岩手の頑固親父

恵まれた自然、環境に暮す 老農のつぶやき、ぼやき

おヨシばあさん

2022-04-06 17:19:27 | いなか暮らし

 もう見つからないだろうと思っていた懐かしい写真が見つかった。
 郷の人たちには懐かしい「山の神の分教場」とも呼ばれ、4教室に6学年が学び、古い建物は危険校舎とあだ名された、花巻市立矢沢第二小学校、せまい校庭は、まん丸のラインを一周すれば100㍍とは言われたが随分と短い100㍍だった。

 4教室しかない校舎に6学年を収容するために1、6年は単独、2から5年は複式学級で教わった。
 現代の子供たちには理解できないだろうが一人の先生が違う学年、例えば2年と3年生を同じ教室で同時に教える、2年が国語で、3年が算数と言う事だってある、子供たちより先生が大変だったことだろう。そんな環境でも勉強のできる子も結構いた、おなじ教室だから、できる子は上の学年の勉強まで覚える子もいた。
 そんな学校の4校時だったろうか、腕時計を見た先生が「ヨシさん、また、忘れてるな・・」
 校庭で大きな枕時計をそばに置いて、草取りに夢中の小使いさん(用務員さん)に二階の窓から大きな声をかける「ヨシさん時間だよ」
 時計を見たヨシさん、あわてて、そばに置いた鐘を大きく振り回して授業の終わりを告げる。
 勉強の終わった生徒100人ほどの山の学校は一気ににぎやかになる。

 山沿いの傾斜地の学校は、その後講堂が一段高いところに建てられ、さらには本校舎をさらに一段高いところに 見晴らしの良い場所に建てられ、更に一段高く増設校舎も建てられて、その都度、教室は長い階段で結ばれ 校庭も拡張された。

 矢沢尋常高等小学校矢沢分教場として親しまれ、昭和23年村立矢沢第二小学校、昭和29年花巻市立になってから設備の拡充が図られたが、昭和48年創立100年と同時に閉校となった。
 現在、建物はすべて無くなり、その跡地は小中学生向けのプールを備えた運動広場として地元の人たちに活用されている。

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