岩手の頑固親父

恵まれた自然、環境に暮す 老農のつぶやき、ぼやき

ラジオ深夜便

2022-03-31 09:57:33 | 日々の暮らし

 冬の間、コタツに入りっぱなしで運動不足のせいもあるだろう、目がさえて、眠れなくなる夜がある。
 そんな時は予て準備の枕元のラジオをつける。NHKラジオ深夜便をイヤホンで聞く、妻もモソモソしてるから、そちらも別のラジオで深夜便を聞いているに違いない。
 ラジオの優しい語り口を聞いているうちに大抵はイヤホンそのままに朝までグッスリ。
 東京は桜が満開の頃、我が家はクロッカス、ミニアイリス、スノードロップが庭一面に咲く。
お彼岸の来客の一人が「読んでみて・・」と「NHKラジオ深夜便」3ヶ月分置いて行った。
 「こんな本があったんだ」店頭販売もしてるらしいが、今まで気が付かなかった。
 A5、150頁 1ヶ月 400円、大きめのポケットにも入るから、持ち歩いても苦にならない、病院の待合なんかにも・・深夜放送は若い人たちというイメージだったが、NHK深夜便はお年寄りも多く聞いているらしい。
 短めの話題、活躍中のお年寄り、健康、エッセー、巻末には1ヶ月分の放送予定もある、肩に力入れることなく、どこからでも気軽に読み始められそうだ。大きめの活字もうれしい。
 時代小説で人気の佐伯泰英さんが連載で、熱海で暮らす身近な話題、暮らしを書いている。
 21年12月号の「記憶力・判断力の衰え」は全く同感、運転免許の認知機能検査で不甲斐ない成績にショックを受けたとか自作小説の、なじみの登場人物の名が思い出せないこともある・と。
 作家さんでも、こういうことがあると正直に書かれている、物忘れ、認知機能の衰えをヒシヒシと感じる我が身としては、仲間がいるという事はうれしい。それも人気の作家先生が・・。
 「NHKラジオ深夜便」夜11:00から朝5:00まで
 毎日、聴くことは無理だが、眠れぬ夜は聞こう NHKサービスセンター発行「NHKラジオ深夜便」1ヶ月400円は安い。

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大きな後悔・・

2022-03-19 11:43:30 | 日々の暮らし

 友人の部屋の片づけを手伝った。 部屋の隅で少々、埃を被った、大小二本の刀と鹿の角で作った刀掛台、この家で育った子供たちが使ったものだろう。
 「いらないから、持って行っていいよ・・」
 今は中一になる孫は幼い頃、暴れん坊将軍や水戸黄門の大フアン、斬られ役のじいちゃんは大分斬られた、外出はいつも百均の刀を持ち歩いていた。
  「貰って来たよ・・」ニッコリしてるから、今でも興味はあるらしい。
   保育園卒園、小学入学の春 「卒園のお祝いに、どこへでも連れて行くよ」と 母さん。
 多分、ディズニーランドと答えてくれると期待したかも、お姉ちゃんの時のように、また家族で行けると期待したようだったが、意外、答えは「おじいちゃんと京都に行く」、張りきったおじいちゃんは3泊の予定で京都行を計画した。
 金閣、二条城、東寺・・見て、翌日 
孫の期待は太秦の京都東映映画村は丸々一日予定を組み、その日は映画村の開門前に到着した。
 入館して間もなく、かねて予約の、鎧の着付け、当時放送されてたNHK大河ドラマ「真田丸」六文銭の「赤備え」を着る。
 着付けを待ってる待合室には「鎧を着て写真はいかがですか、八千円」と張り紙がしてある。一瞬動いた心を静めて待った。
 本物と同じ素材という鎧は、
子供にはずいぶんと重いらしい、兜は頭がクラクラすると映画村内の散歩は係員が兜部分を支えて一緒に歩いてくれた。 望みの鎧も着たし、忍者屋敷や撮影現場も見て、ご機嫌で京都に戻り、京都タワーでは1万円もする刀と十手も買った。
 刀や十手を持って、明日の帰りの飛行機に乗れるだろうか随分と心配したようだったが、問題なく翌日夕方には帰った、空港にはお母さんとお姉ちゃんが迎えに来てくれた。

