ここ、数年 郷土の歴史とか昔話が楽しく感じる。年のせいだろうか・・・・
近くにあるのに、何十年ぶりかで花巻の鳥谷ヶ崎公園を訪ねた。
整備された城跡で昔を偲ぶ。
門の前後で旧和賀城主義忠や稗貫城主広忠 和賀最後の領主、忠親が血しぶきをあげて北信愛が守る南部勢と激しく戦った。
年の瀬 部会の研修を兼ねた買い出し旅行に30名余りで参加した。
旬の魚を求めて青森沿岸の八戸、向かう途中の山々に雪はない、車窓から望むスキー場も無残な姿。
八戸のホテル会食は、やっぱりせんべい汁と少々のお酒、早めの昼食を済ませてお目当ての八食センターショッピング、昼食を済ませてお腹いっぱいのせいか、いっぱいに並べられたお魚にも食指が動かない。
思い直して、そこそこの魚を買って持帰ったお土産の魚、我が家のご婦人方の言うことには、「北上のスーパー、オセンのほうがよっぽど安い・・」せっかく買ってきたのに背中に感じる冷たい視線。
今年の冬はどうしたんだろう?
いつもの年だったら暮頃には全面凍結する三郎堤だが、いまだ真っ青な空、青い水、うららかな毎日が続き、泳ぐ白鳥も 「もう、北帰行の時期かな?」 と思っているかもしれない。
暮近くなって今年の「病院おさめ」、この一年、今までは健康自慢だった老妻と共々、多くの病院、お医者さん、看護婦さんにお世話になった。
痛むところがあれば僅かのお金で気軽にすぐ診てもらうことができる。
昭和23、24年頃だったと思う。
近所に住むお医者さんが、となり村まで往診した。その頃お医者さんといえども車はないし自転車か、あるいは歩いて往診に出かけた。
ところが患者さんの家ではお金が無いからと、お代にかぼちゃを貰ってきたと笑っていたことがある。
そんな馬鹿な・・・と思われるかもしれないが、そう遠くない昔の話である。
今はお年寄りが年金をたっぷり貰って、少しでも痛むところがあればいつでも診てもらえる。
ありがたい日本、世の中である。
薬なくして生きられないわが体、痛むところも多々、それでも「人生に定年なし」、来る年も、やりたいこと、やらざるを得ないこと、目標は山の如し。
病院、お医者さん、看護婦さん
来年もよろしくお願いいたします。
釜石線の人気SL「銀河」 毎週末には汽笛を響かせてやってくる。
いつものように今週も来たなと空気のように感じていたが、クリスマス・ラストランで今シーズンの運転を終えるという。
「また、来てね」 今日の汽笛はさびしく聞こえる。
北海道のある農業高校での話。
食品について研究している農業高校生のグループが自分の家で食べているお米の食味を確かめようと言うことになった。
それぞれの家から持ち寄ったお米を、水分や蛋白、アミロース・・・・・等調べたに違いない。
キラキラネームの人気品種や、話題で値段の高い品種等々、いろいろ検査してもどの項目でもトップの品種がある。
それが、なんと岩手産の「ひとめぼれ」 それも「岩手の頑固親父」が”岩手のひとめ”に惚れた知人に頼まれて毎年送っている我が家産の「ひとめぼれ」
おまけに30㎏の玄米7000円は一番安かったという。
担当の先生いわく 「お前、いいもの喰ってるなー」
年末の嬉しい便りだった。
かくて来年も老骨に鞭打って美味しい「ひとめぼれ」つくりに励まされることになった。
12月に入って間もなく 「お歳神さま」(お年神様)お持ちしました」 と言って鎮守さまからお札が届く。
12月2日の胡四王神社のお年越しから始まってお稲荷さん、山の神さん、大黒さん等々 15日の八幡様のお年越しが続く。
昔はそのたびに、お餅をついたり、お赤飯を炊いたり、なぜか大黒さんのお年越しには二股になった大根を上げていたが、そんな行事は昨今忘れがち。
年寄りを自認する頑固親父もそんな行事は忘れがちである。
今年こそ年賀状は機械を使わずに全て手書きにしよう・・・・12月も半ば、その決意も揺らぎ始めてきた。
年末になって今年も機械の手を借りることになりそうである。
あわただしく大晦日を迎え神棚をきれいに掃除して、真新しい「お歳神さま」を神棚に飾って新年を迎える。