庭木からの、毎朝の落葉、風に吹き飛ばされる前にと、日課の落葉掃きも、もう半月
この紅葉で 大方終了、次は雪かき作業が始まる。
我が郷の「火の口峠」 怖そうな名前は、大昔、大きな山火事があり、火元となったのが、この峠付近だったので名付けられたと言われている。
昔々、学校も、街へ買い物に出るにも、「火の口峠」を越えるか、鉄道、さもなくば北上川を船で渡るしかない。
小、中学生は登り下り、1キロ余りの、峠を越えて通学する、毎朝、毎夕、おそらく100人を超える子供たちが往復する峠である。
子供達にはまったく楽しい峠越え、林あり、池あり、季節を楽しんで通った道、腹が空けば、中腹には恰好なリンゴ園もあり、大方の子供たちはお世話になった筈。
戦後、間もない頃、通学したワル中学生は、峠を越える子供たちの弁当の飯を集めて、峠の木陰に隠した甕(かめ)にどぶろくを仕込んで、できた酒を売って小遣い銭にしたと言うウソのようなホントの話もある。
峠を越えて処理場に向かうトラックからこぼれ落ちた、孵ったばかりのヒナが一羽、通りすがりの子が、寒さに震えるヒナをポケットに入れ、更に販売機の暖かな缶コーヒーで温めながら、峠を越え、家に帰りそのまま育てた小学生。
父兄の送迎もない時代、毎日、歩いて越えた「火の口峠」
ある年、秋ごろだったろうか。
小学6年の女の子、3人が学校の帰り道、「火の口峠」頂上付近を楽しそうに、おしゃべりしながら通る。
あとから来た、自転車の男子中学生が追い越した。
その時、女の子グループが男の子に声をかけ、何か話した。
短い話が終わった途端、何を怒ったのか、男の子は自転車の荷台に巻かれていた、ロープのようなもので、一人の女の子の顔めがけてロープを振り回した。
女の子は涙をためたが、泣きはしなかった、が、頬には、みみずばれが出来た。
・・・それから10年後、どんな、いきさつがあったのか 叩いた男の子と女の子が結婚した・・・・
それからは、叩いたり、叩かれたりすることなく、夫婦は子、孫に恵まれて、金婚も過ぎた今も元気で、仲良く暮らしていると聞いた。「火の口峠物語」・・・
今、「火の口峠」は、博物館や記念館ができて、市内外から沢山の観光客が集まる峠になっている。