 朝のニュースの後、見るともなしに見てる、朝ドラ「カムカムエブリバディ」映画村のシーンが毎日のように登場する。
 思い出すのが映画村で鎧を着て大喜びした孫、「記念写真8千円」あの時8千円をケチらなければ、鎧姿の大きな写真、中学生になった今でも居間に飾ってたと思う「優しい、おじいちゃん」の思い出ともに、・・・と、考えると、あの時、8千円ケチったのが、大きな大きな後悔。

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軽便鉄道

2022-03-15 14:54:34 | いなか暮し

 我が家から僅か、3キロほどだろうか、大正から昭和にかけて活躍した岩手軽便鉄道の跡があった、珍しもの好きとしては今まで気が付かなかったとは不覚。
 手前右が鉄道の橋台跡、奥は現在の、釜石線北上川鉄橋は、少し下流。
 今でも釜石線に乗ってみると北上川の澄んだ水底に橋脚の跡らしいものが見える。
 軽便鉄道跡には長い年月で大きな木がしげっていた。
  花巻から釜石線で 北上川を渡り二つ目の駅、矢沢駅(現在の新花巻駅西方)付近,
 大正期生まれの悪童が数人、停車してる軽便鉄道の客車最後尾に乗ってる女学生相手にからかっている。
 悪態をつく子や、手に持った傘で突く真似をしたりしていたが、やがて汽車が走り出した途端、女学生が悪態をつく子の、こうもり傘を取り上げ、走り出した軽便鉄道の角に引っ掛けてしまった。
 さー大変、こうもり傘は当時貴重品、無くしたと言ったらこっぴどく叱られるにきまってる。
 泣き出しそうになって懸命に追いかける子供たちを、次第に早くなる汽車から女学生が「頑張れ」と声援を送る。
 矢沢駅を発車した土沢方面行の列車は、やがて急坂にかかる(現、釜石線新花巻駅付近から)煙をいっぱいに吐いても速度は遅くなり、悪童どもはようやく列車に追いつき傘を取り戻した。
 軽便鉄道の女学生は手をたたいて大喜びしている。
 当時、軽便鉄道は時速15㌔位だったいうから元気な悪童たちは追いついたのだろう。
      大正の終わりころ生まれの我が父と、その悪童たちの物語。
 岩手軽便鉄道は大正2年、花巻、土沢間が開通、4年には花巻~仙人峠間開通、昭和11年には国鉄が買収して国鉄釜石線となり、昭和25年に花巻~釜石間が全通、同時に軽便時代の狭軌762から現在の広軌1067になり軌道も305㎜も広くなった。

 釜石線は今年も4月から、人気の「SL銀河」が走る。
 新花巻を発車した「SL銀河」はすぐに急坂にさしかかり、もくもくと力強い煙をいっぱいに吐きだす。
 その光景はSLの写真マニアにはこたえられないらしい。

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明治人の知恵

2022-03-13 15:39:44 | 日々の暮らし

  北帰行に備えての訓練だろうか、田んぼの餌をついばみ乍ら、時折飛行訓練を?繰り返す。
 2、3日続いた陽気で、すっかり影が見えなくなった、北に向かったのだろう。
 元気な鳥ばかりでもないだろう、体力に自信なくした老鳥もいるに違いない、ー相哀れむー


