岩手の頑固親父

恵まれた自然、環境に暮す 老農のつぶやき、ぼやき

火の口峠

2018-11-26 15:10:00 | いなか暮し

庭木からの、毎朝の落葉、風に吹き飛ばされる前にと、日課の落葉掃きも、もう半月
 この紅葉で  大方終了、次は雪かき作業が始まる。

 我が郷の「火の口峠」 怖そうな名前は、大昔、大きな山火事があり、火元となったのが、この峠付近だったので名付けられたと言われている。
 昔々、学校も、街へ買い物に出るにも、「火の口峠」を越えるか、鉄道、さもなくば北上川を船で渡るしかない。
 小、中学生は登り下り、1キロ余りの、峠を越えて通学する、毎朝、毎夕、おそらく100人を超える子供たちが往復する峠である。
 子供達にはまったく楽しい峠越え、林あり、池あり、季節を楽しんで通った道、腹が空けば、中腹には恰好なリンゴ園もあり、大方の子供たちはお世話になった筈。
 戦後、間もない頃、通学したワル中学生は、峠を越える子供たちの弁当の飯を集めて、峠の木陰に隠した甕(かめ)にどぶろくを仕込んで、できた酒を売って小遣い銭にしたと言うウソのようなホントの話もある。
 峠を越えて処理場に向かうトラックからこぼれ落ちた、孵ったばかりのヒナが一羽、通りすがりの子が、寒さに震えるヒナをポケットに入れ、更に販売機の暖かな缶コーヒーで温めながら、峠を越え、家に帰りそのまま育てた小学生。
 父兄の送迎もない時代、毎日、歩いて越えた「火の口峠」

 ある年、秋ごろだったろうか。
 小学6年の女の子、3人が学校の帰り道、「火の口峠」頂上付近を楽しそうに、おしゃべりしながら通る。
 あとから来た、自転車の男子中学生が追い越した。
 その時、女の子グループが男の子に声をかけ、何か話した。
 短い話が終わった途端、何を怒ったのか、男の子は自転車の荷台に巻かれていた、ロープのようなもので、一人の女の子の顔めがけてロープを振り回した。
 女の子は涙をためたが、泣きはしなかった、が、頬には、みみずばれが出来た。
 ・・・それから10年後、どんな、いきさつがあったのか 叩いた男の子と女の子が結婚した・・・・
 それからは、叩いたり、叩かれたりすることなく、夫婦は子、孫に恵まれて、金婚も過ぎた今も元気で、仲良く暮らしていると聞いた。「火の口峠物語」・・・
 
 今、「火の口峠」は、博物館や記念館ができて、市内外から沢山の観光客が集まる峠になっている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上棟

2018-11-20 14:22:52 | いなか暮し

 晩秋の良く晴れた日
 我が地方では「建て前」、と呼ばれる、上棟が行われていた。
 4,5人ほどの大工さんがクレーンで吊り上げられた材木を、手際よく組み立てている。
 大工さんのほかには人影がないから、家人も学校や職場に出かけたのだろう。

 つい、20年ほど前の「建て前」は、地域にとっても、お祭り騒ぎ。
 親類、親戚・・の、男衆は金槌持参で手伝いに集まり、その家の主人が手拭いを渡して「怪我の無いようにお手伝いを願います。」
 貰った手拭いで鉢巻を締めて、大工さんの手伝い。
 手数のかかる、裏板と呼ばれる、屋根下地の釘打ち作業の手伝いが中心、女性たちは白割烹着姿で勝手の手伝い。
 午後の早い時間に、真新しい屋根に、大きな矢車や、五色の吹き流しが飾られて、近所の子供たちが集まり始める。
 手伝いや大工さんの中から、両親が健在の数人が選ばれて、餅を搗く。
 搗きあがった餅は「すみ餅」と呼ばれて、4個に丸められる。
 盛装したその家の主人夫婦が出て神事が始まる。
 外では集まった、いっぱいの大人や子供がガヤガヤ、今や遅しと餅まきを待っている。
 神事終わって、若い大工さん4人が新しい家の、屋根の四隅から大きな、「すみ餅」を、掛け声とともに、中央に向かって投げ入れると、縁起が良いとされる、4個の「すみ餅」を拾おうと、集まった人たちは走り回る。
 大人も本気になるから「すみ餅」だけは、子供には中々拾えない。

