岩手の頑固親父

恵まれた自然、環境に暮す 老農のつぶやき、ぼやき

晴耕雨”医”

2011-09-30 09:21:01 | いなか暮らし
8月のお盆過ぎから雨が多く秋の取入れを心配していたが、稲刈りの始まる頃から天気が持ち直して連日の好天が続く。
 コンバインの音も軽快に、取り入れ作業が快調。
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濃い霧の朝、雑草が思わぬ美しい姿を見せる。
 
そして数日振りの雨、
 連日の稲刈りから開放されて今日はのんびりしよう。
 朝から取れたて野菜を自慢の漬物にした妻はいそいそ外出支度。
  「病院に薬を貰いに行ってきます。」
 そういえば「頑固親父」も高血圧薬が残り少なくなってたなー。
 病院から本屋さんでも覗いてくるか。
 かくて「晴耕雨読」ならぬ
     「晴耕雨”医”」の一日となる。
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稲藁(いなわら)の価値

2011-09-29 07:16:24 | いなか暮らし
今の時期、稲刈りが盛ん。
 コンバインで刈り取られ、お米を獲った後の稲藁(いなわら)はカッターで細かく切られてそのまま田んぼに散布され来年の肥料となる。
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 正月の注連縄(しめなわ)の稲藁だけでもと考え鎌で稲刈りをしたが、これまた手数がかかる。
 刈り取った稲束を棒掛けにして3週間ほど自然乾燥、脱穀、藁を束ねて・・・・
 
 昔、稲藁は大切な農業、生活資材だった。
 藁で作る俵は米の包装、運搬に使われて俵の美しさは農家の芸術品だったかもしれない。
 俵を編む小手縄は稲の穂のすぐ下のミゴと呼ばれる丈夫な茎を細縄にして使われた。
 藁で草鞋をつくり、冬にはツマゴといわれる雪靴に、ロープ代わりの縄をない、シートに替わる莚(むしろ)やカマスになったが叺(かます)は殆どの方はご存知無いことだろう。
 さらには布団の大きさの袋に藁の葉の部分を詰めての藁布団は昔の人たちには疲れた体に心地良かった。
 加えて畳床として今でも上等な畳には藁が欠かせない。
 藁を靴の大きさに折り曲げての靴の下敷き、暖かで吸湿が良いから快適。
 牛や馬の餌、敷草としては現在でも重要な役割であるが輸入されている分もあるらしい。
  <さらには五寸釘を打たれる人形も藁で作られている>・・・・・
 藁の価値をあげたらきりがない。
 色々に利用された後は、全て手数かけることなくやさしく自然に帰る。
 秋、我家恒例行事の孫たちの稲刈りが行われた。
 孫の手で収穫されたお米は元旦の神様に供される。

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よく当たる天気予報

2011-09-20 11:56:26 | いなか暮らし

連日の雨にコスモスも うんざり!Dscf1083

 かって「天気報」と言われた時代もあったが、この頃、
   
天気予報がよく当たる。
 「何時ごろから雨」の予報がでると、その時間になればやっぱり降り出す。
 紀伊半島の豪雨ほどではないが、岩手もお盆以降、雨が多い。
 9月も20日ともなればもう稲刈りの季節だが雨では田んぼには入れない。
 重く稔ったお米は頭を垂れ、雨でさらには倒伏となる。

 雨でぬかるんだ田んぼでの稲刈りは、コンバインのコマーシャルのようにニコニコ笑顔でスイスイとは刈れない。
この先も予報は「雨」、
  どうか天気予報が外れますように!
雨に加えてこの頃地震が多いのも気にはなる。
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「祖父母授業参観」

2011-09-17 15:22:22 | いなか暮らし

水質保全を目的に堤干しが始まった。干潟にはザリガニ目当ての”さぎ”が来ている。
畦に穴をあけたり小魚や水草を食い尽くす、にっくきザリガニ、一匹残らず食ってしまえ!

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 「祖父母授業参観」

 小1の孫の授業参観「むかしからのあそびをしよう」
 おてだまや竹とんぼ、紙ひこーき に楽しい一時を過ごした。
「むかしあそび・・・・」こちらはベテラン、久しぶりに尊敬のまなざしを感じた。
 それにしてもどちらの「祖父母」もお若い、3年後の次の孫の為にもスマートに老いなければ。

 タイムスリップして60余年前の頑固親父の小2の頃、
戦後の日本中が貧しく、登校する靴が買えない、いや物が無かった。
 祖父母どころか父母さえも学校に来なかった。
 父親がPTAに行く事、事態恥ずかしい時代。
 男で学校に来るのは駐在さんとPTA会長さんだけ。

 Dscf1074 同級生諸君、懐かしい写真を勝手に載せてごめん、乞ご了解。
 もっとも写真の16名の内、三分の一はこの世に居ない。

 60年余の昔話、孫に話しても 新選組が刀を振り回していた時代と境目が付かないかもしれない。
 

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「賢治さんの胡四王山」

2011-09-14 18:40:18 | いなか暮らし

新花巻から徒歩20分あまりで胡四王山頂に着く。
厳冬期、晴れた朝 東方面 手前に新幹線新花巻駅、大森山、早池峰山

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宮沢賢治さんがせつない恋心を秘め、ひとり胡四王山に登る。

    丘

    森の上のこの神楽殿
    いそがしくのぼり立てば
    かくこうはめぐりてどよみ
    松の風頬を吹くなり

    野をはるに北をのぞめば
    紫波の城の二本の杉
    かヾやきて黄ばめるものは
    そが上に麦熟すらし

    さらにまた夏雲の下
    青々と山なみははせ
    従ひて野は澱めども
    かのまちはつひに見えざり

  うらゝかに野を過ぎり行く
  かの雲の影ともなりて
  きみがべにありなんものを

  さもわれののがれてあれば
  うすくらき古着の店に
  ひとり居て祖父や怒らん
  いざ走せてこととふべきに

  うちどよみまた鳥鳴けば
  いよいよに君ぞ恋しき
  野はさらに雲の影して
  松の風日に鳴るものを

 胡四王南山麓には宮沢賢治記念館、童話村、イーハトーブ館などの諸施設が整っている。

 

 

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