 若いころからの働きすぎが原因なんだろう、少々腰の曲がった妻は、近くのリハビリ特化型サービス施設に、週一回の通所を心待ちしている。
 同じ通所仲間の一人が持参した本を「家の爺さんにも見せたい」からと借りてきたと
 昭和57年発行だから、もう40年ほど前「ふるさとの知恵袋」岩手県老人クラブ連合会が発行した470頁余の分厚い一冊に県下の老人たちが色んな記事を寄せている。
 「暮らしの中の知恵」「食べ物・」「災害にそなえる・」「健康を守る・」「出産、育児、教育・」「ふるさとのあそび・」「わらべ歌、子守歌」「古くからのしきたり、言い伝え、年中行事・」・・・等々 昭和57年の老人クラブだから、その多くは明治生まれの人達の知恵、知識が盛りだくさん、ざっと400人程の知恵が詰まった貴重な一冊。
 その中の一人「・・育児、教育の知恵」に寄せられた「土と闘いつつ子供教育の情熱」と題した沿岸部の山田町の伊藤さん、当時78才の記事には感動した。
 「年若くして結婚、夫は現金収入を求めて出稼ぎ、10人の子供を育てながら、あらん限りの力で田畑を耕した。
 大きい子には下の子を子守させるを繰り返し、小学生が4人と言う事が4年も続いたこともある。
 子供たちが多くて困ることは多かったが、もっとも悩んだのは朝夕の挨拶、行儀などの教え方をどうするか、教え方について途方にくれて、考え付いたのはアイウエオ順に、教えを紙に書いて板に張り付けた。
 五十音の教え
  ア 朝は早起き体操し、学校道具をしらべること
  イ いつも出るにも、帰りにも、挨拶する、手足を洗う
  ウ 運動は十分に元気よく
  エ えんりょしないでもの事をきく
  オ おがみなさい、神さま仏さま
  カ かせいで手伝え、日曜日には
  キ きめた時間は守れ
  ク 苦労ごとは、父母や兄弟友達に話し合うこと
  ケ けんかはしないで、仲良く学べ仲良くあそべ
  コ 言葉はやさしく、人に挨拶、笑顔すること
  サ 淋しいときは、唱歌を歌え
  シ 心配ごとはかくさないこと、しゅくだい、早くやれ
  ス 進んでやれよ、人のなん儀、助けてやれよ友達を
  セ せい出しはげめ、勉強を、我がため人のため   ・・・等々続く
 子供たちは「アイウエオ」の教育をよく守って、大きい子が朝夕に弟や読んで聞かせて大助かりだった。と
 今、孫たちに囲まれて厳しいおばさんだったね、と驚かれる、雨が降っても雪が降っても傘も差させないで、ボロを着せて一日も学校休ませなかったんだねと孫隊も納得して聞いてくれます。
 今は何でも楽になっているが、苦労して勉強するのが一番大切であり、おばあさんも頭と体を使い良いお婆さんになると話しております・・・・と結ばれている。

 それから40年後の今、子供の数も1~2人、好きなものは何でも手の入る、年寄りの知恵、先人の教えなどなくともネットで簡単、  つまらない時代でもあるような・・・・

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寂しい乾杯

2022-03-12 17:48:38 | 日々の暮らし

  3月11日、東日本大震災11年目 いつも、この時期になると花巻地方では春一番のクロッカスが咲き始まる。今年は8日に咲き始めた。

 もう11年目だという、今年も東日本大震災の日がやって来た。もう一つ悲しい思い出がある。
 無二の友人が震災の翌日に亡くなった、食道がんに冒され、やがて声が出なくなったのは、亡くなる半年ほど前、急遽、覚えたメールのやり取りで積もる思い出を語りあった。
 高校で一緒になり、山岳部の山登り仲間となり、小遣い銭もままにならない時代、遠い県外の山は無理と、安上がりに登れる県内の山を毎週のように、勉強そっちのけで登り歩いた。
 彼のお兄さんは有名な登山家で、その七光りで、弟の彼はどこの山に行っても知られた存在だった。
 山を通じて知り合った奥さんと結婚、実家は資産家にも拘わらず、夫婦で懸命に働いて、お子さん3人とも大卒、ともに教師に育て上げ、みんな結婚もした。
 これからのんびり・・・という頃に病魔に襲われた。
 なくなる前年、上高地に行けば、ヒマラヤで遭難死した兄に会えるような気がすると、家族を引き連れて行って来たと笑って話していた。
 亡くなる二週間くらい前だったろうか、「治療はやめた、天命を待つ」とメールをくれた。
 3月11日「大変なことが起きている」とメールしたのに返事はなかった。その時間、危篤だったと聞いた・・・・
 今年も3月11日は妻の運転で彼のお墓参りをした。
 月桂冠一合瓶を、二本持参でお墓で乾杯、もう何年も続いている恒例の行事である。
 達者でいたら、いつも陽気な彼と温泉に行ったり、旅行したり、飲んで話して大笑いして・・・・思い出を語っていた筈、
  悲しくも、寂しい乾杯である。 
 

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