岩手の頑固親父

恵まれた自然、環境に暮す 老農のつぶやき、ぼやき

合同法要

2022-08-31 13:45:58 | いなか暮し

この夏の岩手、晴天は全く少ない、したがって気温も低い、アセモ対策は楽だった。
 8月も終わりになって、久しぶりに晴れた・・・が、夕方になって飛行機雲が長く伸びている。また雨が近づいている。

 姓を一とする、私たちの親類は、お盆の月、8月の終わりころに隣町の菩提寺の住職においで願って一族の合同法要が行われる。

 江戸の初めころのことだろうか、地区の水がめ「三郎堤」ができて一帯は豊富な水を利用しての水田の開拓ブームがあったんだろう。
 そんな開拓者の一人だったろうか、「三郎堤」の上流、現東和町住民の先祖の一人も現在地に移住して、長い年月に分家もでき、仏様も増えてきたが、隣町のお寺まいりするには菩提寺が遠い、足の丈夫な先祖様もお寺まで片道2里半、ゆうに2時間はかかる。
 そこで近くのお寺さんに頼み込んで墓檀家として一族のお墓を預かってもらったが、100年余り前の大正年間に、本家の所有する森を切り開いて一族だけのお墓団地を造成しお墓を移動した。
 以来、一族だけのお墓として分家や孫分家など13戸ほどの共同墓地となっている。
 当時はのどかな水田地帯の森の中の静かなお墓だったが、様相は一変し現在は新幹線駅前となり、何のためのものか、高い鉄塔が立ち、お墓のすぐそばを、ひっきりなしに車が走る場所となってしまった。
 お墓にお住いの、ご先祖様方も出歩くときには、よほど注意しないと事故にあわぬとも・・・。
 先祖に感謝しつつ、夏場は親類総出で草刈り、清掃作業などを続けている。

 合同法要は持ち回りで、お墓で法要の後、当番幹事宅に移動し、その家の先祖の供養を一同で行ってから献杯となっていたが、近くにレストランができてからは、お墓の供養の後はレストラン直行というパターンが定着してしまった。
 コロナ禍の残る今年も菩提寺の住職は、立場もあって、法要のあと会食は欠席。
 レストランの好意で広い座敷を貸し切りにしてもらい、席を十分に離しての3年ぶりの会食は盛り上がった。
 みんなそれぞれ現職、忙しい人たちで、なかなか出会う機会も少ないが和気あいあい。
 やはり血が濃いという一族意識というものがあるんだろうか。

 盛り上がりついでに二次会まで・・・・・

     当日参加の80にも近い長老も盛り上がって、大分飲んでいたけど大丈夫だろうか?
       ※楽しく飲んだ酒は悪さもしないらしい、翌朝には長老は、田んぼの草刈りをしていたから大丈夫だったらしい・・・
 
 
 
 

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「おもしぇがったなー!」

2022-08-23 15:18:30 | いなか暮し

  お盆が終わったばかりの8月半ば、郷は濃い霧に覆われて、隣のお宅もよく見えない、、もう秋?・・
 猛暑の続く地方の方には申し訳ないが、花巻地方はこの夏、雨も多かったが比較的涼しく過ごした、低温というほどでもないから農作物にも悪影響はない。 そのうちに厳しい残暑があるか・・・
 
 地区の飲み仲間と和歌山旅行終えて20日ほど、少し遅れて「はばき脱ぎ」をした。
 花巻地方では旅行おえての反省会、慰労会など「はばき脱ぎ」という。昔、旅人が歩いて旅をした頃、足に巻き付けた脚絆(はばき)を脱ぐことから来てる言葉らしい。
 守るべきルールを守り、ワクチンを済ませて、健全な(?)旅行したので誰もコロナは持ち帰ってはいなかったのが何より。
 それぞれに写した写真を持ち寄り、見せ合い、「あれ、これはどこだっけ」、スマホやカメラ何台もあったのに、肝心な所は誰も写していないと大笑い。
 どの写真見ても白髪の爺さんグループ、若いころの旅行のように、お酌さんとの色っぽい話や二次会でもてた話、カラオケがどうのこうの、・・・この手の話は皆無。
 決められたコースを忠実に歩きとおしたというのが実感だが年寄り一行なりの楽しさはみんな満喫したようである。
 予想通り「次はどこに行く」の声が出た。永平寺、金毘羅さん、安芸の宮島、白川郷・・・・等々、もう年だからと、あきらめかけていた旅行熱に再び火が点いたようだ。