 「すみ餅」が納まった頃から、今度は大量の紅白の餅や、袋菓子が屋根からバラバラと撒かれて、大人も子供も一緒になって餅拾い。
 餅まき終わって、新しい家の座敷部分には仮の板が敷かれ、周囲は紅白の幕が張られて祝宴が始まる。
 大工さんには、手間賃とは別に「ご祝儀」が配られる。
 祝い事には欠かせない「御祝い」が詠われて、大工さん方は引き上げる。
 この後、大工さんたちは、「矢送り」と称して棟梁の家に押しかける。
 棟梁の家でも、上棟した家でも祝宴は続く・・・・
 上棟の頃から、集落の各家から、お手伝いが届く。
 現在では数千円から1、2万円だが、昔、萱葺の家を建てるには、大量の萱が必要な事からお互いに萱を出し合った名残だと思う。
 萱も必要のない現在は、その手伝いの習慣も薄れてきている。

 今日、静かに上棟した家は、本格的な雪の前に入居するんだろう。
   大きな家だ。
 明日、我が家でも「お手伝い」を届けようと思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

さびしい秋

2018-11-15 18:21:53 | いなか暮し

 晩秋とはいえ暖かい毎日が続く。
  寒さを期待して飛来した、白鳥も拍子抜けしてるかも、
   雪の前に、落穂で栄養補給。

 人口が減るのは、電車が混まなくて良い、くらいに考えていたのは、人口がどんどん増えていた頃の話。
 いったん、人口減少が始まったら、その影響を身近に、ひしひしと感じる。
 我が集落は、30年前の36戸で人口168人だった。
 その後は、比較的恵まれて、戸数は48戸に増えたは良いが人口は160人に減って世帯当たり人口の減少が目立つ。
 その頃は、集落の子供たちだけで、鎮守のお祭りには、お神輿を出せたが、今では子供会が僅かに5人だけ。
 10月末頃、掲載された、よみうり文芸の短歌
     吾が家は 吾が代にして 途絶えむか
       周りを見れば いずこも似たり    盛岡・小原氏の作品

 まったく同感、いずこも同じらしい。
 我が周囲を見ても、老人世帯、独居世帯が増えて、空き家もポツポツ。
 先日、ベトナムに出張した知人の話 
 「この先、日本はベトナムに追い越されるに違いない、何しろベトナムでは行く先々、どこへ行っても若い人が多い。」
 便利さを享受しながらも、多くの日本人が、行く末に不安を感じていると言われるのは、人口減少もその原因の一つかもしれない。
 そんなことを考えながら眺める晩秋の空、少々さびしい秋でもある。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

十月小春(じゅうがつ こはる)

2018-11-08 10:17:40 | いなか暮し

 蜘蛛はお絵かきが上手だ。
 晩秋の霧の濃い朝、 見事な絵を見せてくれる。
 霧が晴れたら、今日も暖かで、穏やかな一日になるに違いない。

 十月小春(じゅうがつこはる)という言葉がある。
 晩秋の厳しい寒さが続く頃、ぽっかりと暖かで穏やかな日が、数日続くことがある。
 そんな日を、昔の人は十月小春と言った。
 新暦では11月ころ、暖房器もない昔の人は暖かさを喜んだことだろう。

 今年も、その季節を迎えて時折、十月小春が訪れる。

 我が家の庭先では、少々腰の曲がった、おばあさんが箒片手に、散らかった庭木の落葉をはき集める。
 傍らでは、白髪のおじいさんが熊手を持っておばあさんの手伝いをしている。
 
 そんな平和で、穏やかな日には決まって思い出す詩がある。
 宮沢賢治さんの親戚筋だと言う、関 徳弥さん(~1957)の詩

       わが心 豊なる日は
            ひとひらの雲さへ
                花のごとく 匂へり

 じいさん、ばあさんが暖かい日差しを浴びて、のんびり庭の落ち葉掃きをしている。
 加えて、地に亀が這い、空に鶴が舞えば完璧な高砂人形・・・・

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

紅葉が届いた・・

2018-11-05 10:43:41 | いなか暮し

 10月も終わり近くなって、里のシンボル、胡四王山の中腹の、巨木が色づき、、
  里に住む人々に紅葉の到着を知らせる。

 これから始まる、20日あまりの、里の紅葉ショー
 胡四王山から始まった紅葉は、次第に里に広がる。
  意外と知られていない、草井洞堤の紅葉 
               一度、訪ねる価値は充分。


 久しぶりの雨の後、、 虹が・・・・


 冷え込んだ11月1日の朝、焼石連峰がすっかり雪に覆われて。
 里も雪が近い。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする