春霞がたなびき、山野の情景に趣きが加わるころ。
少し遅れて、じいちゃんが愛用のバイクで出かけた。
田んぼの水の見回りかな。
そんな二人が7時に家に入ったころから慌ただしくなる。
毎朝繰り返される光景は壮観でもある。
「いやいや 今日は月に一度の病院に薬を貰いに」
そろそろ冬眠(こたつ・昼寝・テレビ・・・)から
目を覚まさなければ・・・・・
ある団体の研修で宮城・気仙沼を訪ねた。
元々気仙沼は地域の先達が酒造りの技術を持って出稼ぎした馴染み深い土地である。
一関から向うにつれ瓦礫こそ片付いたかのように見えるが次第に被害が広がる。
復興屋台で昼食のあと大島に渡った。この船も震災後広島から借り受けているらしい。
早春の海は明るく穏やかだった・・・・・
子供たちが幼かった頃、大島の小田の浜へ何回となく海水浴に訪れたが今日の桟橋付近はみやげ屋もなく付近は前と後ろから二重の津波に遭ったという、昔リフトで登った亀山山頂付近の松の根元が黒こげになり震災時の大火災の跡が残り、リフトも津波と火災に襲われ形も残ってはいない。
子供たちの喜んだグラスボートも思い出の民宿も流された。
宿では4月21日に行われる気仙沼つばきマラソンや観光に多くの人たちが訪れてくれることを期待していると。
翌日、鹿折地区を通った。
残酷な光景が広がる。いつも通ったあの町並みが、すっかり無くなりその後には大きな船がそびえている。おもわず手を合わせた。
陸前高田では奇跡の一本松の復旧工事や大きなビルの解体も見られた。
今回の研修で出会った人たちは年月が経ち風化されることが怖いと言っていた。
胸の痛む研修旅行ではあった。
年明け、間もなく母が亡くなりまだ49日の忌明けが済まない。
その間にも冬のお祭りや北上の冬の郷土芸能祭など冬を楽しむイベントが多いが忌中とあってお祭りや神楽の初舞は遠慮していたが神楽好きの孫もそろそろ我慢の限界。
忌中に神社に行くときは鳥居をくぐらなければ可と言われているので鳥居の脇を通り(少々姑息な言い訳と思えるが・・・)土沢神楽の初舞を見に行った。
久しぶりの神楽「天熊人五穀」や「水神」を膝をそろえて見入っていたがそろそろ眠くなる頃と膝に乗せたらばったり、眠ってしまった。
いつものパターン、
太鼓の音が眠気を誘うらしい。
眠ること凡そ一時間、そろそろ大好きな「権現舞」が始まると思って起こした。
(眠っている間に大好きな「笹割舞」があったことは聞かせない)
それでも久しぶりの神楽は楽しかったらしい。
翌日、いつまでも100均の刀では可愛そうと思いピカピカの刀と扇を買ってやったが占めて6100円は「高い」と家族に言われそうだから黙っていよう。
神楽ならぬチャンバラに熱中、悪者役のじいちゃんは助さん、格さんに朝晩斬られっぱなし。
雪の降り積もった朝、まだ暗い4時ごろには除雪車の轟音が聞こえる。10㌢も降れば出動するに違いない。
みんなが起きだして、出勤時間までには雪がきれいに片付いている。
ありがたいことである。
各々がやるべきは玄関から道路までの僅かの雪かき。
所用あって北上線経由で横手に出かけた。運転手さんのとなりではヘルメット姿で保線管理の人が前方の雪を注視している。
雪崩のもとの雪庇を観察しているようだ。
横手に近づくにつれ、雪は次第に深さを増し車窓から見える大人の背丈ほどのブドウの棚が雪に埋もれている。
昔、ある夫婦が4月の初め、ハネムーンの帰り北上線に乗った。
その年は稀なほどの豪雪、ディーゼルカーは吹き溜まりで動けなくなり
「ただ今、車掌が隣の駅まで救援を求めに走っていますのでしばらくお待ちください」ということがあったとか。
老いたその夫婦は今も元気で雪かきしている。
横手到着、この雪を見たら我が郷の雪なんて!
立春
初候 東風凍を解く
暖かい春風が吹いて、川や湖の氷が解けだす頃、旧暦の七十二候ではこの季節から新年がはじまる。
レンタル店を覗き、内容もわからぬままジャケット写真の美しさだけでDVDを借りて小栗 旬(とか言うらしい・・)主演の「岳(がく)」を穂高、上高地の美しい景色とともに見ていたら画面を覗いた孫が「岳だ!」と言う。
「お父さんお母さんも見てるよ」 山好きの若夫婦は「ビックコミックオリジナル」で見てるらしい。
その時になって人気連載コミックと知った。
主人公「三歩」さんの生き方が感動的だ。
DVDの景色が素晴らしい。
「夏になったら一緒に山登りしよう・・・」
「じいちゃん登れる・・・・?」 胸中、まだまだ孫には負けるもんか。
レンタル店で同時に借りた伊藤左千夫の「野菊の墓」
孫たちにあの純愛は理解できないかもしれない。
老妻と二人、こたつでタミの純愛を涙して見た。