 昨今、旅行は個人で行きたいところに行けるし窮屈な団体旅行は避けられるらしい。それはそれで旅行を楽しめる。
 少し昔の旅行と言えば会社の慰安旅行、地区町内会、集落の仲間とお参り、観光旅行が一般的で、我が集落でも男が20代になれば、同じ年頃の人たちと出羽三山参り、厳しい山登りと湯の浜温泉辺りで一人前の男になって帰る。
 集落の老いも若きも一緒の、観音詣りは年に2、3回ずつ、数年かけて近郷の観音様を巡る。
 栃木の古峯参拝は地区内を6つに分けて1年に1組ずつ、代参したついでに関東近県の観光をしてくる。6つのグループが一巡したらまた繰り返す。
 お伊勢参りや善光寺詣り、高野山詣りは京都、大阪、奈良も見て回り、生涯に一度の思い出として・・・地区、集落の仲間と、そんな旅行を繰り返して、ある種の「地域つくり」に役立っていたように思う。
 会社の慰安旅行や地域の団体旅行は平成の頃からすっかり影を潜め、同時に地域集落の人間関係が希薄になったようにも感じる。

 アルコールを口に運びながら、「次はどこへ・・・・」次第に本気度が熱を帯びてきた。
 「空港が近いんだから、次も飛行機で2泊がいいな・・・」話は大分煮詰まって来た。

 「和歌山旅行、おもしぇがったなー」(花巻地方の言葉で、楽しかったなー)

 

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ある朝・・・

2022-08-12 14:59:08 | いなか暮し

 起きがけのコーヒーをすすりながら、窓越しに 蜘蛛の芸術を見る、その向こうには、今を盛りの百日紅に目をやる、今朝も早くから熊ン蜂(?)が数匹飛び回る。
 となりのムラサキシキブの小さな花と交互に忙しく飛び回り蜜を集めている。
 この蜂は体こそ大きいが人を刺さないから、それはいいが、許せない習性がある。母屋の役目を終えて、物置になってる、大きな古い家の軒先の垂木に穴をあけて、巣にして、垂木の中を空洞にしてスカスカにする。
 時には蜂スプレーをするが高い場所だけに容易ではない。ためしにシリコーンで穴をふさいだらそのシリコーンにさえ穴を開けられた。
 車庫前の地面に数羽の雀、近づいたら飛び上がり、すぐ上の電線で「チュンチュン」ではない「ギーギー」というような鳴き声をしきりにたてる。
 車庫の中に勝手に作った彼らの巣では子雀が育っているんだろう「近づくな・・」と雀どもが威嚇して騒いでいるのである、石を投げると飛び上がるが、すぐに戻って「ギーギ―」 食べ物がない冬の間、毎日、毎日、餌台に餌をやり続けた恩を忘れたのか・・・「つづら」にお宝詰めてお礼もってこい。
 畑に出た妻が「やられた・・」 皮を残してきれいに食べられた。
 そろそろ収穫するはずのメロン、繋がれたまんまの我が家の番犬、ラブラドールの目の届くメロン畑は狸も手が出せないだろうと油断した。
 にくい狸も利口ではある。完熟するまでは食べない、どうしてわかるのか被害を受けるのは「もう熟した、明日にでも収穫を」という前夜にやられる。
「トウモロコシ」もそうだ、必ずと言っていいほど収穫前夜に被害を受ける。里山に近い家ではもっと深刻である。トマト、メロン、トウモロコシ、枝豆‥等々、ほとんどが収穫できないからと栽培さえしない家もある。
 中山間地沿いの田んぼは、もっとにぎやか。鹿よけに張った目立つリボンをつけた水糸は毎夜のように切られ、この間なんか2頭の鹿が張った糸の上を軽くジャンプして立ち去るシーンを見た。足場の悪い田んぼからどうしてあんなに軽くジャンプできるんだろう、稲刈りに向けて悪さは続く。
 中山間にある作業小屋、床下に狸だろう住み着いている。意地悪して出入れしている穴に石を置いたら、除けかねたんだろう、別の場所を掘り始めている。
 熊だって時折見かける、知人の猟師は「悪さはしないから、熊をいじめるな」とはいう。
 幹線水路に子熊の死体があった。親熊の後をついていた子熊が、水路を飛び損ねて水路に落ちたんだろう、あの急な流れは、人間だって危険である。可哀そうなことをした。

