切っての悪行の数々の懺悔や今日あることの深い感謝が主な目的。

 若い頃のお詣りとは視点が違っている。
 観音詣りの習慣は1750年頃からと言われているから、その頃に植えられた木だろうか周囲は巨木が多いことに気が付く。
   もっと古い木もある。 見慣れた景色さえも 改めてゆっくり見て感動。

 一日目  1番 音羽山清水寺 十一面観音さま
        2番 大宝山円満時観音堂 千手観音さま
        3番 宝城山長谷寺 長谷観音さま     長い道のりのスタート。

 今度の観音さま三十三ヵ所お詣りはお願い事はしないつもり、只々感謝のみ。

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大森山に300回も・・

2016-03-22 18:46:12 | いなか暮し

 一時期200羽あまりもいた白鳥が北に帰り広くなった三郎堤に一羽だけが残った。
  怪我でもしてるのか、それとも仲間外れ? 年寄りで遠い北のふるさとまで飛べないのだろうか?
 仲間が戻る秋まで一人ぼっちはつらいよ、暑い夏もあるし・・・かわいそうな白鳥の物語にならないように。

 地域の先輩、中島氏は頑固親父より4才年上である。
 勤めの傍ら優しい物腰を愛されて幾多の公職を経て現在は農業を楽しんでいる。

 高校で一級下だったという秦野市の「まいにち富士山」の佐々木さんに刺激されて年に一回、一緒に富士山に登ることを楽しみにして日頃体を鍛えている。
 夏には秋田駒ヶ岳や早池峰登山を繰り返し、農作業の終わった晩秋から近くの大森山(199.2㍍)登山を繰り返す。
 それも一日2度、3度・・・5度のこともあったという。
 そして3月21日、ついに昨年秋から数えて300回目の大森山登山を達成された。

 地元の山として愛されその優しい山容は
 子どもたちに「おっぱいやま」と親しまれる。

  今日も黙々と夏の富士登山を目指して体力つくりの大森山登山は続く。
 優しい山ではあるが途中「心臓破り」と言われる急坂もあり冬の間に300回も登った人はおそらく初めての事だろう。
 300回登山の日、招かれてご一緒した。
 昨年は260回、以前からも登り続けていたので「大森山登山1000回」も視野に入ったと元気に笑っていた。

 

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3月11日

2016-03-20 10:19:48 | いなか暮し

  早い春、ソメイヨシノのが福岡や名古屋で開花した3月19日、岩手の我が家は枝垂れ梅の開花
  これからの季節はまさに春爛漫を迎える。記録的に早く咲いたクロッカスは一面に咲き誇る。
 ンッ・・・・・・クロッカスの花びらがこぼれている。そういえば花の数がいつもより少ないような。
   なんと通称オナガドリが二羽で来て片っ端から花びらを食べている・・・・・・まったく!!

 パート勤めのお母さんが仕事の都合に合わせて、名古屋から岩手の実家へ帰省する事になった。
 中学生の孫が担任の先生に 「3月11日に学校を休んで岩手に行って来ます」
 「そうか岩手か・・・・行って来い」 くわしく聞かずに先生の返事
 岩手、3月11日と聞いて震災関連と思ったのだろう。内陸の我が家は震災には直接被害はなかったが近所では娘一家が亡くなった方や沿岸部から引っ越してきた方々が多数いる。
 3月11日あれから5年目の日、鎮魂の一日となった。合掌

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お祭りの出来事

2016-03-07 11:42:26 | いなか暮し

 3月4日にはクロッカスが咲いた。 もっとも早く咲いた去年の3月7日よりもまだ早い開花
 3月7日には岩手にも10℃越えの予報が出された。

 春の日差しを浴びてのんびり、昔の出来事を思い出している。

 鎮守様のお祭りは9月15日、当時は旧暦だったから多分10月半ばころの雨が降っていたように覚えている。
 お祭りと言えば青年会の演じる演技会が盛んだった頃だが、その年はなぜか「ストリップショウ」と言うことになった。
 鎮守様の前では恐れ多いと感じたのか少し離れた魚屋の前の空き地に稲の乾燥に使う長木で仮設の舞台をつくり、どれだけの見物人がいたのか、入場料はとったのかは定かでないが昭和20年代のお祭りの出来事である。
 地元にペテン師まがいの興行師と言われる人がいたから、多分その人が始めたことだだったろうと思う。

 お祭りに「ストリップ」とは神をも恐れぬ所業・・・・いや神様も天の岩戸の前のアマノウズメノミコトの舞を喜んだというから意外と・・・・・
 現代、そんな事件があったらおそらくは警察は飛んでくるやら、マスコミは駆けつける、大騒ぎになったことだけは間違いない。
 ませたガキどもが興奮して走り回っていた記憶がある。

 平和でのんびりした田舎の珍事ではあった。

 

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百姓一揆」

2016-03-01 17:16:37 | いなか暮し

  弥生3月の1日 今にも咲きそうになったクロッカスだがここ数日の寒さで中々咲けない。今年の開花は記録的に早そうである。

 いまから180年前の天保7年(1836) 連年の凶作と厳しい年貢の取り立てに苦しむ農民が 中央小高い山が陣ヶ森 花巻市矢沢の陣ヶ森(花巻市清掃センター付近)付近に、近在の多くの百姓が集まり過酷な政治を改めるよう強く訴える一揆をおこし盛岡に出た。
 一揆は成功とは言えなかったが後の大一揆へとつながる。
 そして、藩による一揆の首謀者は罰しないという約束は破られ、多数の指導者は捕えられた。

 その一人、下小山田村の医師、吉田宗恕は天保14年6月24日に処刑された。
 処刑された場所とされるのが釜石線小山田駅から北に向かって数分、 関口街道と交わる変形6差路付近の三方塚(地元では首切り松長根と言われたという)付近と言われる。
 この付近は10年前の合併以前は和賀郡東和町小山田と稗貫郡八重畑村、花巻市矢沢の境でもある。
 一揆を指導した吉田宗恕は見せしめのために、この村境ともいえる小高いこの場所で処刑されたに違いない。
 もっとも場所を特定できる塚や石碑はない。

 お侍の歴史より、飢饉と闘い逞しく生きた農民の歴史に興味をひかれるようになってきた折、稗貫・和賀の百姓一揆を語る会発行の「百姓一揆の跡を訪ねる」と同会の会誌「響くはら貝」が手に入り熱中して読ませてもらった。

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