岩手の頑固親父

恵まれた自然、環境に暮す 老農のつぶやき、ぼやき

御縁年

2021-04-27 15:53:08 | いなか暮し

  山桜が満開、山の木々が一斉に若芽を吹いて、山全体が柔らかな薄緑に覆われ、春の日差しを浴びて春の山が明るくなる。
 季語にいう「山笑ふ」という頃らしい。
 今年は4月26、27日ころ、いつもの年より10日ほど早い。

 丑年の今年は山形の出羽三山の丑年御縁年という。
 御縁年の今年お参りすれば12回お参りしたと同じ御利益があるという。
 かっては丑年ともなると集落や地区ごとに講を組んで出羽三山参り(花巻周辺では、普通最上参りという)が行われた。
 地区に数多くある出羽三山参りの記念碑、読み取れる古いものでは明治維新の40年も前の文政10年というものがあるから200年もの昔、江戸期ごろには出羽三山参りが行われていたようである。
 集落、地区ごとに世話人あるいは先達と呼ばれる人が募集し、盛んのころには貸し切り団体列車さえも利用したことがあるが、その後の多くはバス利用。
 花巻近辺では出羽三山参りと合わせて鳥海山登山も行うので最初の登山は鳥海山、きつい山登りを済ませて自信がついた翌日は湯浜、上山温泉辺りでこの後の三山参りに備えて身を清める・・・つもり。
 そのころ留守宅では、無事に山登りを済ませるようにと、近くの神社に留守家族が集まって安全を祈願する、一方身を清める方は温泉街で思いっきり羽を伸ばしている。
 そして三山参り、月山に登る頃には伸ばしすぎた羽の疲れで山登りが辛くなる、そんな仲間との体験は「同行(どうぎょう)」という形で生涯の友人付き合いとなる。
 長く続いた最上参りも、ここ36、24、12年前、年ごとに減り、「丑年御縁年だから・・・・」という声は今年も聞こえない。

 山好きの身としては丑年に限らず出羽三山や鳥海山にはよく出かけた。
 一人で出かけたり、娘と登ったことも思い出深い。ある年の御縁年には1年の間に、3回も出かけた、一回で12年分の御利益というから3×12年 36年分もの御利益があったと言う事か・・・・・。
 この年になっても元気で働けるというのも、その御利益かもしれない。

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成人

2021-04-17 15:34:40 | いなか暮し

 咲き誇る桜、今年の春は見物に訪れる人影は少ない。
  
釜石線「SL銀河」の乗客を楽しませようと咲いた菜の花だが「SL銀河」は来ない。 
          さみしく、冷たい雨に濡れている。
 県外に住む孫からラインが届いた「おかげさまで、元気に成人しました」
 初孫だったから特に可愛がったと思う。
  熊本市の小学校に入学した年、「授業参観があるよ、じいちゃんも来ない?」、
 まだ岩手と熊本の遠さがわからなかったのか、それとも、じいちゃんをからかったのか。
 「よし!びっくりさせてやろう」決断、即 東北、東海道新幹線を乗り継ぎ、京都から熊本までは高速夜行バスで直行、授業参観に間に合ったことがある。
 その時の孫のびっくりした顔が忘れられない。「あの、いたづら坊主が成人、、、」

 昔々、自分が成人の年、まじめな好青年は、夏の間は農業に励み、冬になれば酒造りの出稼ぎ。
 翌年21才の春、結婚した、お嫁さんは1才下の20才(現、後期高齢のばあさん)、若すぎる結婚に周囲の大人は心配したろうが、当時としては、それほど珍しいことでもなかった。
 近所には成人前に結婚して成人式にはお腹が大きかった、などという人も珍しくない。
 そして翌年22才の時、長女が生まれた。「お兄さんですか」と冷やかされたこともある。
 そして、半世紀も過ぎて、金婚式なんてだいぶ昔の事のような・・・

 成人を迎えた孫は、今、岩手を訪ねることはできない。
 チュウーハイの味を覚えたらしい。
 今度、泊りに来たら じいさん秘伝の「お湯割り芋焼酎」を伝授してやろう。

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110年の感謝

2021-04-14 16:54:11 | いなか暮し

 明治の終盤、東北地方は大津波や飢饉に襲われたが我が里は、大きなため池、三郎堤をもあって田んぼに使う水には恵まれていたが飲料水にはあまり恵まれていない集落だった。
 分家してすでに40年、2代目の当主は自前の井戸が欲しいと、おそらくは何年も前から、井戸に積み上げる石垣用の石を、近くの山から、馬橇(ばそり)を使って大きな石を運び込んだのだろう。
 明治42年彫刻をよくした2代目は、権現様(獅子頭)を彫り、胡四王神社に、良い水が湧くようにと奉納、祈願し同年7月、石垣積み職人を招き、近所の人たちの多くの手伝いも受けて井戸掘りに着工した。
  築いた石垣、径が4尺、深さが18尺、やがて、濁りのない良い水がふんだんに湧き出した。
 近所の人たちも大喜びして、毎朝夕、天秤棒に水桶で水汲みの人たちでにぎわった。
 2代目は「どうか、この水が50年も、いや100年も、こんこんと湧きますように・・・・」と祈ったはず。
 30年代にはポンプで水を汲み上げるようになり、今までの釣瓶(つるべ)はなくなり、そのあと近くの山に大量の水が湧いて共同水道になり、やがて市水道が普及した。
 井戸の水は農業用ハウスの潅水に利用していたが、井戸を覆う屋根の補修も必要になったことから、今回、 感謝を込めて宮司さんの丁重なお祓いを受け、業者の手により、井戸の埋め戻し工事を行い、112年の歴史の我が家の井戸は更地となった。
 百有余年、我が家と近所の人たちの命の水として、美味しい水を与えてくれた井戸と先祖に、心から感謝をする。

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花の季節

2021-04-04 16:06:08 | いなか暮し

二十四節気  清明(せいめい)
 七十二候 玄鳥至る (つばめ来る) 新暦4/7~4/8ころ
 邪魔っけにされながら、冬の間玄関で育ったシクラメンも今朝は、外の花々と日向ぼっこ。 

 街に出かけた家人のみやげは、いつもの小学館の「小学〇年生」、帰りが待ち遠しくて外に出て、帰りを待っていた思い出がある。
 春、4月号「小学1年生」は入学特大号で表紙には笑顔の子供たちといっぱいに咲いた桜が描かれていた。
 東京では入学式ごろには、もう桜が咲いているんだ、と子供心に不思議だった。
 岩手の4月始めと言えばまだまだ早春、内陸山沿いでは雪の残る年だって珍しくない。
 特に雪の多かった年などは、残雪で稲の苗の種まきができず、建設用の重機で雪を取り除いてから種まきをしたというニュースもあった。
 花巻近辺はゴールデン初めが、満開で後半は標高の高い、花巻温泉郷が見ごろというのがベストなんだが・・・・。
 この冬、岩手の寒さは、数年ぶりの厳しさだったが、その反動もあってか3月中頃からだろうか、好天で暖かさが続き、時には汗ばむ陽気の日も。
 そして4/1には岩手県南の一関で桜の開花宣言、その後も暖かさが続いて桜の北上はスピードアップ、4/5~4/8頃の入学式シーズンには満開の桜となりそう、昔の東京の入学式に追いついた。
 早い桜、暖かさの春が続いたあとに、快適な夏が来て、収穫の秋は豊作と順調にいけば、めでたしめでたし。
 

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