 自然がいっぱいの我が郷には毎日、小さなドラマが続く。

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‥御一行さま 四日目

2022-08-03 11:16:28 | いなか暮し

  南紀白浜の朝、白良浜には朝早くから水遊びする人たちが見えていた。
 コロナとはいえ、夏休み、7月最終土曜、良い天気に家でじっとしていろというのは悲しい。
 朝食を済ませたころには水着のまま、ホテルに出いれする多くの若い人たちが見えた。

 今日は岩手に帰るという、ゆっくりの朝、白浜駅から紀勢本線オーシャンアローという列車に乗った。
 車内はがら空き、これもコロナの影響だろう、電車に限らず、ここ4日の旅行の間、どこも観光客が少ない、以前はどこに行っても見かけた外国人観光客に至っては一人も見かけない。
 丸々三日の滞在の和歌山は歴史、信仰、風景、温泉と美味しい食べ物。 
     ありがとう、紀ノ國 和歌山

 正午過ぎ大阪に入った。 岩手では考えられない大阪の気温

 新大阪の乗り換えもスムーズに、伊丹空港の昼食は「お別れまぐろ丼」
 離着陸する飛行機を眺めながら、一緒の仲間は、帰途についた今 家の仕事を思い出しているに違いない。
 「旅行に出かけるころから始まっていた、稲の出穂は進んでいるだろうか・・・」
 サラリーマン生活を終えてから、プロ農家として活躍するメンバー 5人は仕事が思い出されてきたようだ。
 定刻、晴れた空に飛び立った飛行機は若狭湾、能登半島、佐渡の上を飛び鳥海山を望んで18時に花巻空港に到着。 
  後期高齢、御一行様 お疲れさまでした。元気なお帰り何よりです。
   今後も元気で一層の、ご活躍を・・・・コロナを持ち帰っていないことを祈ります。

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・・御一行さま 三日目

2022-08-03 08:40:17 | いなか暮し

我が御一行様はかなり(?)のお年寄りグループ、食事ごとにコソコソお薬タイム、毎日の暑さにも負けず、今日も朝から元気いっぱい、ジャンボタクシーに乗り込む。
 ホテルを出て間もなく魚市場だろう、競りにかけられるマグロカがいっぱい並んでいるのが見えた。
 「蟻の熊野詣り」と称され、お参りの人々が列をなしただろう、石畳の道はすっかり、すり減って朝露で滑りやすい熊野古道「大門坂」を歩いた・・・
 那智の滝 その昔、神武天皇が海から遠望、八咫烏の案内で大和にたどり着いたというから滝は海からも見えるらしい。
 表参道の石段を避けて、近くまで車でお参り。
 133㍍の高さの大滝、那智の滝、飛龍神社は大きな感動を受けた。滝そのものを御神体とするのも納得。
 熊野那智大社、青岸渡寺をお参りした後「那智の大楠」に入ってみた。
 空洞の中には梯子で登るほどの広さにビックリ。
 紀伊半島先端、串本で、沖の大島を望みながらの昼食はマグロ、 ♫ここは串本、向かいは大島・・♪、と歌われた大島は、美しい橋で陸続きになっていた。
 お昼はマグロ、美味しい食べ物、明るい空、美しい風景・・・感動のドライブは続く。
 どうして、こんな風景が? 橋杭岩
 気の遠くなるほど、どこまでも広い潮岬
 三段壁ではエレベーターで下まで下がり洞窟に荒々しい波が打ち寄せる珍しい景色も堪能。
 千畳敷を経て 年に2、3回だけ、沈む太陽を丸い空洞越しに写真が撮れるという円月島
 「とれとれ市場」でみやげを買いこんで、明日は帰るという実感がようやく湧いてきた。
 椰子の並木と、明るい砂浜は、輸入した砂を敷き詰めているという白良浜を眼下に望むホテルが、今日の宿。
 夕食を中断して部屋から、白良浜の向こう、 太平洋に沈む太陽、午後7時1分 を眺めた。
 

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